お母さん大学は、“孤育て”をなくし、お母さんの笑顔をつなげています

誕生日に母を想う

誕生日に母を語るという宿題があったなぁと桜吹雪の景色の中で考えていた。
今年の誕生日。
フラのレッスンがお休みになったので、えのすいに行こうと決めていた(誕生日は色々特典があるのだ)。
朝早く出かけて、えのすい満喫したら、江ノ島近辺で散策もいいなーと思っていたけれど、今年の桜。まだ見頃なのでは?と、鎌倉へ立ち寄ることにした。
えのすいからの帰り道は、普段は小田急か湘南モノレールに乗るのだけれど、久しぶりに江ノ電に。
窓の外流れる景色を眺めていると、母が江ノ電に乗ったときのことをのことを、子どものように目を輝かやかせながら話していたことを思い出した。
仙台育ちの母は、鎌倉に並々ならぬ憧れを持っていたようだった。
おそらく生涯で数回しか訪ねたことのない街を、まるで隅々まで熟知しているかのように「小町通りのあのお店がね」等とよく話していたっけ。
「鎌倉の桜を見たい」と言っていた母のことを思い出しながら、八幡様にお参りする。
鎌倉の桜どころか、仙台の桜も見せてあげられなかった母の晩年。
認知症が進んで施設にお世話になることになり、コロナ禍で面会することすらままならず、時々は連れ出して食事をしたり父との思い出の場所へ連れて行ったりできるかと思っていた私の考えは甘かった。
オンライン面会とかいうタブレットの画面越しの母は、そこにいることになんの疑問も持っていないようだった。「帰りたい」という言葉も聞いたこともなかったけれど、最期まで母の本心は分からなかった。
施設に入る前、まだ自宅にいる頃は、とにかく会いたがる母に辟易していた。
何かの拍子に「いじめて育てたわけじゃないのに」と涙ながらに言われたことがあった。
でもね、お母さん、あなたも結構自分勝手でしたよ。
理不尽に叱られたことあったし、お姉ちゃんなんだからって小さい頃からひとりでなんでもやらされたり、具合が悪いのに学校に行かされたこともあったし、大学に入ったときに心がボロボロになって死んじゃうんじゃないかって辛かったときも、そんなこと…って取り合ってくれなかったよね。
私は母を恨んでいるんだろうか。
「寂しいねえ」最後に会ったとき呟いたひとことが母の本心だったのか。
結局のところ分からないまま。
それでも母がいたから私がいる。
母がこんな素敵な桜の季節に産んでくれたことに、やっぱり感謝する私の誕生日。

4件のコメント

佐藤さん

胸がギュウと締め付けられたのと同時に、涙が込み上げてきました。
記事を読んで、離れて暮らす母に会いたくなりました。

るみさん、お誕生日おめでとうございます!
お母さんのことを書いてくださって、ありがとうございました。

田端さん
コメントをありがとうございます。
最新記事から遡っていて、子どもたちがまだ小さかった頃のことを思い出しつつ皆さんの記事を読んで胸がぎゅうっとなったところに田端さんのコメント読んだら涙腺崩壊してしまいました。
私も母と同じで、本心言えてないと思いました。というか、本心は自分でもわからない。そういうものなのかもしれません。
先週末まで、いろんな場所の桜を満喫しました。
華やかで心躍るけれど、どこか寂しいような桜の季節。母が私を産んでくれた季節。
お祝いしてくださり、ありがとうございます。

るみさんがペンを持っていてくれてよかったです。
るみさんの母ゴゴロを読んで、考えさせられました。

自分の記憶の中の母より前に、母が与えてくれたたくさんの愛情や自分が理解できていない母の気持ちも沢山あっただろうと気付かせてもらえました。母にもっと感謝しなきゃ!と。

赤子の時に沢山お世話してくれた母や厳しく叱ってくれた母のことも、勝手に大きくなった気になったり、表面しか見ていなかったと反省しているところです。
自分が親になって大変さがよくわかったつもりでしたが、まだ足りなかった。
自分に向けて言ってやります!

母がしてくれたことには、私の知らない思いがあったことを思え!理由がちゃんとあったはず、それを知ろうとしろ!

るみさんの投稿を読んで、急遽帰省を決めました!
ありがとうございました。

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佐藤るみ
母とは名ばかり、社会人の息子ふたりにいまだに育てられています。これからは孫にも育ててもらえそうで楽しみです。 猫、フラ、推し活、F1、えのすい。好きなことのために元気でいたいなー。