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田中清美さんが1月17日は何があったか知っていますか。でコメントしました。 6年, 10か月前
なかなか話す機会が無かったのですが、地域のつながりとか助け合いとか、お母さん大学の活動につながるのかなぁと思っています。この貴重な経験をお話出来るよう、まとめてみたいと思います。
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田中清美さんが子どもといると楽しいね。「“う”の幸せ」でコメントしました。 6年, 10か月前
ほのぼのとした気持ちになれました。
ありがとうございます! -
田中清美さんが福岡県小郡市、折り込み会報告でコメントしました。 6年, 10か月前
市長さんが来られたのですね!
すごいことです。
お母さんの現実を生で伝えることが出来て良かったですね!
「折々会の意味は参加するお母さんたちが見出すもの」
本当にそう思います。
素敵な会が続くよう頑張ってください!
横須賀でも、折々会続けています! -
田中清美さんが夜な夜な、プロジェクト会議でコメントしました。 6年, 10か月前
池田さん、お疲れ様でした。
いろいろみんなと腹割って話せてよかったね。
まだまだな部分はこれから一緒に頑張りましょう! -
田中清美さんが本当のフリースタイル出産(ちっご版2018年1月号おっかしゃんリレー)でコメントしました。 6年, 10か月前
すごい経験です!
やっぱり、「お母さんはスゴイ!」を実感する記事ですね!
読んでいると、その場のバタバタ感が想像できます。
本当にスゴイ! -
中2の息子。
「髪が伸びたから散髪して」と。
我が家の子どもたちは生まれてこれまで私がずっと散髪していた。
19歳の娘も、高校卒業までは私がカット。高校卒業してから初めて美容院に行った。
それはさておき
中2の息子。いつものように私がカット。と言っても、バリカンで適当に。
そしたら学校から「この髪型はツーブロックで、散髪してこい」と言われたらしい。
そして再度散髪。そした[…]
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男子の髪型って細かい指定があるんですね。
でも、この写真モヒカン?
モヒカンの定義がわからない。
それにしてもみんなの散髪屋さんまでこなす田中さん。
器用ですね〜。 -
朝に言うので、お弁当作ってからの散髪はバタバタでした!
それにしても、モヒカンって言われたのにはビックリでした。 -
散髪お疲れ様でした(^^;
先生も、まさかお母さんがやったと思ってなかったのかな?
笑ってしまいました! -
そもそも「ツーブロック」はなんでダメなのか?
の説明がないよね!
そしてモヒカンもなんでダメなのか〜笑そういう学校の教育が
個性を潰す気がしますけど!皆と同じじゃないとっていう
日本人にありがちな…ね。私はそこが疑問です。
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同感です。
ダメとだけ言うのは母にも出来るので、
教育者の先生方には、きちんと説明して教育してほしいです。
田中さん、朝のバタバタの中、お疲れ様でした…
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田中清美 が「おんぶ研究室 曽我ゼミ」グループに投稿しました。 6年, 10か月前
曽我さん、おんぶの良さを発信、素晴らしいです。
私も関わらせてくださいね! -
田中清美 が「おんぶ研究室 曽我ゼミ」グループに参加しました 6年, 10か月前
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田中清美さんが探し物が見つかりました。夢の中へ行けそうです!でコメントしました。 6年, 10か月前
思い出の一ページを見ると、そのころの気持ちに戻りますね。
お母さんの大事な宝物。見つかって良かったですね! -
田中清美さんが娘による実家の片付けでコメントしました。 6年, 10か月前
>「お母さん大学に時間を作るくらいなら自分の仕事ができるやろ」
その言葉、私も娘に言われます。
わかっているんですがね~~~みっこさんの記事を読んで、「私だけじゃない」と少し安心しました。
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田中清美さんが「母さん記念日」~親離れは突然に。でコメントしました。 6年, 10か月前
私も、忙しい日々を過ごす中で、つい子どもが日々成長し続けていることを、見逃してしまいます。
そして、子どもからのメッセージで気付かされています。
いつの間にこんなに成長したんだろう~と。
たくましくなっていく子どもの姿は嬉しいけれど、寂しい気持ちになりますね。 -
田中清美さんが80年のうちのたった3年でコメントしました。 6年, 10か月前
ご出産おめでとうございます。そして、お疲れ様でした。
赤ちゃんの可愛さは、ひとしおですね。
家族が増えて、これからの楽しい未来が想像できるような記事に、胸がいっぱいになりました。
いっぱい抱っこして、楽しい時間過ごしてくださいね。 - さらに読み込む
田中さん
あの震災を経験したんですね。
関東は何の揺れもなかったので
朝テレビを付けて、画面にうつる世界に
呆然としたこと覚えています。
何が起きたのか、それが現実なのか
無残な町の姿に、言葉もありませんでした。
まだ鮮明に脳裏に焼きついている光景から
23年もたってしまったのですね。
大変な体験をした田中さん
今度話をお聞きしたいです。
昨夜,NHKで震災遺児の追跡番組を見ました。
孤児はいなかったのかな…と戦災孤児という言葉と重ねてみながら。
戦災と震災は大きな違いがありましたね。
大阪に出ればいつものネオンきらびやかさがあって・・・という話が当時出ていましたから。
その戸惑いと同じ日本の中で大きな穴に落とされた気分になったであろうことを思い描いました。
話を番組に戻すと、取り上げられた遺児はそれぞれに頑張っていて胸に突き刺さるような部分もありました。
強烈だったのは当時両親を亡くした女性がお産の時に「パパとママに会いたいよ~」と泣き叫んでいた場面です。
そしてその後二人の娘を育てながら、ずっと自分の生きる意味を問い続けながらいつ両親に会えるだろうか・・・という思いも
出てくる様子で、それを長女が祖母から聞かされていることもあり気遣っているのでした。
他に出てきたのは男性たちでしたが、やっぱりそれぞれに自分が生き残った意味を問い続けているんですよね。
今の時代は恐らく生きていくということの問いをどこかで思いながら育っていく子ども達も増えているのではないかな・・・と
それをチャンスに考えながら大人は一緒に学習していけばいいなと思いました。
田中さん、1月17日の震災の時、神戸だったんですね。
私にも、よかったら、その時のお話をお聞きかせください。
主人が、震災の後、神戸に仕事の関係で行き、ものすごくショックを受けていたのを思い出します。
その時のことを主人は話したがらないです。
清美さん、教えてくださりありがとうございます!
あー、反省反省です。
なんて私はダメ母なんだろうー
17日、我が子の通う小学校で避難訓練がありました。
前日から子どもたちがハンカチを持って行かなきゃと準備していて、
雨が降るかもね~なんて心配していたのですが、
雨の心配とかじゃなく、大切な話をしなくちゃいけなかった~
きっと、学校でなんでこの日にするのかは話があっていると思うので、
今日にでも子どもたちともう一度話してみようかと思います。
ぜひ今度お会いした時にでも、私も聞かせてください!
なかなか話す機会が無かったのですが、地域のつながりとか助け合いとか、お母さん大学の活動につながるのかなぁと思っています。この貴重な経験をお話出来るよう、まとめてみたいと思います。