お母さん大学は、“孤育て”をなくし、お母さんの笑顔をつなげています

普通のお母さんだから

文章を書くことが特段好きでもない私が、なぜ新聞をつくり始めたのか?と聞かれたら、普通のお母さんだったからと答える。

当時は子育てをしている自分が、社会と遠いところにいるような気がしていた。情報がなかった時代、普通のお母さんがつくる新聞に、普通のお母さんたちが共感してくれた。

あれから35年。時代の変化とともに、新聞の名前やコンセプトを変えながら今がある。でも、一つだけ変わらないもの。それは、普通のお母さんが発信する新聞ということだ。

先日、不快な記事を見つけた。

女性受刑者が出産する際には手錠を外すという国の通達(2014年)に反し、手錠をしたまま出産したケースが2022年までに6件あったことが判明した。通達を無視したことも許しがたいが、それまでずっと女性受刑者たちは、手錠をしたまま出産に臨んでいたということじたい、にわかに信じがたい。

通達には、出産を控えた受刑者による一通の手紙が関与していた。「手錠をはめて分べん台にのる様です。仕方ないと思って、今は現実を受け入れています」と内縁の夫に送った手紙から、夫が刑務所に働きかけた。結果、その女性は、手錠なしのお産で無事に男児を出産した。

刑事訴訟法の規定では、出産時には刑の執行を一時的に停止できる。また出産後の女性受刑者には、子どもが1歳になるまで、自ら養育することが認められているが、実際には、そうした規定はほとんど運用されていないという。

本来、刑務所には、受刑者の更生と社会復帰という重要な役割があるはず。だとしたら、女性が子どもを産み育てることが、どれほど更生につながるか…。

九州で唯一の女子収容施設「麓(ふもと)刑務所」にある「慈母観音」は、母親が赤ちゃんを胸に抱き、まさに乳を授けている像だ。

石碑には「つぐないの道にいそしむおみならにあまねくそそぐ春のみ光」とある。受刑者がわが子を想う気持ちを表したこの歌に感動した石仏師が彫ったもの。受刑者らは、工場へ作業に向かう朝と、作業を終えて居室棟に戻る夕方に観音様の前で手を合わせるという。

そもそもこの一件が、人権という観点だけで議論されることなのか、と疑問を呈したい。手錠をしたままお産をし、わが子を抱きしめることができなかった母親に寄り添える人は、いるのだろうか…。

春の光は、すべての母なる人たちに注ぐ。罪を犯し、償いの日々に勤しむすべての母たちにも…。(藤本裕子)

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