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池田美智子さんがんなことあるかい(笑)💦ウソ(|| ゜Д゜)あった!!!でコメントしました。 5年, 5か月前
ええ~!!!
次女ちゃんのつぶやきから、RENさんの検索行動により知ることになった初めてのシシャモ事情。
知らないでいることが五万とあるんだな・・・と改めて恐れ入ります。 -
池田美智子さんが北大阪しまママ版2019.5月号❣️でコメントしました。 5年, 5か月前
思わず笑ってしまいました!
6月もついでにあげてね。
頭も体もフル回転しているもんね、時間が足りないよね。
そばでそれを感じていながら、気力が落ちていく私を許してね。(笑)
7月横浜乾杯につみさんと参加して、気合いを入れなくては・・・です。
7月の折々会近づいていますが、よろしくお願いします。 -
池田美智子さんがリュックが上か、抱っこ紐が上かでコメントしました。 5年, 5か月前
便利に機能的になってきたはずのグッズに、やっぱりまだ不便を感じる面白さ。
でもお母さんはいつの時代でも悩みながら前進していく。(笑) -
池田美智子さんがお母ちゃん、ちょっと頑張りすぎやで。でコメントしました。 5年, 5か月前
ええ~、と思わず声をあげています。
縁をつないでいたお腹の赤ちゃんだったんだな~と。
娘も何とか今までは順調に育っているので、令和生まれのお仲間ですね。
おめでとうございます。 -
池田美智子さんが慣れない土地で暮らす息子が病気に。青ネギないやん?!でコメントしました。 5年, 5か月前
誰のことだかはすぐにわかったけれど、もう3年もたつんだ・・・と月日の速さを感じました。
思い出しましたよ。東京近辺ではネギと言えば白ネギだったこと。
青ネギが当たり前だと寂しい気がしますよね。
私は息子が自立してからは一度も行かせてもらったことがなく、最近ではますます遠くにいる人物と化しました。(笑)
掃除、洗濯だけで随分スッキリとなれたはずです。
いざとなれば誰かが助けてくれる体制は作っておくのが母ならではだと思います。 -
池田美智子さんが横須賀支部物語~イベント開催までの道のり~でコメントしました。 5年, 5か月前
優さんからの手紙に触発されて一緒に頑張ったこの経験は、これからきっと自分の力に加わりますね。
横須賀メンバーにも会いたいと思って乾杯に申し込みました。
お会いできますように。 -
池田美智子さんが横須賀支部物語~イベント開催までの道のり~でコメントしました。 5年, 5か月前
やっぱり優さんの行動力が今の横須賀メンバーに仲間づくりに結び付いているんですね。
数年前、横浜乾杯で田中委員長が頑張っている時、優さんがキラッと光る若手だというのを知ったんです。
横浜乾杯、今年は行きます。
お会いできますように。 -
私も朝が弱いことで子どもの頃から父から厳しい言葉を投げかけられていましたよ。
高校生の時母から病院に行くように言われて診断名は「起立性失調」と言われて終わり。(笑)
今ではネットでも出てきて納得していますが、立ち眩み、低血圧、貧血と症状は重なって最悪は更年期の時でした。
呼吸法などで自律神経も整えるように意識することをお勧めします。
私も子育て中は朝が辛くて、朝食はパンと牛乳と?を食べさせながら残り物をメインにした弁当で精いっぱいでしたよ。
だから夜ご飯はまともなものを出しておりました。
そんな人間にとってキャラ弁なんて見て楽しむものの世界です。 -
池田美智子さんがお母さん業界新聞 わたし版 秋月版7月号でコメントしました。 5年, 5か月前
ずっと中村一家のドタバタを記事で読んできたファンとして、「この6年間よく頑張ったよね!」です。
4年生長女の手ごわさに親は鍛えられ、姉妹も鍛えられながら育つ未来を応援していきます。 -
池田美智子さんが教育虐待という言葉の出現でコメントしました。 5年, 5か月前
あれもこれも・・・と情報化の洪水の中で溺れそうな親子も出てくるんだろうなと思います。
だからこそ私は子どもが育つには順番があって、それは人間の土台作りを間違わないでねと言いたいのです。
産まれ落ちて1年間は親からの無条件の愛を与える事で、愛着関係ができるということ。
それは親子の信頼関係の始まりであり、好奇心が芽生えて次々に生きていく世界の探索行動へと発展していき
親との言葉のやり取りによって物には名前がついているなどを知り・・・と発達をしていくわけで、好奇心の芽を摘まないように
見守る待ちの姿勢が必要で、それが満たされてこそ子どもは広い世界に更なる興味を持つようになるんですからね。
発達順序には準備期間(レディネス)を無視していくことが子どもをスポイルするのだということを知って…[ 続きを読む ] -
池田美智子さんが教育虐待という言葉の出現でコメントしました。 5年, 5か月前
私は近代化の中において教育はシステム化されたいったのだという思いを持つのです。
本来ならシステム化なんて考えられないのが教育なんですから。
それは国民がシステム化したわけではないですよね。
国が行うわけですから、その国が民主主義国であるはずの日本で教育虐待という言葉が生まれたということで
私は子どものためにという名の裏側にある親の問題を気付かなければいけないということを言いたいのです。
虐待は命に向き合うことを国民が意識させられていると思っています。
この問題は流され続けてきましたからね。 -
池田美智子さんが新聞=お母さん新聞の認識です。でコメントしました。 5年, 5か月前
子育ての楽しさ、大事さを知っているお母さん達が増えていく新聞だということを
きっと幼稚園の先生方は読んでくださっていると思います。
新聞を通して再度斎木親子を感じてもらえますね。 -
池田美智子さんが横須賀支部物語~イベント開催までの道のり~でコメントしました。 5年, 5か月前
田中編集長時代に頑張っておうちカフェをされていたのをしっかり記憶しています。
先輩が頑張ってくれたあと、そこに来ていた仲間との解散はあまりにももったいない・・・
それがあったからこその再結成につながったのじゃないかなと推察しました。
横須賀にお母さん大学があったから子育てを一緒にできる幸せになってきましたね。 - さらに読み込む
みっこさん。 教育システムという言葉に問題を感じませんか?
人を育てる事はシステムではなく育む行為ですね。
教育を社会の問題と位置付ける必要もあるでしょうが、政治・経済だけで問題視できません。
もちろん現実の問題は政治・経済によるところが大きいですが、虐待に関しては 命の問題や人権の意識の薄さに端を発して居ると思われます。世界いで虐待の法律が整備される中、日本ではやっと気付いたところです。
問題を上から見る視点も大切ですが、下から見る視点も必要かと。
戦後教育は確かに問題を多く孕んでいます。 今からでも検証して基本的人権からの視点で考えてみたいですね。
私は近代化の中において教育はシステム化されたいったのだという思いを持つのです。
本来ならシステム化なんて考えられないのが教育なんですから。
それは国民がシステム化したわけではないですよね。
国が行うわけですから、その国が民主主義国であるはずの日本で教育虐待という言葉が生まれたということで
私は子どものためにという名の裏側にある親の問題を気付かなければいけないということを言いたいのです。
虐待は命に向き合うことを国民が意識させられていると思っています。
この問題は流され続けてきましたからね。
人間はある程度の方程式の中に当てはめれば、
ある一定の能力を持つ。
そんな、近未来のSFサスペンス映画にも思えてしまいます。
子どもにさせておくべき習い事や、
子どもに習得させておくべき技能や知識、
そんなことばかりが母親を始め子どもの保護者に渦巻いたら、危険すら覚えます。
僕の生まれてきた意味は何か。私の生きる道はどこか。
そんなことに迷う子どもが、もっともっと増えそうで。
子どもに、どんな人生を歩ませたいかではなく、
子どもが、どんな世の中で育ったら幸せか。
大人たちが、考える道を誤りませんように。
あれもこれも・・・と情報化の洪水の中で溺れそうな親子も出てくるんだろうなと思います。
だからこそ私は子どもが育つには順番があって、それは人間の土台作りを間違わないでねと言いたいのです。
産まれ落ちて1年間は親からの無条件の愛を与える事で、愛着関係ができるということ。
それは親子の信頼関係の始まりであり、好奇心が芽生えて次々に生きていく世界の探索行動へと発展していき
親との言葉のやり取りによって物には名前がついているなどを知り・・・と発達をしていくわけで、好奇心の芽を摘まないように
見守る待ちの姿勢が必要で、それが満たされてこそ子どもは広い世界に更なる興味を持つようになるんですからね。
発達順序には準備期間(レディネス)を無視していくことが子どもをスポイルするのだということを知ってほしいのです。
優さんはご存知だと思うのですが、子どもがまだその時期ではないのに先取りしていくことの問題ですね。
教育と虐待は無縁では有りません。
戦前の教育が何の批判もされずに 躾と同義語になってしまいました。
若かりし頃、熱血先生がもてはやされ 青春ドラマが流行りました。
今流行りの「ボ〜ッと生きてんじゃないよ!」も5歳の少女が設定ですが、子どもはボ〜ッとして居るものです。
大人もそんな時間が必要なのです。 必要な時間にボ〜ッとしているのは良いのでしょうが、大切な時間にされては時間の無駄。
集中して欲しい、するべき時にできない時にイライラして罵詈雑言や暴力となるのでしょうか。
世界全体が暴力を規制するのは、人権を守るためです。
発達段階での暴力が助長する事も考えられます。どちらもを知って、自らをコントロール出来る人間を育てたいものです。
保育園が教育機関と言えるのかは問題ですが、少なくとも 集団の中でこそ早いうちに自己をコントロールし、他者と自分の人権に配慮出来る場であって欲しいものです。