お母さん大学は、“孤育て”をなくし、お母さんの笑顔をつなげています

植地宏美

  • いいっ!
    そして、みんな意外とサングラスとかしてきて、なんならカツラとか用意して、
    不思議なフェス、やってほしいな〜〜!

  • 植地宏美さんが君が側にいるとでコメントしました。 3年, 10か月前

    なーんか、もうすっかりお兄ちゃんに見えるのは気のせいでしょうか。リュックなんて背負っちゃって…。
    愛おしいね、本当に!
    大丈夫、もう朋ちゃんは、お仕事始まっても、お母さんを楽しめるよ。
    最高よ!

  • 浜省さん、呼んじゃえばいいのでは⁈
    いいなー!
    楽しいこと、やったもん勝ちですよねー!

  • 植地宏美さんがはじめまして!でコメントしました。 3年, 10か月前

    前田さん、はじめまして!
    なんとっ!
    お母さんでもお父さんでもない大学生、ものすごくうれしいです!
    ようこそ、お母さん大学へ^_^

    学歴もないしお金も稼げない私ですが、
    母歴と母力は負けられません(笑)
    私も前田さんから、たくさん勉強させていただきたいです。

    よろしくお願いいたしますー!

  • 植地宏美さんがホワイトデーとはでコメントしました。 3年, 10か月前

    むは〜〜、お口の周りもホワイトデーだわね〜。
    ってか、いちごの白いとこって?ヘタのとこ???
    お母さんって、辛いわぁ。

  • 植地宏美さんが朝のモヤモヤでコメントしました。 3年, 10か月前

    言っちゃうね…
    大丈夫、美味しいおやつ用意して待っておこう♡

  • 植地宏美 さんが新しい記事を投稿しました。 3年, 10か月前

    昔懐かしい木製サッシのガラス戸。
    横浜で唯一の黒板製造販売店「荒井黒板製作所」は、横浜の教育の歴史とともにこの町に存在してきた。
    1970年代の団塊ジュニアの就学期には、学校の建設ラッシュに黒板はいくらつくっても足りなかったという。

    黒板といえば、先生がチョークの色を変えて漢字の書き順を教えてくれたこと、
    達筆すぎて読めず必死で板書したこと、授業参観で指名されドキドキしながら数式を書いたことなど、
    学生時代の記憶[…]

  • 植地宏美 さんが新しい記事を投稿しました。 3年, 10か月前

    子育ては「はじめての日」の連続。
    お母さん大学の歌にもある。

    普段なら、朝のバタバタの時に思い出して、
    「ああ〜〜!あと5分待って!」と子どもを待たせてアイロンをかけるのに、
    なぜか今日は、
    真夜中に思い立ってアイロンがけを始めた。

    ハンカチにかけて、ワイシャツにかけて、
    ふと、残った大物、白衣を見て手が止まった。

    もしかして、最後の給食袋へのアイロンがけでは?

    末っ子は、いつまでたっても小さ[…]

    • 植地さん

      そんなに長いことアイロン掛けやっていたんですね!お疲れ様でした。
      さいごの日ってどうしても哀愁がこもっちゃいますよね。
      白衣のアイロンさいごの日は、アイロンをしなくて良くなった、『はじまりの日』
      こんなことができるようになったから、お母さんの手助けがひとつ免除になった日。
      あー、でもこれもうれしいようで寂しい。
      子どもが手掛からなくなるのは、楽でもあり、これから先のまた苦でもありますね。
      他の悩みがまた浮上するんだもん。

      • 田端さん、ありがとうございます!
        私、面倒とか言いながら、家事の中で一番好きなのがアイロンがけです。
        ほかのは、もっと面倒(笑)

        私自身は小学一年から自分でアイロンしてたので、
        白衣アイロン歴、通算21年です。

    • やだやだ泣けるー!!
      私はまだ白衣のアイロンがけ歴2年です。
      末息子が小学校卒業まで、あと、10年かけ続けることになるんだ!
      いつか終わりはくるんですね。
      その時は同じネタで記事を書きたいな。

      • そうだよ、みんな同じ道、だけど、みんなの感じ方は違うはず!
        同じ部分もありつつね。
        こんなことも、書くお母さんでなければ、気がつかずに流れていったこと。
        本当にお母さん大学って、すごいなって思います。

    • 切ない気持ちになりました。
      もう末っ子くんまで中学生に。早い早い。早すぎます。
      私の中では、まだまだ3人とも小さなままなのに。
      末っ子くんは、取りですもんね。
      小学校の卒業式も最後なんですね。
      はじめての日は嬉しくて、さいごの日は切なくて、どちらも忘れたくない記念日ですね。

      • はじまりがあれば、おわりがあるんだもんね。
        それを繰り返して、みんなで成長していきたいな。
        明日は卒業式!いってきまーす。

    • 子育てでは、何度も色んな卒業を経験しますね。
      1つ1つが切ない。
      最後の一行がほんと、そうなんだろうなって思います。

      • 卒乳とか、卒おむつは、笑顔の卒業だったけど、
        子どもの年齢が上がるにつれて、残る卒業が、私の元を去る時かしら…。

  • 植地宏美さんが神様へでコメントしました。 3年, 10か月前

    なんて純粋な。教えられるね〜。
    そして、コロナウイルスなくなるといいね〜。
    50円に世界の平和を託そう!

  • あの時は、本当にすっかり忘れていた自分にびっくりしました。
    きっとほかのお母さんたちは、真っ先に学校に電話したのだろうな、とか、
    保育園に向かったんだろうなって思いました。
    今は、もし、何か大きな地震があったら、とにかく生き抜けと伝えています。
    自分でなんとかしてって伝えています。

    お台場にいたのね。帰宅が大変だったのでは。
    いろいろ忘れていることありますね、防災グッズだって持ち歩いていたこともあったのに。
    今一度、しっかりと、ですね!

  • 普段は忘れがちなのですが、やっぱりまだまだ心の中の特別な部分を占めていますよね。
    時にはいろいろ想いを整理して、
    これからの生き方とか、暮らし方にももしかしたら関わってくるのかもしれないです。
    あの日のマザーリポートがあるとしたら…想像するだけでつらいですね。でも、読みたいとも思う。

  • 次女さん、お誕生日おめでとうございます!

    あの日家にいたのですね。
    毎年巡ってくるこの日にまた、書いて、教えてください。
    一人で、頭の中で考えるよりも、みんなで少しでも思いを寄せられたら、いいなと思いました。

  • 植地宏美さんがコジカに会える場所…でコメントしました。 3年, 10か月前

    私はこれからコジカっていうことにするわ〜気に入りました!
    その方が繁盛しそう!
    コジカ、かわいいな〜〜!
    予防接種もコジカに会えるなら渋らないと思う〜♪

  • まさか。
    そう思っちゃうのね。
    お母さんはみんな同じ強いと思うけど、
    経験とともに、豊かになるね。
    だから、悲しいことも、うれしいことも、人生が豊かになることだと思えば、
    毎日それを与えてくれる子育ては、本当に素晴らしなって、感じます。

  • 前に進まなければならないけれど、同じことを繰り返してはいけないものね。悲しいことならなおさら。
    みんなでこうやって思いを交わせることが大切だと思いました!

  • 田端さんの記事も読みました!
    本当に普段は忘れてしまっていることが、ちょっとしたことで鮮明に浮かんできます。
    さあ、またここからがんばって暮らしていきたいと思います。

  • そうだといいなぁ。
    子どもを忘れたなんて知ったらグレちゃうな笑
    でも、じいじの心配したからという理由なら許してくれるかも。

  • 先生には本当に感謝しました!
    だって、普段信頼しているからこそ、あの日、忘れたんだと思うの(言い訳かな)。
    安心して預けることができていたから。
    家族がバラバラになるなんて、想像もしないで暮らしていたよね。
    そうですね、忘れない、時々思い出す、そして、大切にする。

  • あいつ最悪だと、今は呆れていると思います。
    もう少し経ったら、笑ってくれまいかと…

    父は、震災のあった翌年に突然この世からいなくなってしまいました。
    思えば父になんでも相談してきたので、
    今でも、話がしたいなぁと、思ったりします。

  • 植地宏美 さんが新しい記事を投稿しました。 3年, 10か月前

    10年前のこの日、横浜もものすごい揺れに襲われた。
    私は職場にいて、入ってくる情報に対応していた。
    テレビではヘリからの中継が凄まじい映像を映し出していた。
    当時働いていた職場は千葉から宮城県の主要港数カ所に拠点があり、
    まずは全員の安否確認に追われた。

    でも私は、大型のトラックが押し流される映像を見た瞬間から、
    父のことばかりを考えていた。
    もちろん電話は通じなかった。

    父は配送トラックの運転手だった[…]

    • >いつかこの記事を読んで、あいつ最悪な母親やなって、
      子どもたちが笑ってくれないかな。

      いつかではなく、いつも、笑っていると思うけど。

      お父さん思いの娘でいられて、よかったじゃない。

      • あいつ最悪だと、今は呆れていると思います。
        もう少し経ったら、笑ってくれまいかと…

        父は、震災のあった翌年に突然この世からいなくなってしまいました。
        思えば父になんでも相談してきたので、
        今でも、話がしたいなぁと、思ったりします。

    • 子どもたちを抱えながら涙が止まらなかった。
      そんな植地さんの文章に、涙が出ました。
      私はあの日、幼稚園で働いていて。
      お迎えに来る保護者の方がお子さんをぎゅっと抱きしめる姿に、よかった。と一つ一つ思っていました。

      なんとか仕事を終え帰宅し、弟と合流。
      都内で卒業式だった妹。母は参列。そしてそのまま帰宅困難に。
      海外赴任だった父が国際電話で家族を繋いでくれたが、みんなもう充電がないから…と。連絡が途絶え。
      翌日、母と妹がそれぞれ帰ってきた時はほっとしてわんわん泣きました。それから少しの間、母と弟妹たちとみんなで寝ていたのは秘密です…!
      あの時の気持ちを忘れず、毎日過ごさないといけないと感じます。

      • 先生には本当に感謝しました!
        だって、普段信頼しているからこそ、あの日、忘れたんだと思うの(言い訳かな)。
        安心して預けることができていたから。
        家族がバラバラになるなんて、想像もしないで暮らしていたよね。
        そうですね、忘れない、時々思い出す、そして、大切にする。

    • 九州は少し揺れた程度だったと思います。
      ただただ、あの映像に衝撃を受けたことは今でも忘れられません。
      当事者だったら、どれほどかと思います。
      ほんと、植地さんの子どもたちなら、きっと笑い飛ばしてくれるよ。

      • そうだといいなぁ。
        子どもを忘れたなんて知ったらグレちゃうな笑
        でも、じいじの心配したからという理由なら許してくれるかも。

    • 植地さんの記事、その当時の気持ちが手にとるようにわかり、私もペンを持ちました。
      あの日は不安な時間が沢山あり過ぎましたね。
      あの日を忘れずに、風化させないようにしなきゃですね。

      • 田端さんの記事も読みました!
        本当に普段は忘れてしまっていることが、ちょっとしたことで鮮明に浮かんできます。
        さあ、またここからがんばって暮らしていきたいと思います。

    • 今日、いつもおせわになっているクロボーの社長さんともこの日のことを話しました。
      ことがあこったときにどう対応できるだろうか…
      私も子どもたちのことを考えきれるだろうか…
      生きている意味を真剣に考え、過ごしていかないとなと思っています。

      • 前に進まなければならないけれど、同じことを繰り返してはいけないものね。悲しいことならなおさら。
        みんなでこうやって思いを交わせることが大切だと思いました!

    • 母である前に一人の子供でもあるんですよね
      みんな。誰かの子供だったから
      親を思う気持ち、不安になる気持ち。
      そこから子供のことを忘れてしまう
      それだけの緊急事態だったから

      とにかく無事でよかった。
      あの時わたしは独身だったけど
      子供を抱えていたらどれだけ怖く
      どれだけ不安だったろうと
      思います、

      あの地震を子供とともに体験した
      植地さんは、大変だったと思うけど
      とても強いなと思いました。

      • まさか。
        そう思っちゃうのね。
        お母さんはみんな同じ強いと思うけど、
        経験とともに、豊かになるね。
        だから、悲しいことも、うれしいことも、人生が豊かになることだと思えば、
        毎日それを与えてくれる子育ては、本当に素晴らしなって、感じます。

    • 朝から涙ぐみながら読みました。
      そう、私たちにもお母さんお父さんがいる!
      一瞬で娘に戻ってしまう気持ち、とってもよく分かります。
      私は当時はまだ独身で、子供3人いる今だったら…
      植地さんと同じように、親を想い、子を想い…
      と過ごしていたんだろうなと思うと、胸が締め付けられます。
      こうやって、想いを形に残すこと。
      それだけでも東北を想いできることの一つなのかなぁ。
      私も書きたいと思います。

      • 普段は忘れがちなのですが、やっぱりまだまだ心の中の特別な部分を占めていますよね。
        時にはいろいろ想いを整理して、
        これからの生き方とか、暮らし方にももしかしたら関わってくるのかもしれないです。
        あの日のマザーリポートがあるとしたら…想像するだけでつらいですね。でも、読みたいとも思う。

    • 涙が出ました。
      私はあの時お台場で勤務してました。まだ独身だったので、心配したのは東北にいた職員のこと。親がいたらそれはもう心配で心配でたまらなかったと思います。
      職員のことでさえ、命は無事だったと教えてもらって安堵しました。
      お子さん達も、おじいちゃんを心配したお母さんの気持ち、分かりますよね。忘れられていたのは、お母さんらしいと思うでしょうか(笑)
      トトロ幼稚舎の青組では、防災ゲームと称して、「今津波が来たらどこへ逃げる?」「〇〇がきたらどこへ逃げる?」と、山の上へ逃げたりしています。園児はもちろん、未就園児と母達も一緒に。常に、今いる場所で自分自身での身の守り方を考える。子ども達もそれができるように。あの時のことを教訓に過ごしていきたいです。

      • あの時は、本当にすっかり忘れていた自分にびっくりしました。
        きっとほかのお母さんたちは、真っ先に学校に電話したのだろうな、とか、
        保育園に向かったんだろうなって思いました。
        今は、もし、何か大きな地震があったら、とにかく生き抜けと伝えています。
        自分でなんとかしてって伝えています。

        お台場にいたのね。帰宅が大変だったのでは。
        いろいろ忘れていることありますね、防災グッズだって持ち歩いていたこともあったのに。
        今一度、しっかりと、ですね!

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