お母さん大学は、“孤育て”をなくし、お母さんの笑顔をつなげています

佐賀からエピソード大募集!

7月7日に、佐賀で早めのお母さんに乾杯しました!アップし忘れてたぁ~!ごめん、みんな!

私は、佐賀で子育て中のお母さんやその周りにいるたくさんの人たちにお母さん業界新聞を読んで欲しいと、ゆっくりとではありますが出来ることから「佐賀県に1万部配布プロジェクト」を進めています。

6月に佐賀県の男性育休に関する記事がお母さん業界新聞の全国版に掲載されました。

その事をきっかけにして、有志6名で佐賀県知事にお手紙と私版・全国版を送ることにしました。

まずは、知事にお母さん大学の存在を知ってもらうこと、そして「子育てしたい県さが」として動いている県とお母さんという立場で協力体制を取れる方法を考えていけたらと直接想いを伝えようと思ったです。

佐賀県知事に送った手紙と新聞
ポストに入れる時は大雨だったけど、ラブレター送るかのようで…すっごくドキドキしました。

手紙を出して数日後、

  • 県知事が私達の手紙と新聞をしっかり読んだこと
  • 今度詳しい話を聞かせて欲しい

と、連絡をいただきました!

そんな経緯があり、私は資料作りにチャレンジしようといています。

お母さん大学の良さをよりリアルに知ってもらうためには、全国のお母さん大学生な感じたことやエピソードをまとめて、想いを伝えることも大切だと考えています。

そこで、全国のお母さん大学生に教えていただきたいことがあります。

それは

 

  1. 新聞を配るようになって、どんな自分の心の変化がありましたか?(行動や想い)
  2. 新聞を受け取ってくれた方や読みましたと言ってくれた方とのエピソードを教えてください。(些細なことでもいいです。)
  3. 住んでいる県・お子様(年齢/性別)

 

8月25日までにコメント欄にご記入いただけると嬉しいです!

是非、ご協力よろしくお願いします!

25件のコメント

①新聞を配るようになって、どんな自分の心の変化がありましたか?(行動や想い)

私が新聞を配り始めた時、もう、子どもたちはみんな小学生以上でした。
私は、もちろん、この新聞で子育てを楽しんでくれるお母さんが増えたらいいな、
ペンを持つ仲間が増えたらいいな、
そう思いましたが、
実際には、人と繋がっていく過程が目に見えてわかるので、いまだに楽しくて仕方ないです。

②新聞を受け取ってくれた方や読みましたと言ってくれた方とのエピソードを教えてください。(些細なことでもいいです。)

先日、イベントの時に新聞を渡して声をかけた方から、「実は私、昔、新聞もらったことあります。」と言われました。
話を聞くと、うちの近所で(笑)数年前に新聞をお渡ししたようです。
それを聞いて記憶を辿ると、歩いて新聞を近所に配り歩いていた時に、抱っこ紐のお母さんをみつけ、声をかけたことがあるなと、思い出しました。
数年経って、たった一回のことを覚えてもらっていたことがうれしかったですし、素敵な新聞だと思ったので、また読めてうれしいと言われました。

③住んでいる県・お子様(年齢/性別)
神奈川県(20娘、16長男、14次男)

宏美さん、アンケートに答えていただきありがとうございました。人と繋がっていく過程ってすごく大事だし楽しいですよね!2のエピソード、素敵ですね!その1回がそのお母さんにとっては記憶に残るほどの出来事だったんですね!1回の事でも時を経て改めてご縁がつながっているってステキだなって思いました。

①新聞を配るようになって、どんな自分の心の変化がありましたか?(行動や想い)
この新聞が今の世の中に必要だと思って配り始めました。公園で出会ったお母さん、幼稚園へ通園中に出会ったお母さん、コンビニの駐車場で赤ちゃん抱っこしていたお母さん、ほんとにあらゆるお母さんに出会えば勇気を振り絞って渡してきました。最初は緊張しましたが、途中からは渡すのが当たり前、お子さんと一緒にいるお母さんをみかけて手元に新聞をもっていないときほど残念な時はありません。
その時は渡すだけでも、何かあったときに声をかけてくださったりすると嬉しくなります。こうして出会ってつながっていったお母さんたちが今もつながっていますし、新聞を介して連絡をくださるケースもあります。
小さな小さな一歩ですが、母心が久留米市全体に、九州全体に広がっていっているんだなーと実感しています。

②新聞を受け取ってくれた方や読みましたと言ってくれた方とのエピソードを教えてください。(些細なことでもいいです。)

・末っ子の授業参観で「お母さん業界新聞に子どもが幼稚園のときに読んでてとてもお世話になりました」と深々頭を下げられたことがありました。久留米市では幼稚園で配布してもらっていますが、園から毎月届く新聞にいつもはげまされていたそうです。

・病院でもらったというお母さんからは、上の子が障害があり、下の子は健常児、小さな頃必死に病院通いをしていた時、新聞を読み同じように子育てに奮闘しているお母さんたちがいることを感じ励みになったそうです。
今、健常児と障害児の兄弟育てていく難しさを感じていると話してくださり、はじめてお会いしたのですが、そのお母さんと連絡をとりあうまでになりました。

・三つ子ちゃんのママから。

1番はお母さん達の体験談のページを読んでいます。
『あー、ウチもあるある〜』『なるほど、こんな風に思えば気持ちも楽になるんだ』
『こんな事もさせてみるといいのか〜』など、いろいろ考えさせられ、勉強になります☺️
フフッて笑ってしまう記事やウルウルしちゃう記事もあって
毎月楽しみにしてます。
なんとなく、心が疲れてるときにあ、お母さん新聞読もう〜となり、
私だけじゃない、みんな頑張ってる!あ、この疲れも、良い疲れなのかも〜!と、なんとなく前向きな気持ちにもさせてくれます。

いつも読ませてもらって元気もらってます。

(これ、いただいたコメントそのままです)

③住んでいる県・お子様(年齢/性別)
福岡県久留米市・高2/女 中2/男 小4/女

あやさん、アンケートに答えていただきありがとうございました。小さな一歩だけど、それを継続していけるってすごく大変だしそこに思いがないとできないことだと思います。その継続の中で生まれるエピソードは貴重で宝物ですね!!参考になりました。

1新聞を配るようになって、どんな自分の心の変化がありましたか?(行動や想い)

2013年7月から、わたし版発刊とともに、2022年3月まで配布活動をしていました。最初はこの新聞で世界を平和にするんだ!新聞から素晴らしいエネルギーが放出されてぽかぽか世界をあったかくできるんだ!と思っていました。新聞を配っている自分がイキイキしてて、どんどん自分を好きになりました。新聞を「いつもありがとう」とニコニコしながら受け取ってもらえると、あー良かったと清々しく嬉しい気分になりました。

でも段々、配るからにはやっぱり沢山の人に読んで欲しくなり、その中でも「いつもありがとう」と笑顔で受け取れる人は疲弊してないわけで、この新聞は、笑顔で受け取れない人にもちゃんと届けたいと思うようになりました。しかし、配布先を増やしたり、ディスプレイを工夫したりしましたが、なかなか思うようにいかないし、月をまたいでも残っていたりすると、もっともっと頑張らなきゃと思うと同時にひどく傷付いていきました。
ま、でも、子育て支援センターや図書館のスタッフさんからは「みんなが楽しみに待ってるから持って来てね」と励まされたりすると、ケロッと結構すぐに立ち直れてましたが。

そんなこんなで、細々と続けていましたが、仕事に復帰しどうにもこうにも時間が足りず、長女の小学校卒業を機に私も配布活動を卒業しました。

新聞配布を通じて最高な友人もできたし、
配布や、わたし版を書き続けたゴールに、わが子たちが立っていて、私の書いたわたし版が好きだと笑ってくれたから、我が配布人生に悔いなし。これでよし!です。

わたし版を書いて、新聞を配布していた頃を思い出すと、「あー、わたし、命をカッコよく使えてたなぁ」と、自分に惚れ惚れしちゃいます(笑)私の人生をほんっとに色濃くし、深めてくれたと思います。

2新聞を受け取ってくれた方や読みましたと言ってくれた方とのエピソードを教えてください。(些細なことでもいいです。)

こちらについては、少々お待ちを!また今夜書きます。

住んでいる県・福岡

お子様(長女中2、次女小5、三女小3年)

中村さん、アンケートに答えていただきありがとうございました。約9年の配布活動、まだ私は3年半なので尊敬です。「命をカッコよく使えてたなぁ」すごく素敵で言葉!!
そうなんですよね。笑顔で受け取れない人にもちゃんと届けたいと私も課題だなと思うところです。赤信号のお母さんにこそ読んでもらいたいです。

2新聞を受け取ってくれた方や読みましたと言ってくれた方とのエピソードを教えてください。(些細なことでもいいです。)

◎小学校高学年のお子さんをもつお母さんから
「ありがとう。新聞読んでいると久しぶりに自分が母であることを思い出せた。そして、自分は娘のことを愛していることを、改めてしみじみと感じたよ」と言われました。そこで、わたし版に、母をテーマに寄稿してもらいました。見た目はクールな印象でしたが、娘への愛情がひしひしと伝わってくる文章に、自分もこんなふうに愛で包み込めるお母さんになろう。と思いました。

◎地域で一緒に配布活動をしてくれていた友達より
おかげでわが子のことをよく観察できるようになった。怒りをコントロールできるようになった。そして、自分も、自分の夢についてよく考えるようになった。

と言われました。彼女たちと、気楽なおしゃべりから、もっと子育てしやすい地域にするには!みたいな、真面目な話をフランクに普通に話せるのが、非常に心地よいです。

新聞の思いについて
かなり前の話しですが
「何で今の時代に新聞なの?」と聞かれて
はっとしたことがあります
 確かにそうだ、世の中新聞の購読数も激減し
電車でも、新聞、雑誌を読む人もいません
活字もスマホの中で読む時代。それでも
お母さん大学は新聞を配る

新聞は配ることでお母さん同士が繋がれる
今は友だちはネットの中でリアルな
仲間がいない。お母さんも近くにママ友が
いなくて、相手はスマホの孤育て

子を車に置いてパチンコ、外出、虐待など
最近は子を道連れに心中など、痛ましい事件が
後をたたない
その時に仲間がいたら、ちょっとの間、みてもらったり、家族の悩みを話す相手がいれば
死なずにすんだかもしれないと心を痛めます

だからこそ、お母さん業界新聞は大切です
子育て真っ最中のお母さんが作った新聞を
お母さんが
渡すことにより、私だけじゃない、子育てで
辛いこともあるけれど、私だけじゃないんだと
お母さん同士が繋がれる大切な新聞です
直接、顔を見て触れ合うということが
大切なのです

今はデジタル化が進み便利になりましたが
子育てはデジタルだけでは無理です
子育ては殆どアナログ、スマホで簡単子育て
なんてできません

繋がりもスマホではなく、アナログが大事だと
思います

私はかつて、一度だけ新聞配りを
したことがあります

なんで?新聞をと変に思う人もいましたが
新聞読んでみたいと言う人がいたり
こんな集まりがあるから、そこで
紹介したらとお誘いを受けて
そこで、新しい発見があっり
大変なこともありましたが、
やって良かったと思ってます

子育ては大変です
なのでお母さん1人で頑張って
子育てはいけないのです

お母さんはママ友、地域と繋がって
みんなで子育てをしてほしい

みんなで子育て
お母さん業界新聞は
そのお母さんみんなを繋げる
架け橋だと思います

住まい 埼玉県
    もうすぐ29才 男
        26才 男

尾形さん、アンケートに答えていただきありがとうございました。今回のプレゼンで1枚大きくこの「なぜ新聞なのか」を掲載させていただきました。とても分かりやすく私自身もそう感じていたからです。いかにデジタルとアナログをいかせるか、どうたくさんの人とつながっていくかをより考えていきます。

 ①新聞を配るようになって、どんな自分の心の変化がありましたか?(行動や想い)

第一子のイヤイヤ期が激しくとても長く、その中で下の子が生まれ、赤ちゃん返りだね、と周りに言われると、どうして…なんで…と自分を責めました。
一生懸命やっても否定されている気持ちでいて、外に連れ出すことも辛くなり、毎日涙を流していた時期に、書き始めました。辛かった些細な出来事を書いてみたら、息子はこうやって思って泣いたのかも。
まただ…と思ってしまったけど、次はこうしてみようかな。何してもダメだった。など。書いていくことで、自分の気持ちや子どもたちの気持ちを見つけられる様になりました。
素直に書いて、配り始めると、大変だったね、わかるよ、そうだった!ちょっと笑っちゃった!と声をかけてもらえる様に。
こんなことを書いて、世の中に配るなんて…と思い、数枚程度しか印刷をして居なかったけれど、同じ様に書いている仲間たちに読みたい人いると思うよ!
同じ気持ちで子育てしている人たちが1人じゃないんだなと気付ける様になると思う!と背中を押してもらえる様に。

泣きたくなることや大変なことはまだありますが、書いていくうちに、わが子の可愛いところやいいところも沢山見れる様になりました。
いい情報満載のお得な新聞ではない、小さな新聞だけど、コツコツとバックナンバーが増えて行き、辛くて泣きながら書いていた新聞が、今では私自身の宝物に。
少し前に、3番目が生まれると、ものすごく楽しく育児できる様になりました。

以前の私も驚くほど、心身ともに元気です。
(盛ってるみたいですが、ここにいる方々がきっと1番知ってくださってるのでは…と思ってます)

②新聞を受け取ってくれた方や読みましたと言ってくれた方とのエピソードを教えてください。(些細なことでもいいです。)

私自身が半年ほど読者として近くの施設で受け取っていた側でもありました。地域のお母さんたちが同じくらいの子どもたちを抱っこして、それぞれの手書きの新聞と本誌をいただき、読んで胸いっぱいになりました。
笑っていたお母さんたちは、泣きたくなることも、わが子のちょっとした変化も毎日の中で感じている私と変わらない普通のお母さんたちでした。

配布する側になってみると、新聞を受け取ってくれた方は、これが読みたい!いつも楽しみ!と言って受け取ってくれています。
そんな事があったんですか!と記事に驚いて直接連絡くださる事も。
書いてみたいと仲間になってくれたお母さんもいます。
読んでくださっている方が増えるので、地域とのつながりも親子で増えたと感じています。

③住んでいる県・お子様(年齢/性別)
神奈川県 小2長男 年中次男 5ヶ月三男

佐賀のお母さんたちからの宿題で、私自身のお母さん歴を振り返ることができました。
また色々教えてくださいね!
応援しています!!

岸さん、アンケートに答えていただきありがとうございました。うちの息子は絶賛赤ちゃん返り中です。今までできていたことをしなくなったり、最近は赤ちゃんの頃のような頭の洗い方を要求されます。だからモヤってすることもあります。でも、新聞を書いているおかげで他の人よりは面白がっている自分もいます。もし書いていなかったら、面白がる余裕はなかっただろうなと感じます。2のエピソードは受け取り側・発行者側の気持ちが書かれていて立場の違いがすごく分かりやすかったです!

タイムリーなことが起きました!

9年間、わたし版を親新聞に挟み、毎月図書館に配布していました。

たまたま今日、中2長女が職場体験学習で、図書館に行ったのですが、私の娘ということが分かると司書の方がキレイにファイリングされた 私が書いた9年分のわたし版を、長女に見せてくれたとのこと!思いがけず長女は、9年前の母の想いと、5歳の自分に出会ったわけです。いやー、感慨深い!

そして、司書の方が長女に「お母さん業界新聞の配布がなくなって残念がってるお母さんがたくさんいる。わたし版をまだ読みたいと言ってるお母さんたちがいるんだよ。再開してほしいねぇ。」と言ってこられたとのこと。
いやー、また言いますが感慨深い!です!!

レンさん

感動しました!
すごい巡り合わせです。娘ちゃんもお母さんを誇りに思ったはず。
神様が仕向けてくれた、なんとも粋な計らいにブラボー。
ファイリングしてくれていた司書の方にも改めて感謝。いいお話にほっこりしました!

レンさん

どうしたら届けられるか考えようー
せっかくだから!
めっちゃいい話!
スタッフの方がファイリングしてくれてたなんて!
ふうちゃんに見せてくれてただなんて!

①新聞を配るようになって、どんな自分の心の変化がありましたか?(行動や想い)

お母さん大学生になって、新聞を必要としている小さなお子さんがいる方に配っています。
新聞を配りながらこう伝えるようになりました。子どもとの事を書いて残して欲しいと。

子育て中のお母さんにペンを持って欲しい!心底思います。慌ただしい日々の中であっという間に過ぎ去っていく子どもたちとのかけがえのない時間。記録しなければすぐに過ぎ去って、忘れ去ってしまう、だらこそ記録して欲しい。それらはきっと、いつしか宝物になる!これは、お母さん大学で教わったことです。
でも、その思いを伝えたところ、こう返ってきたことがあります。「私文才ないから無理だよー」と。
子どもとのやりとりの中で、子どもからの名言が生まれた瞬間、はたまたプンプン怒り心頭の時などは、自分の心を整える作業にもなるのになぁと、ペンを執るススメは、なぜハードルが高いのか私にはわかりません。こんな素敵な作業をやらないなんて。メモのような走り書きでいいのになぁと思います。

②新聞を受け取ってくれた方読みましたと言ってくれた方とのエピソードを教えてください。(些細なことでもいいです。) 

私の書いた記事について、コメントをしてくれた方。

「思いを言葉にすることが難しいし、新聞を読む人にも、もちろん我が子にも読まれることを想定して書くこと、書くことを選択できるのがすごいなあー」

わが子にも残す事ができる母ゴコロなんだと改めて思いました。

だからみんなペンを執って〜!私はもっと早くから書いていたらよかったと悔やんでいます。

③住んでいる県・お子様(年齢/性別)
神奈川県(24歳/男、22歳/男、20歳/女、18歳/女、15歳/男)

田端さん、アンケートにお答えいただきありがとうございます。5人もお子様がいらっしゃるから、書くネタも多いだろうな~と思いながら読ませてもらいました。ホント時間は止められるものじゃないからカメラと一緒で自分の文章でシャッターを押すような気持ちで私も書いています。私自身、入学する前に何度か断ったんですけど大変そうだな~と思うんですよね。そのハードルをいかに落とすかが私は課題だなと思っています。読ませるための完璧さを求めなくてもいいんですけどね~。

締め切り日を今日だと勘違いしていました。提出が遅れましたが宜しくお願いいたします。

①新聞を配るようになって、どんな自分の心の変化がありましたか?(行動や想い)

私がお母さん大学生になったのは15年前で末息子が高2だったのでほぼ子育て終了にさしかかっていましたので、英語教室の先生仲間にもお願いして配っていただいていました。自分が教員になってからは保護者や先生仲間に読んでいただくようになりました。長男に子どもが生まれてからは子供が生まれた知り合いや長男夫婦にも届けています。

いちばん大きな自分の心の変化は、子育てはひとりで頑張らなくていいと思えたことです。そしてお母さんが夢を描いて行動することは本当に自分を強くしてくれます。そして何より、ペンを持って自分の思いを書くことが夢の実現につながります。ひとりでも多くのお母さんにこの素晴らしさを伝えていきたいです。

②新聞を受け取ってくれた方や読みましたと言ってくれた方とのエピソードを教えてください。(些細なことでもいいです。)

これまで数多くのエピソードがありますが、印象に残っているのは、保護者会や個人面談の度に新聞を廊下に貼り、「はじめての日」を流していました。そのため保護者会や個人面談の話題には事欠きませんでした。

この活動が後に区のオレンジリボン活動に繋がりました。そして、横浜市で最初に区の主催で「1日お母さん大学」が実現しました。近隣の学校との合同音楽会では保護者の方々と「はじめての日」を合唱しました。当日この活動にとても熱心に協力してくれた校長先生には本当に感謝でいっぱいです。

つい最近では、ほんの数日前に「成しとげる母力」の記事を読み『運をつかむ』を買って読んでくれた友人から嬉しいコメントもいただきました。これからの活動にとても励みになりましたなりました。

③住んでいる県・お子様(年齢/性別)

神奈川県
36歳/男
33歳/男
31歳/男

安永さん、アンケートに答えていただきありがとうございました。私もペンを持ったことで「ま~いっか」と思えることも増えました。「ペンを持って自分の思いを書くことが夢の実現につながる」この言葉が胸に響きました。2のエピソードを読ませていただきました。すごいことをされていたんですね!!そんな理解ある校長先生にご縁がつながればいいな~。

コメント遅くなってしまってゴメンナサイ‍♀️
①新聞を配るようになっての変化
こんなふうに聞いて頂いて、はたと気づきました。私配っていなかったと!皆さんのコメントを読ませて頂き持ち歩くところから始めてみます。
お母さん大学生になってペンを持つようになって本当は辛いってペンから言えたこともよかったし、書いてみると案外ダメダメじゃなくて、ちゃんと挑戦しているんだなと思えたりして何より心の整理にとっても役立っています。

②他の方からのエピソード
新聞を読んでくださっている他のお母さん大学生からリアルに会っても新聞のままだね、と言って頂いたり、娘の成長を優しいまなざしで一緒にみてくださっている方がいるんだと思えると、1人じゃないんだ。仲間がいることの心強さはかけがえのない宝物だなと思います。子育てでこんなに人と繋がれるとは思っていませんでした。

お母さん大学から学んでいることは、子育てだからこそ、お母さんだからこそ、繋がれるし、繋いでいくことで生み出せるものがあるということ。
辛くなっている1人でも多くのお母さんが笑顔になれるように種まきしていきたいとおもいます。

井上さん、アンケートに答えていただきありがとうございました。そうなんですよね、言葉に出来ない気持ちを文字に起こすと意外とそこまで深刻じゃなかったことに私も気づきます。お母さんになると人間関係って一旦リセットされるような…新たな人間関係に変化していくんですよね。お母さんという共通点だけでつながれるって本当に宝物ですね!!

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福元慶子
2016年♀・2019年♂・2024年♂の42歳の母です。亡き母からのメッセージから、「自分が後悔しない選択をしていく事」をモットーに生きてます。好きなことは、一生笑って暮らしたいので毎日なにか面白いことを探すこと・動画制作・写真を撮ること。夢は自由気ままにキャンピングカーで生活。人の心にとても興味と感心を持っている。