本箱の整理中で出てきた雑誌・・・当時、昭和天皇崩御やらバブル崩壊やらが日本の一大事だった。
世界ではベルリンの壁が崩壊した時代と重なる重大な年。
私は11歳と8歳の小学生の母の時代、子どもたちの学校問題に関心を持ち情報を仕入れていたころ。
読書に講演会に家庭教育やら算数サークルなどに飛び回っていたころで、この分厚い雑誌はとりあえず買っておき、暇を見つけて読もうという当時の私を思い出した。
そう、結局読まずに本箱に入れっぱなしで29年たってようやく私の目に入ってきたわけだ。
その中になんと「ブンナよ、木からおりてこい」休演にあたって
母親たちに言っておきたいこと という作家の今は亡き水上勉さんの予稿が目に留まったのだ。
内容を少し要約すると、中国やアメリカで国境を越えた反響に水上氏が驚かれたようだ。
善悪、強弱対立関係が、同じ仲間だということで、成り立たなくなるが、強いものは弱いものを喰った化身だし、弱いものは強いものを喰える可能性がある。鳥も死んだら地上に落ちいつかは羽虫になって、鼠や蛙の餌になり・・・この思想はキリスト教信者の多いアメリカ人に理解されようとは思ってもいなかった。中国は仏教の大乗思想の親許でもあるから輪廻転生とみてくれたかと。
子どもは個性あふれるオリジナルな存在であり、学識や体格やレベルであれは上、これは下と決められては生まれてくる子どもたちはたまるまい。人なみにすることが上位につくことだとだれが決めたか。
(そうそう、当時の母親は人並み思考に取り込まれていた人が多かったことを思い出した。)
つまらぬ能力主義を信奉する母たちに僕は矢を投げたかった。それがブンナに叫ばせた土蛙たちへのブンナへの愛だった。
ところがワシントンで質疑応答になったことは、水上さんは70歳になっているからそのようなことが言えて、君だって子どもの頃にはそうはゆかなかったはずだ・・・など。
それに対して木の上の物語は、想像だけれど田舎にいた9歳までの暮らしで、母に教えられたり聞いたりしたことに尾ひれをつけて書いた物語・・・結局アメリカでの質問者は了解してくれなかった。
しかし共通して言えることは、子に話してやれる想像力を母たちがもっていないもどかしさだった。
日常些細の中での真実についての自信のある言葉のなさが気になった。
何でもかでも、人からもらいたがる。自分で考え、工夫して子どもと一緒に喜ぶというそんな生活の材料に、恵まれない季節なのかもしれない・・・と書かれている。
田舎での水上少年と母には夜道での体験も豊富にあって、動物の生態を通して生き物と人間の物語が交差されて子ども心に生きる残酷さも語られているように私には思えた。
最後に水上氏の母への遺言になったと思われる言葉は
あすから愛する子どもたちに、知恵を絞って話をしてやることだ。
これはタダだと思う。
学校へ行くより、子は楽しいに違いない。
そして一つ一つのあなたの工夫した話を一生の宝にするに違いない。
蛇や蛙の母たちもそうなのだから。
清野絵本劇場で「ブンナよ、木からおりてこい」と出会い
この長いお話に子どもたちがついていけるのか、と思いましたが
小学生はもちろん、幼稚園の子どもたちまで真剣に、時には笑って
楽しんでいたことを思い出します。
お母さん大学に影響を与えてくださった水上勉さん。
http://www.30ans.com/buna/
亡くなられてからもなお、こうして残る言葉は
ありがたいですね。
貴重な資料を紹介していただきありがとうございました!
私も清野絵本劇場で紹介されて知りました。
その時にはまだ子どもたちの反応が最後まで聞いていたかは怪しかった気がします。
落ち着きのない子ども達が出ていたこともあって、子どもを引き付けるには動きが欠かせないんだろうな・・・と
そんな風に読み語りの限界をも感じていたあの頃でした。
お芝居だとまた違ってきますからね。
水上さんは田舎の夜道で出会う色んな虫や生き物を薄暗い中で感じて母と会話をするのです。
1匹の亀がのそのそ歩いてきて、肩先が割れて甲羅が半分ほどしかないので「おっ母ん、亀が片肌ぬいどる」と言えば
「喧嘩したんやろな~・・・あないな躰になってしもうたで、家に帰れんのや・・・」と言われます。水上少年は
「なんで帰らんのやろ」に「お父っあんに叱られる」と言われて亀にも厳しい父がいることを母は教えたのだと思うと書かれていました。そしてブンナに幼少年時代の聞書をすべて投入されたのだそうです。