ある日次女に言われた。
なんでお母さん、電話口では声が変わるの?」
娘たちにがみがみ叱った直後に電話が鳴った時の一コマ。
私は答えた。「怒ったままの口調じゃ他人にうまく伝えられないだから通る声にした」
我ながらよい答えだったけどどこかもやっとする。何だろう。
そのまたある日、この一件を記事にしてみたら…と思ったとき心が静かになって
自分の中に降ってきた言葉は「あの日わたしは怒っていた」だった。
子どもたちに見せている素直な部分と他人に見せる取り繕った部分。
他人に接するときに見せる作り笑い。
社会性をみにつけた、ともいえるけどどこか疲れているわたし。
そんな時に出てきた次女からの質問。
いい答えを大人ながらに答えたけれど、やっぱりそこにも取り繕う自分がいて
違和感を感じたんだな。
そういえば、その気の利いてたらしい私の答えを聞いた次女は
納得いかない顔してたな(笑)
子どもは素直だ。
だから大人は反応されるともやっとイラっとする。
だからこその気づきがある。今回は取り繕う自分の姿。
「書いてみようかな」と思ったからこそ、ってのもある。
発見できたのも。見逃せばただの一コマ、言葉にすれば気づきの1コマ。
書くっていいね。
ちなみにそんな書いた文章を見返していて、
「怒っている自分」「一生懸命にうまくやろうとする自分」が日常にいるのを
見つけた。どっちも駄目じゃない。
書いた言葉を読み直しながら「いつも頑張っているんだね自分。お疲れ様」
って自分で自分の頭を撫でている。そんな私がここにいる。
全国のお母さんも、お疲れ様です。
たまには書いてみて
自分のこと見つめてみませんか。
良き癒しになりますよ。
江崎さん、一緒にオンライン参加していた脇門です。
江崎さんの客観的に自分が見えるようになる…というお話、とても共感できました。
ダメだった自分もペンをもつことで、私頑張ってるじゃんと自分で自分を労わる感じ!とてもよくわかる~
江崎さん、今日はお疲れ様でした。
「自分の頭を撫でている」という部分に反応してしまいました!
実は私は毎晩寝る前に本当に自分の頭を撫でています。気持ちがとても落ち着いてぐっすり眠れます。
今日の皆さんのお話を聞いて、記事を書いて来なかったことをとても反省しました。これを機にたまには書いてみよう思います。
最近、息子に同じような事を言われて、私は何と返したら良いか見つからずモヤっとしてました。かおりんの記事読んで怒るのも、上手くやろうとするのもどっちも頑張ってる自分。本当にそうなんだよ!!と記事に頷いてしまいました。
私はこの出来事が記事にできるとは思ってなくて、見逃したただの1コマだったけど、このかおりんの記事を読めたから私に気づきをくれて、私なりのこの事書いてみようかなって思えました。自分の事を、見つめる時間本当に大事ですね。
そして私も自分の頭をなでるのを、ふっと思い出してやっています。