「ちょっと待ってね!」
「早くして!」
それは時に便利な道具にも、
人を傷つける凶器にもなり得る言葉。
ちなみに私は、どちらの言葉も大嫌いだ。
その理由はかつて自分が子どもだった時、
「ちょっと待ってね!」で、約束を忘れられて悲しかったから。
「早くして!」で、自分を信じて待ってもらえなくて悲しかったから。
大人となり、親となり、全てをタイムリーに対応出来るわけではないのは分かる。
親が自己犠牲を払ってまで、子どもに付き合い続けるのも違うと分かる。
効率的で合理的なことが採用される大人の日常に、子どもを合わせてしまう日々。
だけど子どものペースを後回しにしてまで大切なことって、日常にどれほどあるのだろうか。
取り掛かっている作業が、たとえとても大事で、大好きなことであったとしても、一瞬手を止めたくらいで死ぬこともない。
朝から桜來さんが珍しくグズグズで、予定のバスに乗り遅れてしまったことがあった。
以前のわたしであれば、予定通り進まないことが許せなかったから、
どんな事があっても無理やり予定通りの行動をとっていただろう。
なのにその日はなぜか、桜來さんが珍しく泣いている。
今じゃない、そう言われている気がした。
娘のペースに合わせていたら、何だかもう今日じゃなくても良くなって出掛けるのをやめた。
急に暇になって寝転びながら見ていたスマホで、どうやら近所で大きな事故があったことを知る。
私たちが乗る予定だったバスのルートだった。
駅前で普段から人通りも多い道で、通行人の方に車が突っ込んだとニュースにもなった。
あの時、わたしの都合に娘を合わせてしまっていたらと思うと肝が冷えた。
ふと、隣にいる眠る我が子をみたら、ニヤッと笑った。
子どものペースって、完璧なんだなと思わされた。
子育ては親が育てられる、育児は育自とはよくいったものだが、本当に子どもは全てお見通しである。
いっぺん、子どもの言うことを素直に聞いてみる。
いっぺん、子どものペースに合わせてみる。
そしたら、1番自然な流れで、全てがうまくいくそんな気がした。
わたしにとって、娘は先生である。
【今日もしつもん】
子どものペースに合わせてみて、気付いたことはなんですか?
こんなに美しい鼻ちょうちん、あるのでしょうかw
最後の笑顔とのギャップがまた、たまりませんね。