お母さん大学は、“孤育て”をなくし、お母さんの笑顔をつなげています

【誕生日に母を語る】お母さん星にいる母へ、花の絵を贈ります」

今年も、この日が来た。

3月21日

誕生日に母を語る

薬師寺の元管主、高田後胤さんが説く「父母恩重経」に
「誕生日は、命がけで自分を産んでくれた母に感謝する日」
と、あるのを見つけ、

お母さん大学では、
「誕生日に母を語る」をオリジナルで企画した。

母への想いはいろいろあるが、
自身が母になり、母への想いに変化が出てくる人も多い。
また不思議なことに、毎年、母の色が変わるのはなぜだろう。

母への想いは、いいことばかりではない。
母との確執がある人もいる。
がそれも含め、誕生日には母を想い、産んでくれた母に感謝したい。

なぜなら、今、私がいるのは、母がいてくれたから。
それが、新しい自分との出会いになる。

私が、母と別れたのは、33年前。
母は、長年、肝臓を患いながらも、仕事を続けていた。
仕事を辞めることは、生きることを辞めること。
それくらい、母にとっての仕事は、大きな存在だった。

命より大事なものなど、あるはずがないのに。
母にとって、それが生きるという選択だったのだろう。

母の命が消えそうな頃、
私のお腹には、3人目の娘が宿っていた。
だから、母の名前を、娘に託した。

雛代(ひなよ)→ 陽奈子(ひなこ)

母とは、一度も一緒に暮らしたことはない。
私には、いつも仕事をしている母の姿しか、記憶にない。
が、とにかく、行動が半端ない。ぶっ飛び母でした。

就職して大阪で一人住まいをしていたときのこと。
毎日、必ず電話をしてくる母だが、
朝、電話で、熱がある…と言うと、
午後には、九州にいるはずの母が、私の枕元に座っていた。

お土産は、ステーキやうなぎのせいろ蒸し。
熱を出している私に、食べる元気はない。
※久留米に田中屋という老舗のうなぎ屋があり、
そこのせいろ蒸しがおいしい。今でも、その店はあります。

私の看病に来たのかと思うと、
そばにいるのは、わずか2時間だけ。
私の顔を見るとほっとして、さっさと機上の人になる。

そんな自分勝手な母だったが、
それが、母流の愛し方なのだと思えるようになったのは、
自分が、母になってからだ。

今、お母さん星にいる母。
おそらく、その星でも、せっせと働いていることだろう。

お母さん!
私を産んでくれて、ありがとう!

私も、もう少しがんばるから、
お母さん星にいて、私を見守ってください。

イラストは、娘の陽奈子が描いた花の絵です。

お母さん、孫からの絵を喜んでくれているかな?

4件のコメント

てっきり、藤本学長が描かれたものと感心して観てました。
娘さんの作品だったのですね。お上手です。
お母様の名前を頂いて名付けたとの事。陽奈子さん。良いお名前です。
そのお孫さんの絵ならば、お喜びになるでしょう。
学長の性格もお母さん譲りだったのかもですね。
お母様を偲びながら、お子さんやお孫さんとの楽しい一日でありますよう!

この色合い、大好きです!
私も最初はこんなところの才能もあったんだ・・・と藤本さんを想いながら読みました。
それにしてもバイタリティのあるお母さんだったところをきっちり受け継いでおられます!
私も母にはじっとしていた姿がなくて、病に臥せった時にやっと動かない人になったのです。
あの時代の母親達は厳しい時代を生き抜いた人だったと思います。
母と子はお互いにすれ違ったりしながら、どこかでお互いを少しでも知ることになればいいのでしょう・・・
私もあの世で母に会えると思うから、お土産話をつくりながら生きています。(笑)

みっこさん

コメント、ありがとうございます。
そうですね。昔の人は、たくましいですね。
貧しい時代を生きたからでしょうか?

毎年、誕生日くらいは、母に感謝しなければと思います。

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