お母さん大学は、“孤育て”をなくし、お母さんの笑顔をつなげています

編集部 青柳 真美

  • 編集部 青柳 真美 さんが新しい記事を投稿しました。 4年, 5か月前

    これさえなければ(解決すれば)、
    毎日の生活がずいぶんよくなるのに…。
    って、そんなこと、ありませんか?

    憂鬱って、人それぞれ。
    他人から見たら、たわいもないことでも、
    その人にとっては、テンションだだ下がりの大問題。

    お母さん業に励む日々の中で、
    子育てはもちろん、仕事、家庭、人づきあい…
    心を曇らせるさまざま事柄についておしえてください。

    大きい憂鬱も、小さな憂鬱もあるでしょう。
    本名発信で[…]

    • 朝の早起き。
      私は昔から朝が弱いのですが、
      子どもが幼稚園に行くようになってから始まった、何がなんでも決まった時間に起きないといけない、というこの生活がほんとに苦痛です。
      でもこれからずーっと長いことこの生活は続く・・・
      毎朝毎朝、起きるのが憂鬱すぎて機嫌悪いです(笑)

    • 少食な娘が食べられるような食事を用意すること。でも食べない!
      食べないんだろうなと思いながら作るのは気が滅入る。
      栄養バランスより量を考えてしまう。

      • 少食な子どもがいるママ友と話していて、うちはたくさん作っても足りなくて、食材大量に買うのも、冷蔵庫ぱんぱんなのも、作る時間より食べる時間が短いのも、やれやれだと言ったら、そのママ友は、ちょっとの量をかわいいお皿にお子さまランチ風に工夫して盛り付けて、でも残される、と嘆いていたのを思い出しました。
        さらにその話を、小児科の医師にしたら、身長体重が標準値におさまっているなら、どちらも大丈夫ですよ、となぐさめられた?のも思い出しました。

    • 次女の寝坊

      学校のある日は、朝からくたびれる。怒ってもダメ、優しく言ってもダメ、好物でも釣れない。罰を与えるとかもっとダメ。『明日は早く起きるけん!』と気合いは充分。健気に早起きを頑張りたい気持ちはあるのだが、、がしかし、毎朝、毎朝、起きられない。タイミングが良く、たまに、ポッと早起きできる日がある。そんな朝は、空に向かって『say hello!』とか言いながら両手いっぱい広げて深呼吸して、ダンスとかしたくなる。あー、明日も憂鬱な朝になるのかな。。。。(;´д`)

      』清々しい。

    • “水筒を洗うこと”

      何てことないはずなのに、水筒って、洗うの面倒くさい。机の上とかに放置されてるのをチラチラ見ながら『台所まで持ってこないと洗ってやらん』『持ってこない気だな、、それなら、明日はお茶なしだ!』『本当にお茶が欲しいなら自分で洗え』と、心の中では呟くが、結局、深いため息つきながら、夜寝る前か、朝のくそみそ忙しい時に水筒を洗う私。はぁ~。。。

    • 次男坊の手づかみ食べ後の掃除
      1歳2ヶ月の次男、毎日手づかみ食べをしています。カレーや納豆ご飯など匂いや色が取れない物までスプーンを使わずに手づかみで食べているので、毎回食後の掃除が大変です。もしスマートに掃除できる機械が有れば、多少高くても買いたい!

    • ソフトボールや野球の練習着・ユニフォームはなぜ白いのか。毎回泥だらけになるのだから最初から黒ならいいのに。サッカーは白くないじゃないか。毎日泥だらけ&汗臭い。家の床は砂っぽい。

    • 小2の娘は一人では習い事に行けない、帰って来られない。一緒に行っていた兄が中学生になり習い事に行けなくなって、私が送り迎え担当になってしまった。テレワークだからって暇なわけではないし、送って、また一時間後にお迎えって、なによ。もっと小さい子が一人で歩いているのを見ては溜息。

      • すみません、こちらも激しく同意してしまい…
        小3、男子も1人で行けません…涙

        • 小学校高学年でも一人でお留守番は嫌だと学童に来てた子もいたし、人それぞれですよね。比べても仕方ないですよね。…と、溜息、はぁ~

          • もう一つありました。お休みの日の朝ごはん。うちは5人家族で、皆がバラバラに起きてくるため、朝ごはんを出すのが4回(私は誰かのタイミングに寄せています)。トータル2~3時間、朝ごはんを出しては片付けています。途中で寝に戻るほどは間隔あかない。全員いっぺんに食べてほしい。

    • お風呂掃除
      マンションの真ん中に位置する部屋なので、お風呂に窓がなく、換気扇が欠かせません。
      換気扇を回すのを忘れてしまった日の次の朝は憂鬱。
      だいたい長女が最後入り忘れていることが多いので、朝からイライラ怒ってしまいます。

    • 本当はご飯作りだけど…かぶっているので。

      兄弟喧嘩。これさえ無ければきっと私はいつも笑顔で優しいお母さんになっているはず…!今朝も早速勃発して、ドッカーン!と私が爆発したばかりです…あー疲れる。

    • ものが溢れすぎている我が家。
      お姑さんもお舅さんも、ものを買うことにまったく躊躇しません。
      あるものが使いにくかったら、すぐ新しいのを買って来る。
      うちは貧乏というわけではなかったけど、もったいない精神がものすごく強い家庭だったので、使いにくいものは使いやすく工夫してあるものは何年も使い続けてました。
      いや、ボロボロ過ぎて、もうよかろーというのもたくさんありましたが(笑)
      だから、この物が溢れている家庭環境が、同居して1年になりますが、まだ慣れずに憂鬱になります。
      シンプルに過ごしたい…。

      • それ、めっちゃわかるー
        我が家は夫が買い物好きだから(笑)
        めっちゃ憂鬱。

    • 〜暑い日の送り出しとお迎え〜
      小学一年生の愛娘、、まだまだ途中まで送っていき、学童までお迎えに行く毎日。暑い暑い暑いから!(笑)秋ならいいのに。(笑)
      2020年暑い夏にマスクをしながら娘と歩いた日々を、わたしは一生忘れないと思う。

      • 私も、マスクを汗ぐっしょりにしながら子どもと遊んだ夏を、忘れないと思います。…いつか今を「歴史に残る時代を生きた」と振り返りましょうね。

    • 毎日決まった時間に起きてお弁当作りと朝ごはん作り。子どもたちと決めた時間に自転車で出発して職場に着くのは45分後。仕事が終わって洗濯物など毎日のルーティーン。不測の事態が起きて、それが少しでも崩されるのは憂鬱。夕食後のコーヒーくらいは飲みたいのよ、といつも思います。

    • 就寝前のハイテンション。
      走り回る、場所の取り合い、横になる私の上に馬乗り。
      かと思えば、布団を綺麗に敷き直す、出来なくて泣く、からの寝付くまでゴロゴロ旋回。これらの間に兄弟ゲンカ&ぶつかったーの泣きからの、お茶飲みたい…
      もぉぉおおお!!!
      毎晩寝室に連れて行くことが1番の憂鬱です。

    • 自分が忘れっぽいこと。
      これさえなければ、もっと仕事が進むのに。
      ご飯を食べてて、お醤油が無くなったので、席を立って取りに行ったはずなのに、途中に目に入ったゴミを拾ったらそれで満足して席に戻ってしまって、お醤油の事すっかりわすれたりとか、明日の朝ごはんのお米仕掛けておこうと思って台所に来たはずが、そこに置いてあったジュースを飲んだら、お米仕掛けるのすっかり忘れて台所を後にしてしまったり。
      もう、毎日、忘れっぽい自分が憂鬱。ふうっ。
      でも、これが、次から次へと起こり出すとそのうち憂鬱から笑うしか無くなってくるからもう変なんですけど。

    • 夕飯に関わること/ メニューを考え、買い物をし、作る。みんながしている当たり前のことだけれど、愛用や味のバランス、考えることが盛り沢山。そしてコロナ禍で買い物もちょこちよこ行くのははばかられる。毎日夕飯を作ってもらえたら最高に幸せなのになぁ。。

    • 旦那が夜勤で家にいなくて息子が、リビングでねてしまい。2階の寝室まで抱っこで連れて行くのと、朝のご飯から送り出しまで。まだ友達との待ち合わせの場所まで送っていってるので

    • 私の憂鬱は、月経前症候群です。貧血症状が出て、倦怠感と落ちこみモードに。ニキビなど肌荒れが激しくなり、化粧ノリが悪い。鏡に写る自分の顔がやつれ顔と気づき、気持ちも落ちこむ。ゴロゴロして休みたいけど、仕事も子育てしながら、毎回倒れそうだなと思いながら、走り抜けるこの期間。

    • 子どもが小さい時で、共働きしてた時、梅雨時期などで洗濯物が乾かないのは憂鬱でした。
      取り込んで畳んで片付けるというのができるのが、子どもが起きて来る前の早朝か帰って来てから夕方か夜くらいしかなかったので、洗濯物が乾いてないうちに、次の洗濯物をしないといけない状況や、洗濯物がある中で寝ないといけない状況がかなりユーウツでした。

    • 洗い物が終わりそうな横からそーっと置いていくコーヒーを飲んだコップ・・・自分で洗って!!!

    • 調味料ごちゃごちゃの調理台
      1歳半の息子が引き出しから調味料を出してはフタをくるくると回してあけたり、ふりかけなどのチャックを開けて中身を食べようとするので、調理台の上に避難させています。おかげで狭くて狭くて…作業効率が落ちてイライラです。

    • 部屋の片付け。
      心に余裕がないから片付けできないのか。片付けできないから心に余裕がないのか。どちらでしょう。片付けは嫌いじゃないんですけど、そこにがっつり時間を割くことができないでいるので、片付かない。思いっきり片付けたいなー!

      子どもの病院。
      歯医者もそうだけど。皮膚科とか、耳鼻科とか、眼科とか。どのタイミングで行くべきかなあとか。行ったら通院するの大変だなあとか思っちゃう。ひどいものは、そりゃすぐ行くけど。そこまで酷くないものは、迷ってしまう。

    • 片付け。
      他の方のを見て、思い出しました。
      子供が小さい頃は、片付けてる間に、別のところにものを広げられるし、片付けても片付けても散らかるから、そのうち片付けてもどうせすぐ散らかるとあきらめモードに。そして見て見ぬふりをして、散らかってるのが通常モードに。
      こんな歌を詠んでました。
      片付けど 片付けど 我が家きれいにならず (石川啄木の「働けど…」から来てます)

      かと言って、子どもが手が離れて来たら、そのモードに慣れて、手つけられず、腰が重い。

    • 玄関から呼ばれること/2階がリビングのわが家。出がけに「ママ~!」と呼ばれると、お前が上がって来い!と思います。いそいそ行きますけど。

    • 食洗機任せになっても、食洗機に入れるまでの行程が憂鬱。プラス、旦那が飲んだビールの空き缶の片付け。毎日2缶〜3缶を洗って乾くのを待ってからゴミ箱へ。アルコールを飲まない私は、なんで飲みもしない缶を毎日毎日片付けないといけないの?と思う。

    • ○ご飯の用意をしているときに、「お腹すいた!」とおやつに手を伸ばす。

      ○「ご飯できたよ!」と言っても来ない子どもたち。逆に全てご飯を食卓に運び終えたときには食べ終えている夫。
      やっと食べに来たかと思えば、残していく子どもたち。そのあとすぐに「お腹すいた」とおやつを片手にしている。だったらご飯食べろー‼︎

      ○家ではあまり食べないのに、外食するとあれこれ注文して、出費がかさむ…(外食は美味しいのは認めるけど、そんなに食べる子たちだっけ⁈とびっくりする)

      ○ママの取り合いで喧嘩すること。その横でのほほんとテレビを見たり携帯をいじっている夫。1人くらいパパに頼んでくれないかな⁈とげんなりする。

  • 編集部 青柳 真美 さんが新しい記事を投稿しました。 4年, 6か月前

    9月号の新聞が届くか、届かないかですが、
    早くも、10月号の宿題です。

    今年の夏休みは、コロナによる短縮・自粛のため、
    帰省できなかった、帰省しなかった人も多いことでしょう。

    両親や友人たちに会えない寂しさ、
    ふるさとに帰れない寂しさもひとしおではないでしょうか。

    そこで10月号の特集では、
    そんなふるさとへの思いを、
    みんなでシェア・共有しあえたら、と思っています。

    ふるさと=生まれ育ったま[…]

    • 私も、この機会に、「ふるさとを思う」を書いてみようと思います。遠い記憶の中にある故郷です。

      ふるさと久留米を思う 母の記録 ①お母さんは風!

    • 登校しましたので証拠を貼ります。

      ふるさとを押し付ける

    • 記事で書きました。

      名古屋駅は庭だった

    • 生まれも育ちも横須賀市なので、ふるさとに今も住んでいます。

      横須賀市はトンネルと坂の街と言われています。
      どんな道路も、点々とトンネルがあるのが普通だと思っていたので、大人になってから他の街のトンネルの少なさ(というか私の街の多さ)に気付きました。
      そして、いくつも坂を登らないと家には着かなかった幼少期でした。
      雨が降るだけでも滑り落ちそうなほど急な坂を、よく母がおしゃべりしながら手を引いてくれたのを覚えています。

    • 私が生まれたのは静岡県の三島市。高校卒業まで三島で暮らし、水のおいしい所で成長してきました。
      進学に伴い、名古屋市での一人暮らしが始まり、4年住んだ名古屋も、今となっては私の懐かしき場所になっています。
      その間に実家は田方郡韮山町(現 伊豆の国市)に転居。私は名古屋での生活の後、静岡市に引っ越し今に至っているため、たまに帰る程度でしたが、玄関先から見える富士山は大好きでした。
      そして昨年、伊豆の国市内ではあるものの、また実家が転居し、引っ越す度に田舎度が高くなって、今の実家は周りに山しかなく、普通のテレビアンテナでは電波を受信できないほど田舎に。静岡では体験できないような田舎生活を楽しめるので、娘たちにとってもいいふるさとになっていると思います。
      その土地にずっと住んでいると、ふるさと感をあまり感じられませんが、離れて分かる、その土地の良さ。
      私にとっては、三島も名古屋も伊豆の国市も、どれもふるさとだと思っています。ふるさとって1つじゃなきゃダメってことはないですよね?(笑)

    • 生まれ育った大牟田市に、またいまも住んでいます。
      引越し回数多くてすいません。(笑)
      大牟田市→長崎市2回→大牟田市→久留米市2回→東京都新宿区→東京都小平市→大牟田市へ。
      ふるさとってここ。
      昔はなんとなく大嫌いだった、中途半端に田舎な福岡県大牟田市。
      田舎なら田舎で、畑とか山とかがいい(笑)
      アスファルトなのに田舎(笑)
      だけど、こんなにこんなに、大牟田でどうやって生きていけば楽しいのか、考えた日々は今回が初めて。
      大牟田は人が熱い。交通の便がよく、都会にも田舎にも、温泉にも、川遊びにも、福岡にも熊本にも1時間で行ける!
      子育てしながら大牟田がやっと住みよくなってきた最近。
      ふるさとを想う。
      わたしの故郷は間違いなく福岡県大牟田市。

    • ふるさとというと、田園風景みたいなイメージだけど、私が育ったのは都会寄りで下町の尼崎です。
      ダウンタウンの出身地と言えば分かる方が多いでしょうか。
      子どもの時から、友達が夏休みは「田舎に帰る」という言葉に憧れたけど、うちはおばあちゃんちはお隣の西宮。
      (甲子園球場があるとこです。)
      全然、田舎感ないし。

      大人になってから、ある子どもの時の遊びや住んでたところの話を聞いて、川で沈下橋から飛び込んで遊んだとか、自然一杯なところの話を聞いたらそういう思い出があるってちょっとうらやましい。

      でも、尼崎をうまいこと表現した人がいて、「都会の田舎」というのです。
      確かに電話番号は「06」で大阪に近いし、都会寄り。
      でも、人情がある街なんです。
      私が住んでた地元は商店街もあって、子どもの時は商店街の鶏肉屋さんには、本物の鶏が飼われてたり、熊の手があったり。おもちゃ屋さんには看板代わりに等身大のウルトラマンとかが屋根の上にお出ましだったり。
      スーパーでも買い物に行ったら、顔を覚えてくれていて、「子どもはどうしたん?」とか声をかけてくれたり。
      自然はあんまりないけど、その代わり地域のイベントがかなり多い。
      子どもが生まれてからは、掲示板を見てどこのイベント行こうか同じ日でもはしごするほど。そういうのが普通かと思ってたけど、引っ越して、あんなに活気があるのって尼崎特有だったのかと知りました。
      距離は近いけど、離れると寂しい~。尼崎、いいとこです。

    • 私の故郷は、父母の故郷である熊本だ。私は熊本人の家庭であったため、熊本の食文化や人との付き合い方も外の佐賀とは異なるなと感じることが多い。まず、醤油のこだわりが強い。女の人が強い。肉体的にも精神的にも強く、家族に尽くす。馬刺しを大量に食べる。最後に、一族への想いが強い。お互いを思いやり、助け合う父母の背中を見て育った私は、熊本に住んだことはないけど、私の故郷は熊本だ。

    • 私の故郷は北海道で小学校5年生まで過ごし、父の転勤で大阪に来て今ではすっかり大阪のおばちゃんです 北海道での日々は今の私を支えてくれる根っこのようなもの 
      季節ごとの思い出 親戚と過ごした時間 昨年亡くなった父の思い出と共に懐かしてくちょっと寂しい気持ちで思い出してます 

    • 私の故郷は、やっぱり生まれ育った広島。
      高校卒業して家を出るまでずっと広島で過ごした。
      すごーく田舎でもないけど、すごーく都会でもなくて、
      小学校から帰るときは、お姉ちゃんと二人で田んぼの田植えをぼーっと眺めたり
      川に葉っぱを投げ入れて、それを追いかけながら帰ったり。
      引っ越ししてからは、学校から家までが近くなったので寄り道しがいがなかったけど
      中学校へ上がると、また友達とダラダラと寄り道しながら帰ってたっけな。

      広島の自慢は数知れず!
      お好み焼き、牡蠣、小イワシ、穴子、柑橘類、タコ、宮島、厳島神社、原爆ドーム、カープ・・・
      あげればキリがないけれど、どれも本当に好きなものばかり。
      でも、きっと故郷の良さに気付いたのは、広島を一度離れたから。
      外に出てみて、広島の人の地元への愛情深さや、見慣れた景色の貴重さに驚いた。

      広島は75年前、人類史上初めて原子爆弾が落ちた町。
      幸か不幸か、それで世界中の人に認識される町となった。
      海外に行っても「どこから来たの?」と聞かれて「Hiroshimaだよ」と答えると
      「ああ・・・本当に大変だったね」「とてもよく知っているよ」と様々な国の人が寄り添ってくれた。

      広島東洋カープも、原子爆弾投下からたった4年後に球団創設。
      当時はまだ闇市が続いており、荒れた青少年の心や市民の生活の拠り所を・・・と願い創設された。
      お金も練習場もなく、何年も弱小球団で解散の危機に襲われながらも、
      生活の楽しみだった、生きる希望だった球団を市民全体が募金などで支え、今に至る。
      私のおじいちゃんも毎日ラジオ中継を聞いては一喜一憂し、
      でもそういう娯楽が、戦後の焼け野原だった広島の町を救ってきたのではないかと思う。
      そういう背景や歴史を背負っているから、やっぱり私もカープが大好き。
      広島&原子爆弾&カープは切っても切れない関係。

      私は広島に生まれ育った以上、原子爆弾の恐ろしさや戦争の恐ろしさを伝えていく使命を背負っていると勝手に思っている。
      今は離れた福岡に住んでいるが、ここに住んでていてもできる事はある。
      人は過去を忘れる生き物。
      でも決して忘れてはいけないものはあります。
      過去から学んだことを、犠牲になった方たちの教えを、息子たちに教え伝えていこうと思っています。
      まだまだ故郷から学ぶことばかり!

    • 私のふるさと。田んぼかな。
      実家が百姓だったので、小さい頃に田植えの手伝いをしたことがぼんやりと記憶にあります。大きくなる頃には、営農組合みたいになって、家族が手伝うことはなくなったのですが、米の苗を家の外に並べてたりトラクターがあったりしたのが懐かしい。また、小学校も中学校も田んぼの真ん中にあったので、通学路は田んぼ道。見晴らしが良すぎるほどの一本道。田植え期の水田も、秋の田んぼも、好きな景色です。

    • ふるさと、ようやく記事にできました。

      私にとって、ふるさとは母がいるところ

    • 過ぎてすみません!

      魅力度最下位だとしても(10月宿題 ふるさと)

      いばらぎ、じゃなく、いばらき。
      帰りたいな。

    • 遅くなりましたが…

      実家は千葉県なのですが、両親共に九州出身(父が北九州、母が福岡)で、父方の祖父母と同居していたこともあり、家の中の会話が標準語に九州弁が混じっていました。思えば食事も九州寄りだったのかもしれません。
      住んだことはないけれど、九州に愛着があります。

      でも、わたしにとって、ふるさと=お仏壇の線香の匂い=安心するでした。場所というより匂いなんですよね。

    • 私も横浜、横須賀、東京、横須賀と、引っ越しを重ねてきました。
      加えて、両親は鹿児島、沖縄。
      たまにしか行けない場所でも小さな頃から通っている場所に、どこかホッとする。
      出身は?と言われると、えーっと。。
      神奈川県かな?という感じですが、
      どの場所も比べられないほどイイ所なので、
      私の故郷は色んなところにあるんだと思ってます。

    • 遅くなってすみません。
      私は北海道登別市で生まれ育ち、18歳まで過ごしました。小学校の校庭前は牧場で、春から秋にかけては牛が放牧されているのを眺めながら過ごし、冬は友達と雪合戦やそり遊びをして過ごした子供時代。何もない場所だけれど、自然豊かな良い環境で過ごせていたのだと思います。
      18歳から22歳までは、進学のため札幌市で過ごしました。北大キャンパスの銀杏並木、ススキノ歓楽街の華やかな街並み、豊平川の花火大会…。住んでいたのはたった4年間ですが、沢山の楽しい思い出が出来ました。
      静岡に暮らし始めて、毎年冬に雪かきや屋根の雪下ろし作業をしない生活にようやく少し慣れてきました。毎日の除雪作業は本当に大変なので、それが無い生活は楽で快適だけど、時々寂しくなる事もあります。コロナが落ち着いたら、子供達をふるさとに連れて行って雪と触れ合う遊びをさせてあげたいなと思っています。

    • 遅くなりましたが記事で投稿しました。

      私の故郷、息子の故郷(10月号宿題)

      自分の故郷を思いつつ
      息子にとっての故郷も考える良い機会になりました♪

  • 編集部 青柳 真美 さんが新しい記事を投稿しました。 4年, 6か月前

    台湾で2003年に出版されて以来のロングセラー作品。

    ある日、お百姓さんは赤ちゃんワニと出会いました。
    その日から、畑を耕すときも、種を蒔くときも、
    水をやるときも、収穫のときも、2人はいつも一緒。

    ワニくんはお百姓さんが作る野菜が大好き。
    アムアム、アムアム。ワニくんの健康診断の結果に注目です!

    愛情いっぱいで作られた野菜を、笑顔で美味しく食べるワニくん。
    2人の姿を見ていてると、ほっこりした気持ち[…]

  • 素晴らしい!
    私も前にチュンちゃんの話とこの歌を聴かせてもらったときも
    なんかじーんときましたよ。琴線にふれる何かがあります。

    で、元のチュンちゃん話も知りながらの
    素敵な絵と素敵な音楽のコラボ。
    ハートウォーミングな物語。
    きっとこれから多くの共感を生むでしょう。なんかわくわくします。

  • 編集部 青柳 真美さんがはじめまして♪でコメントしました。 4年, 6か月前

    熱いお母さんになるぞぉー宣言、いいですね!
    これで、岡崎がもっともっと熱いまちになるはずです。
    岡崎の、いえ、お母さん大学、期待の星!
    よろしくお願いします!!

  • 新津春子/羽田空港を5年連続「清潔な空港」世界一に導くカリスマ清掃員。毎日発見で終わりのない楽しい仕事と話す。存在を知ってからは羽田空港に行くたび、お会いできないかとキョロキョロしている私。

  • 編集部 青柳 真美 さんが新しい記事を投稿しました。 4年, 6か月前

    国民栄誉賞とは、
    「広く国民に敬愛され、社会に明るい希望を与えることに
    顕著な業績があったものについて、その栄誉を讃えること」と定義されています。

    2018年7月には、フィギュアスケートの
    羽生結弦選手が23歳という最年少で受賞されていますが、
    野球のイチロー選手は3度も受賞を辞退しているそうですね。

    そこで、9月5日=国民栄誉賞の日にちなんで
    9月号MJ30のお題は……
    ズバリ
    「お母さんが選ぶ、お[…]

    • やなせたかし。アンパンマンは甥っ子はじめ、息子3人ともお世話になった。また、歌の歌詞は大人でも考えさせられる深さがあるから好き。バイキンマンを倒すのではなく共存していく世界観はウィズコロナに通ずるものがある!

    • 岩河三郎
      作曲家。部活に打ち込み達成感を得る喜びを知れたのは、心に訴える作品あってこそ。衝撃的な楽曲に会場のすすり泣きがやまなかった。

    • 大橋鎭子さん
      『暮らしの手帖』の創設者。とと姉ちゃん。今もなおいろあせずに続く暮らしの手帖。
      活字離れといわれている今も変わらない内容の濃さ。日本の女性の暮らしを語るのに欠かせない人。

    • もう一つ
      重永 侑紀さん、
      こどもへの暴力防止のプログラムCAPのスペシャリストグループを久留米で1999年に立ち上げ
      現在は、福岡、佐賀、熊本でも活躍中。ゆきさんと話をするだけで元気に、心の支えという子どもたちや親御さんも多い。

    • お母さん大学生の藤尾さおりさん

      障害を持つ子どもを育てている。
      それだけでもスゴイことなのに、さらに里親になった藤尾さん。
      永遠に母として生きる覚悟なのか。
      いや、藤尾さんの、そのまんまお母さんを楽しんでいる姿は尊敬しか、ありません。

      • 藤本さん!!!もう、びっくりで恐縮しかないです(^^;;
        なんと表現してよいやら。。。
        まだまだこれからですが、お気持ちありがたく受けとり、精進いたします( ̄^ ̄)ゞ

    • 横山さん。反則というか、もっとスゴイ人、世の中にたくさんいます。気持ちだけ、ありがとう。でも、よくよく考えたら、世の中のお母さん、みんなにあげたいね。ということは、みんなが、私です!と書いて、先着30人でいいか!! ・・・・・ダメか。失礼。難しい宿題で、ごめんなさい。皆さん、ひねり出してください。

    • 貴江さんに書きたかったことみんな書いてもらったので…!

      夫の友人ベルちゃん。お腹が痛くなるまで笑わせてくれて、いつも人を楽しませることを考えている、心からの良い人。
      ベルちゃんが帰っちゃうと寂しくなる我が家です。

    • 自分の仕事の関係者を投稿するのは。。。と迷いましたが
      私の活動の原点でもあるので

      【世の中の虐待が減る】とISD個性心理学を用い
      親子のコミュニケーションツールを開発された
      服部真人先生。

      自分と子供の個性を統計学で出し分類し
      親子の違いを分かりやすく伝えてくれ
      思いが伝わるコミュニケーションを作ってくれた。

      これに出会うまで
      本当に常にイライラした子育てをしてきたので。

      子供との違いを楽しめる様になったので
      私は服部先生です。

    • 志村けんさん。
      なんと言っても私はドリフ世代!
      姉と毎週楽しみに全員集合を見ていたし、よく笑わせてもらった。
      グループの中で1番若手で、プレッシャーもある中スターの座についた志村さん。
      その後の活躍だけでなく「最初はグー」など、今当たり前に使っているフレーズを生み出したり、何といってもCMで三味線を披露したりミュージシャンの面も持ち多彩な人。
      今のお笑いに大きな影響を与えた人だと思う。

    • 広木克行先生。
      神戸大学の先生なのですが、長く不登校などの親子さんのカウンセラーをされています。子ども劇場のお姉さまに「とにかくいいから聞いてごらん!」とゴリ押しされ初めて講演会へお話しを聴きに行く機会があり、そこでのお話しからの先生の人柄やら、、とにかくすばらしい先生でした。まだ長男一人の時でしたから六年くらい前です、広木先生とのお話しでどれだけ救われたかわかりません。

      広木先生の本は今もふとすると手に取りたくなり、涙が出て、心は温かくなります。

    • 星野源さん
      ・・・ベタですみません(汗)
      めちゃくちゃ悩みましたが、やはりこの人しかいない!
      長いことトキメキやワクワクを忘れていた私に、
      その感情を思い出させてくれた、私にとってはある意味人生の恩人!

    • ジャニー喜多川さん。

      アラフォーの私を一瞬で乙女にしてくれるジャニーズ。
      彼らを生み出してくれたジャニーさんには、感謝の気持ちでいっぱいです。
      昨年亡くなってしまい、、もっとジャニー伝説聴きたかったなぁ。

    • うわぁわたし反則かもしれない。
      だけど、娘しか浮かびません。
      安藤美裕ちゃん。7歳。
      ひとり親でひとりっ子。
      わたしにとってパートナーです。
      いつもわたしに笑いをくれて、
      考えさせられる言葉たちをくれて、
      負の感情にも向き合わせてくれる。
      お母さんらしくないわたしを、誰よりも愛してくれる娘。
      彼女のおかげで、「お母さん」が大好きになりました。

    • 横須賀の子育て世代の味方!
      mam&kids salon 結-Yui-の永井由美さん

      子どもたちを遊ばせながら、母たちはゆっくりお茶が出来る
      そんな所はあちこちある。
      が!ここは違う!
      優しい雰囲気の中、そっと寄り添って下さり、子どもたちが大丈夫そうならどんどん抱っこして下さり、遊びに誘ってくださる。
      カフェなのに、持ち込みもあり。
      ただの遊びのスペースだけじゃないのだ!
      子どもの遊びたい!を尊重してくださるし、お母さんゆっくりしてね!と温かいご飯を温かいうちに食べさせてくださる。
      子どもたちは楽しく遊び、母たちはおしゃべりしたり、本を読んだり、仕事したり。
      まるっと受け入れてくださる、母たちのこんな場所があったらいいな。が詰まっている大切な場所!!

      代表の永井さん、子どもを育てる上で子育て支援が変わっていないと感じ、自分で作ろう!と動いたそう。
      こんなに近くにそんなすごい人がいる!
      私もそんな人になりたい。

      (ここ最近の折々おしゃべり会は、安心して開催出来るこちらで、させていただいています。)

    • 尾畠春夫さん

      一途に「人を救いたい」と行動で示し続けられる姿には尊敬しかない。
      いつも尾畠さんは、ボランティアを「させて頂いている」と仰る、その謙虚さを見習いたい。

    • さくらももこさん
      小学生、中学生の頃、さくらさんの著書を沢山読み元気を貰いました。ほのぼのとした画風でシュールなお話ですが、時々鋭い名言があり、大人になった今読んでもとても面白い作品ばかりです。静岡にはさくらさんデザインのマンホールやバス、テーマパークなどがあり、静岡に沢山の功績を残して下さった方だと思っています。

    • 締め切り過ぎてしまいましたが。。。

      私も藤本さんに1票!
      お母さんはスゴイ!を伝え続けてくれているから。その言葉、新聞や大学の存在に勇気づけられ元気が出たお母さんがどれだけいるか。
      今となってはたくさんのお母さんのお母さん?

      青柳真美さん
      藤本さんを支え続けて、何十年?最強コンビですよね。新聞や大学も青柳さんあってこそ。控えめなお姿が内助の功。

      大島剛先生
      臨床心理士。長男が1歳過ぎの頃、発達が気になっていた時に初めて出逢った専門家の先生。先生との面談で、生活が一変。自分のせいかと落ち込んでいたのを救ってくださった。障がい児親子にとって最初の出逢いがいかに大事かを教えてもらった。

      あと、
      世のお母さんすべてにあげたい。
      看護学生の頃、初めて出産に立ち会った時、涙が止まらなかった。自分もこうして産まれてきたのかと、大昔から人はこうして生まれてきたのかと、なんと「お母さん」というのはすごいのだろう。尊敬でしかない。

    • 高村イトエさん/92歳のお母さん業界新聞読者。新聞を届けると「いつもえらいね~がんばってるね~体に気つけてね~」とお菓子を用意して励ましてくれる。

    • 渋谷直子先生
      書道家であり、私の書道の師匠。小学校3年生からお世話になっていて、今も指導を受けていますが、豪快に書く私の書をいつも褒めて褒めて導いてくれます。書道という自分の表現するツールを私に教えてくれた人。学校や、仕事、生活の中で、落ち込んでいたり、上手くいかない時も、先生との書道の時間で、自己肯定感を高め、私が私でいる素晴らしさを教えてくれます。そして、何よりも先生の書く線が美しく、まさに性格を表すような仮名の作品が素晴らしく、観るだけで浄化されます。

    • 新津春子/羽田空港を5年連続「清潔な空港」世界一に導くカリスマ清掃員。毎日発見で終わりのない楽しい仕事と話す。存在を知ってからは羽田空港に行くたび、お会いできないかとキョロキョロしている私。

    • 国民栄誉賞を辞退したイチローにあげたいです。
      でも、イチローが辞退したのも何となくわかるというか。
      スゴイ人って目立つ人だけじゃないですもんね。
      誰も知らない人にも、スゴイ人はたくさんいるので。
      身近な人で言えば、私の父。
      母を亡くして父から育てられた私は、父の生き方からどんな時でも「何とかなる」ということを学んだと思います。
      どんな苦難にも飄々として生きて来た父。
      いや、そう見えるだけだとは思います。
      まぁ、何とかなるさ。という人生。
      ひとことで言うと、「強くたくましい」
      子どものような生きるエネルギーを73歳になった今も感じれる人。

    • だいぶ遅れてすみません!
      柴田愛子さん りんごの木 代表
      子どもの気持ちをじっくり観察する、寄り添う。
      子どもの気持ちをわかりやすく代弁してくれる。
      かつお話も書くことも面白い!!

    • 遅れて申し訳ありません。

      私は、池田彩さんにあげてほしい。

      ちっごで、お母さん大学活動できてきたのは彩さんのお陰様。お母さん大学生活を深く楽しめてるのは、彩さんのお陰です。

    • 遅れてしまってすみませんが、気持ちだけでも…

      桂小すみ 様!
      素人でも参加できるインド音楽を作曲出来てしまう上に、たくさんのお母さんたちの殻や鎖を外し、新たな力を引き出してくれたことに感謝しています。これからもおもしろいことをたくさん伝えて欲しいです。

  • 編集部 青柳 真美 さんが新しい記事を投稿しました。 4年, 6か月前

    娘に「おばあちゃんから何て呼ばれていたの?」と聞かれ、
    答えられなかった私。

    母に何て呼ばれていたんだろう? 微かな記憶を辿りつつ…
    「ゆうこさん? ゆうこ?だったかなぁ」と答えると、
    そんなことも覚えてないの?と、呆れられた。

    母との思い出は数えるほど。
    今も鮮明に覚えているのは、私が幼稚園のとき。[…]

  • 編集部 青柳 真美 さんが新しい記事を投稿しました。 4年, 6か月前

    蝉時雨木々ふるはせて光堂(平畑静塔)。

     

    懸命に鳴き続けるのは、

    新たな命をつなぐオスの求愛行動であるがゆえ。

     

    成虫になり1週間程度でその生涯を閉じるセミの一生は、

    儚さの代名詞として使われる。

     

    だが「セミの寿命1週間は俗説!」の文字が新聞やネットをにぎわせたのは2016年。

     

    岡山県立高校3年生だった植松蒼さんは、多種類のセミ863匹にマーキングし、15[…]

    • 疑問を持たずに生きてきたタイプなので、何もなしえていないのだなと。
      でも、だからノホホンしあわせなのかもなと。

  • 編集部 青柳 真美 さんが新しい記事を投稿しました。 4年, 6か月前

    8月に入り、ようやく梅雨が明けました。
    とはいえ、コロナで落ち着かない日々が続いています。

    子どもたちにとっても、いつもと違う夏休みですが、
    ご家族で工夫して楽しめたらいいですね。

    さて8月号は「百万母力祭」のメイキング特集です。
    改めまして、7月30日の乾杯イベントに参加してくれた人、応援してくれた人…
    本当にありがとうございました。
    裏話を読みながら、乾杯の余韻に浸ってください。

    そして、そのと[…]

  • 編集部 青柳 真美 さんが新しい記事を投稿しました。 4年, 7か月前

    百万母力祭始まっています。

    zoomに入れなかった皆さんは

    お母さん大学チャンネル

    Liveイベントを楽しんでいただければと思います。

    このあと19時30分は

    一斉に乾杯!

    その後も21時まで続きます。

  • 編集部 青柳 真美 さんが新しい記事を投稿しました。 4年, 7か月前

    乾杯2020百万母力祭「7月30日7時30分の乾杯!」に向けての乾杯ウィーク。
    7/27の夜9時からハハコミルーム
    映画「きっと、うまくいく」を語る会を開きました。

    映画について話す会なので、事前に映画を観た人に限る。
    しかも映画は3時間という長編です。

    お母さんたちに、こんな映画を選んで大丈夫かな?という心配もありましたが、
    もともと映画好きという方、インド映画好きという方はもちろん、
    私にすすめられた[…]

    • 「きっとうまくいく」ありがとうございました。
      映画のシェア会は初めてでしたがとても楽しかったです。
      また、みなさんも好きな話をしだすと、エンジン加速!とてもニコニコして、いい時間だなぁと思っていました。
      第二弾、三谷幸喜の世界、楽しみにしています!

  • 編集部 青柳 真美 さんが新しい記事を投稿しました。 4年, 7か月前

    おはようございます。各地のお天気はいかがでしょうか。

    今日は、私たちお母さん大学が毎年恒例で行っている

    7月30日、7時30分

    がんばっている自分に、夢にカンパイ!

    という 乾杯イベント当日です。

    28回目の乾杯となる今年は、初のオンラインイベントです。

    すでに1週間前からいろいろな企画をやってきましたが、いよいよ本番を迎えます。

    100人のお母さんたちとはZoomでつながって乾杯す[…]

  • 高校時代、横浜駅にできたカレー専門店で、友だちと調子に乗り辛さ3倍のカレーを食べた。家まで帰る途中で冷や汗が出て顔面蒼白になり、ぶっ倒れました。辛さに弱いことを知りました。若気の至りです。

  • 編集部 青柳 真美 さんが新しい記事を投稿しました。 4年, 7か月前

    乾杯2020「百万母力祭」おかげさまで無事いたしました。
    その一部はお母さん大学チャンネルにて公開していきますので、
    チャンネル登録のうえ、お楽しみください。

    7月30日 百万母力祭フィナーレご参加いただく皆様へ

    16時~21時イベント中、紙とマジックをご持参くださるようお願いいたします。
    また明日のドレスコードは「インド」となりました。(直前決定ですみません!!)
    可能な限りでけっこうです。インド[…]

  • 編集部 青柳 真美 さんが新しい記事を投稿しました。 4年, 7か月前

    梅雨が明けたら夏!
    みんなが大好きなカレーの季節です!

    そこで今回は、
    皆さんの「カレーの思い出」を募集します。

    2年前にも一度、このMJ30の宿題で
    「わが家のカレー」について聞きました。

    なので今回は、
    もう少しイメージをふくらませ、
    私や家族のリアルな思い出を中心に
    カレーにまつわる話あれこれとします。

    小学校ではじめての調理実習、
    激辛カレーに挑戦し、死にそうになった話、
    牛肉派[…]

    • 子どもの頃、隣に住んでいた大家族の家で、ごちそうになったカレーが、おいしかったこと、今でも忘れられない。当時、祖母と二人暮らしだったせいか、家族みんなで食べるカレーがこんなにおいしいとは。カレーを食べる度に、その日のことを思い出します。

    • 母方の祖父が作ったカレー。
      市販のカレールーに、
      隠し味として、チョコやらインスタントコーヒーやらソースやら、目分量でどんどん入れていく。
      どんな味になるんだ?とドキドキして見てたが、
      食べてみたらものすごくおいしかった、という懐かしい思い出。

      • しっかり飴色に炒めた玉ねぎ、ホロホロになるまで煮込んだ肉。
        自信はないけど頑張って作るカレー。
        「お母さんのカレーおいしい?」と聞くと、申し訳なさそうに「幼稚園のカレーのほうがおいしいかな…」と答えた息子。
        ガーン、とショックを受けたものの、少し大きくなった今はパクパク食べてくれます。

    • 幼稚園くらいの頃に、母方の祖父に、お城見学に連れて行ってもらいました。姉も一緒で3人だけの初めての旅行でしたが、喫茶店のカレーがとっても辛かったのを覚えています。からいからいと泣きながら食べました。おじいちゃん、子供にはカレーを注文すれば大丈夫だと思ったんだろうなぁ。

      大学の実習で、自分たちで鶏を捌いてカレーにしました。初めの頃はいろいろと葛藤ががあるのですが、解体が進んでいくともうお肉にしか見えなくて(苦手な方すみません)…せせりってここか!とか言いながら美味しいチキンカレーを頂きました。ちなみに夜は焼き鳥バーベキューをして鶏がらスープでしめるのが伝統です。

    • お盆に親戚一同が集まった時に祖母が作ったカレー。
      お盆には、食べ盛りの男の子2人を含め計15人が勢揃い。
      一体どこから調達してきたのか未だ謎ですが、給食用の大きな鍋にたっぷりと作った、子どもが好む甘めのチキンカレー。
      その当時は持病持ちで高齢の祖母が、大勢の来客を迎える事の大変さなど想像すらしていませんでした。なので「えー、またカレー?」と文句ばかり言っていましたが、今思えば大変だっただろうによく毎回準備してくれたな、と今は感謝の気持ちで一杯です。ありがとう、おばあちゃん!

    • 母が不在の夜、父のためにカレーをよそったが、普段使っていない皿でホコリだらけ。でも父は黙って全部食べた。父の優しさが今わかる。

    • 中学生の時の林間学校で作ったカレー。みんなで材料を背負って行って、ワイワイ言いながら作り、ルーが足りなくて味の薄いシャバシャバカレーだったけど、いい思い出。

    • 学童のおやつにカレーうどんを作ると高学年が喜んだ。
      汁の1滴まで飲み干して、残り香に包まれて黄色いお椀を洗う子どもたち。
      今でも時々食べたいと言われるから嬉しい。

    • 小学校6年生の時に参加したリーダー研修。
      レクレーションやテント張りや飯盒炊きなどを教わり、
      みんなで作ったカレーをお昼ご飯に食べた時の美味しさの衝撃が今でも忘れられない。
      シャバシャバカレーなのに、美味しいこと美味しいこと!
      今のところ、人生の中で1番美味しかったカレーです。

    • ●ナスとセロリ、ひき肉のカレーが大好きで、私は作りたくて食べたくて仕方ないのだけれど、子どもはナスが苦手、夫もあまり好まず。いつになったら思う存分楽しめるかな。
      ●辛いものが大好きな夫。カレー屋さんに行けば、激辛を注文。家で子どもたちにあわせた甘口カレーにはスパイスをたんまりかけて食べる。最初はこの人の味覚は大丈夫か心配したり、せっかくつくったのにと納得いかなかったが、今では、どうぞ好きにしてくれと思う。

    • 母のカレーが大好きで、外食でカレーを食べるなんて信じられなかった。最近は、家庭の味とは違うオシャレなカレーもいいな、とたまに食べたりする。でもやっぱり某チェーン店のカレーは食べる気になれない私(笑)
      子どもたちはカレーが大好き。食べムラがあり、いつも献立に悩まされるけど、カレーだったら間違いない。なので、私が飲み会に行く日はカレーを作っていくようにしている。結果、私はなかなか家でカレーを食べられない。私もカレー好きなんだけどな。

      • 我が家の子供達はカレーが苦手であまり食べないので、私のカレーの思い出を綴ります。

        我が家のカレーはいつも違う具材が入っていました。母はまとめて野菜が摂れるから、きっと私たちのことを考えてくれていたんだけど。
        その時、冷蔵庫に残ってる野菜たちがふんだんに…..
        なす、かぼちゃ、ピーマン、パプリカ、豆類など…..
        毎回味が違うので本当のカレーの味はどういうものなのか?
        ノーマルなカレーにはなかなか出合えませんでした。

        唯一給食のカレーが定番で安心して食べていました。

        そんな毎回味も違う具だくさんだったカレーの思い出です。

    • 【こっちはただのカレーの思い出】
      独身の頃、よく5人グループで遊んでいました。その内の一人S君はカレー好きだったので、彼の誕生日にペアに別れてカレー対決をしました。
      私は、ほぼほぼ料理ができなかったので、(;A´▽`A
      ペアになったK君が『俺の母ちゃんが作ったトマトカレーが一番美味しいから』と言うので、K君ちの母ちゃんカレーを持ってきてもらいました。K君ちのトマトカレー、ホントに美味しかった。

      もう一人のペアはスパイスを駆使し本格的なキーマカレーを作ってきました。

      S君のお口に合ったのは、誕生日会に食べるにはキーマカレーで、日頃食べるのはトマトカレーとのことで、カレー対決は、引き分けに終わりました。

      S君は、昨年、病気で亡くなりました。今だったら、ペアにならなくても、みんなそれぞれ作れるようになったから、二種類じゃなくた、4種類のカレーを作って誕生日会できるのにな。。。

      カレーは、しょうもないことで、大笑いしていた頃の青春の味です。

    • カレー大好きな息子、センター試験の日にカレー弁当を希望。早朝からカレーをつくり、スープジャーに入れて。会場ではカレーの香りに大注目されたらしい。

    • カレーが好きでなかった私。でもするめや刺身、つまみ系は大好きで、父の晩酌のご相伴にあやかってたなぁ〜よく考えたらそうするためにカレーを嫌いにさせられたのかも?!末っ子一人娘の私です。

    • 横須賀から佐賀経由で鹿児島まで、家族で車に乗って帰省。
      2日かけて車移動の旅はサービスエリアの休憩がお楽しみ…!美味しいもの食べまくるのに、移動2日の中で必ずどこかで食べるSAのカレー!未だにSAのカレーをみると、父に食券買ってもらって食べた思い出が蘇ります。

    • カレー/福田有子
      小学生の頃のカレーは、まぁるく盛ったご飯の上にルーがかかっていた。我が家ではてっぺんを窪ませ生卵とソースをかけ、かき混ぜかき混ぜ美味しかったな。

    • カレー/福田有子
      土曜日のお昼は決まってカレー。私の家族は曽祖父、祖父母も同居の8人家族だった。食卓は魚や煮物ばかりだったが、土曜日だけはカレー。下校時はスキップして帰ったなぁ。

    • カレーの思い出は結婚式の手紙で読みました(笑)
      母が亡くなって、料理をしたことがなかった父が作ったカレー。
      水が少なくてルーが固まってて、焦げてるとこもあって、ものすごく不味かった。
      でも、いつも天やものは絶対買わずに手料理を毎日作って食べさせてくれてました。
      なので、不味くても全部平らげてました。
      今では料理上手の父。
      大きく育ててもらって感謝です。

    • すみません、代理登校します!

      小林 さつき
      次女は、私が作る普通のカレーライスが大好きです。 (じゃがいも、玉ねぎ にんじん何かのお肉)保育園の帰りに「今日は、カレーだよ。」と話すと「やったー‼️かっかのカレー大好き‼️」と喜んでくれます。数ある料理の中で一番好きと言ってくれます。

    • 結婚して2年目の時、2年間毎日ご飯を一生懸命作ってきたので気に入った料理を教えてもらおうと主人に「今まで作った料理で一番美味しかったの何?」と聞いたら「お母さんのカレー」と言われて凄いショックを受けたのを覚えています。
      私が作った料理の中でと言わなかった自分も悪いけど、、
      お母さんのカレーには何を作っても敵わない。

    • カレー!三食カレーでも良いぐらい大好きなカレー!
      母は、玉ねぎ3個をみじん切りし、1時間ぐらい炒める。
      野菜の甘みたっぷりのカレーが大好き‼️
      また作ろう。
      カレー食べると、心から元気になるね!

    • もう一つカレーの思い出。
      長男6歳の誕生日。
      「夜ご飯、好きなの作るよ!何が良い?何でも良いよ!」
      「ん〜じゃあカレー!!」
      「え!?カレー!?もっと他のでも良いとよ!?」
      「いや、絶対カレーが良い!」
      えー、なんかそんなので良いんだ…と思ったのですが、
      当日、いつものハウ○バー○ントカレーを作ると
      「やったー!!」と大喜び。
      親の心子知らず、子の心親知らずです。

    • 高校時代、横浜駅にできたカレー専門店で、友だちと調子に乗り辛さ3倍のカレーを食べた。家まで帰る途中で冷や汗が出て顔面蒼白になり、ぶっ倒れました。辛さに弱いことを知りました。若気の至りです。

    • 子供用のカレーなんてことはなく子供の頃から大人と同じ辛さでそれを一生懸命辛くない!!!と言いながら食べてました 特に父は辛いもん大好きだったのでとにかく辛いカレーが我が家のカレーになりました

    • ※間違えて、天野さんへの返信として書き込みしてしまったのであらためてこちらに書きます

      しっかり飴色に炒めた玉ねぎ、ホロホロになるまで煮込んだ肉。
      自信はないけど頑張って作るカレー。
      「お母さんのカレーおいしい?」と聞くと、申し訳なさそうに「幼稚園のカレーのほうがおいしいかな…」と答えた息子。
      ガーン、とショックを受けたものの、少し大きくなった今はパクパク食べてくれます。

    • 智原さんとかぶっていたので、再提出。
      ①名古屋に住んでいた時には、ココイチによく通いました。ココイチ独特の味が好きでした。福神漬けたっぷりで食べるのが大好き。静岡へ来てからはめっきりココイチへ行かなくなって、数年前からは、インドカレー屋さんでナンといっしょに食べるのが好きになりました。
      ②思い出ではないんですが、最近わが家でつくるカレーは、子どもたち用のご飯は型でうさぎやくまにして、カレーの上に型どったご飯をのせているので、カレーライスではなく、ライスカレーになっています。→定義があるのかは知りませんが、ご飯の上にカレーではなく、カレーの上にごはんなので、気持ち的に…です。

    • 実家のカレー。料理はあまり得意でない母ですが、カレーはいろんなルーや香辛料を混ぜて毎回違う味なのにおいしかったです。辛いもの苦手だったけど母のカレーだけは辛くても食べられました。

      大学時代。学生食堂がいくつもありましたが、そのうち1つが通称「貧食」でメインはカレー(他のメニューも丼ものくらいしかない)。超安い。だから貧乏学生向け食堂=貧食。今は建物自体なくなり残念ですが数年前にOBOGのため?レトルトで復活してました。

    • あれは小学生の頃。サバイバルキャンプに参加して、夕飯は定番のカレー作り。引率のレクリエーションの先生は、真面目な顔をして、「今日のカレーは、肉はさっき捕まえた蛙の肉を使います!」とみんなに告げました。
      あちこちで起こる悲鳴!勿論それはどっきりで、本当は鶏肉を使っていたのですが、出来上がったカレーをみんなで恐る恐る食べたのは、今でも忘れられません。あれは、蛙ではなかった…はずです…。

    • 【おつカレー】

      つわりで、体も心も疲弊しきっていた時、仕事からヘロヘロになりながら家に帰ると、カレーの匂いが。。おや?と思ってリビングへ行くと、
      ( ☆∀☆)!キャー!!!会いたくて、話を聞いて欲しくて、(i_i)\(^_^)よしよしってして欲しかった、親友のあゆちゃんが、台所でカレーを作ってくれていました!
      弱りきった私を元気付けようと、旦那がサプライズで私の親友を呼んでくれていたのです。
      あんなに活力をもらえたカレーは、他にないなぁ。

    • 「カレーは外で食べるな!」この言葉は結婚する前に私の母から言われた言葉です。今となっては何故そう言われたのか亡くなったので聞けませんが、私の中では母の「自慢のカレー」だったからだと信じてます。偏食ぎみで野菜が嫌いな幼少期でしたが、カレーに入っていればどんな野菜もモリモリ食べることができました。だから、子供の苦手なものをカレーに入れるようにしてます。母のカレーは、甘口と中辛のルーにチョコとすり下ろしたリンゴを入れてたのを覚えてます。具材で珍しいなと思ってたのが、祖母のカレーの具にインゲン豆が入ってたこと。彩りもきれいだったので、私もインゲン豆がある時は入れてます。カレーライスは、親にとっては子供に野菜を美味しく食べてくれる「栄養満点のラクチンご飯」そして、子供にとってはどんな野菜が入ってても平気で食べられる「無敵のご飯」だなーってつくづく思います。

    • 我が家では、「カレーの日」=「母が夜不在の日」もしくは「1日多忙な日」。
      長男が4歳の頃から、野菜と肉を煮込んでおくと、自分でお鍋を温めてカレールーを入れるようになりました。
      夫よりも息子の方が先にカレールーの量を調整しながら仕上げられるようになり、今は四男と次男(見守り)の役目です。
      カレールーを入れるって、子どもにとってはとても魅力的なんだなぁと思います。

  • 編集部 青柳 真美 さんが新しい記事を投稿しました。 4年, 7か月前

    いよいよ7月30日百万母力祭に向けてカウントダウンが始まりました。

    乾杯ウィーク7/23~29のハハコミルーム時間割を発表し、
    参加申込みの受付が始まりました。

    そして、7月30日には、
    「マザーリポート」(お母さん白書)を発表!
    その重要なコンテンツの一つがこのアンケートです。

    お母さん業界新聞&お母さん大学サイトで発信していくほか、
    WEB出版も考えていますので、どうぞよろしくお願いします。[…]

  • 編集部 青柳 真美 さんが新しい記事を投稿しました。 4年, 7か月前

    ◆ボリウッド映画「きっと、うまくいく」を語る会
    日時:7月27日(月)21:00~23:00
    対象:映画好きな人どなたでも。但し、事前に映画を観た人に限る
    形式:トーク&トーク(みんなでおしゃべり)
    進行:青柳真美(お母さん大学本部)

    ◆主な内容
    ボリウッド(インド映画)の傑作『きっと、うまくいく』は、笑って泣けるコメディ映画。
    年齢問わずどなたでもご参加いただけますが、事前に映画を観た人のみが参加できる会で[…]

  • 編集部 青柳 真美 さんが新しい記事を投稿しました。 4年, 7か月前

    お母さん大学恒例「お母さんの夢に乾杯イベント」。今年ははじめてのオンライン開催。
    7/23~29を乾杯ウィークとし、迎える7/30はどんな乾杯になるのだろう。
    メインコンテンツの一つ「はじめての日手話歌」プロジェクトを紹介。
    全国のお母さんと心ひとつに乾杯するために…。詳しくは、お母さん大学サイトで。
    二度と戻らないあの日
    「はじめて小さな命が宿った日を覚えていますか」「はじめて胎動を感じた日を覚えていますか」と「は[…]

  • 編集部 青柳 真美 さんが新しい記事を投稿しました。 4年, 8か月前

    お母さん大学恒例
    毎年7月30日は、
    お母さんの夢に乾杯する日。
    お母さん大学の本部がある横浜に
    全国のお母さん大学生が集まる日でもある。

    ある人は、乳飲み子を抱えて飛行機に乗り
    ある人は、後ろ髪引かれる思いで
    子どもを家族に預けて一人新幹線に乗る。
    少しの勇気と家族の応援を胸に抱いて。

    横浜に来られない人は
    自宅や、お気に入りの場所で
    みんなと心をひとつに乾杯をする。
    そんな、特別な日。[…]

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