お母さん大学は、“孤育て”をなくし、お母さんの笑顔をつなげています

氏神様と子どもたち

「お産は神の領域だから、医者が介入したらいかん」。岡崎市の産婦人科医、故吉村正先生の言葉が心に去来する。

神の領域…。神様がいる神社のことが、気になってしょうがない。

数年前から、横浜水天宮・太田杉山神社(横浜市南区)で「お母さん業界新聞」を配っていただいている。ここには「乳飲み狛犬」が鎮座し、初宮参りや七五三詣で訪れる親子が多いことでも有名だ。

先日、宮司の佐野顕次さんにお会いした。

「お母さん業界新聞はいい新聞だと思うから、配らせてもらっています」ありがたい言葉をいただいて、こちらが感動する。木の箱に入れられたお母さん業界新聞が、お守りの隣に置かれている。

神社では、お守りは買うものではなく、授与・頒布されるもの。だとしたらなおさら、心していい新聞をつくらないと、神様に申し訳ない。

毎年初詣に行くが、暮らしの中に氏神様が存在しているかというとほとんどなく、日本人としてちょっと恥ずかしい。が、気づいた時が学びの始まりだ。

神社について知ることは日本を学ぶこと。日本人としてのアイデンティティを磨け、と天の声、いや神の声。

そもそも神社を中心にしてできたコミュニティが、村であり町である。けれども時代の変化とともに、人々の生活も価値観も大きく変わった。

昔は「子どもは地域で育つ」のが当たり前だったが、今は「孤育て」という言葉が説明もなく通じてしまう世の中だ。誰にも相談できない、頼れない環境の中で、子どもをどう育てていいのかわからないと悩んでいるお母さんも少なくない。

神社には、遊具はないが、自然や歴史がある。鎮守の森には木々やいきものが存在し、境内では、花木を愛でたり、土や石で遊んだり…。

「境内で遊んでいいのですか?」と尋ねると、「もちろんです! ぼくは、子どもたちを叱りたいんでね」という佐野さんのセリフに驚いた。

「木に登ったり花をとったり…ちょっとくらいいたずらをして、叱られたほうがいい」。子どもは日々の生活の中で、良いこと、悪いことを学んでいく。拝む姿を見せることも、いたずらを諭すことも必要だ。

ふと娘の出産に立ち会った日を思い出した。2人目の孫が生まれようとする、まさにそのとき、当時2歳だった上の子が、陣痛の苦しみに耐えるママの傍らで、ぎゅっと目を閉じ、小さな手を合わせていた。

「お願い。ママを助けて!」と、知り合いの神様に頼んでいるようなその姿が、目に焼き付いている。

神様は、無の心に存在するのかもしれない。
(藤本裕子)