お母さん大学は、“孤育て”をなくし、お母さんの笑顔をつなげています

誕生日に母を語る、ちょっとやってみよか

お母さん業界新聞全国版で「誕生日に母を語る」連載が始まった。

どきっ!

お母さん大学生が自分の誕生日に語りついできたのに、私、そ~いえばやってへん(笑)

みんなえらいねんで。いろんな人生を自分の言葉で書いてる。さすがお母さん記者たち。

せやけど私はなんか、あかん。

たぶん、今でもどっぷり愛情をもらってるので、振り返るのは早いような、恥ずかしいような、そんな感じ。

母が未亡人になった年を超えてるのに、まだまだ頼ってしまう。

でも、ちょっとずつでも書いていこか。これから毎年書いてたらえ~感じにたまっていくか…。

 

78歳になって、ちょっとたよりなくなってきたとこはあるけど、変わらずたくましい母。

私が小学生の頃、自転車を盗られたとき「泣かんでええ!お母さんが探してきたるっ!」と当時流行っていたマジンガーZのように、ガッガッ!と颯爽と出ていき、近くの団地に乗り捨てられていた自転車を見つけ、軽々と抱えて持って帰ってきたときには、「私のお母さんって、こんな人なんか」とドン引きしながらも、尊敬っていう気持ちが芽生え、子どもながらに「この人についていったら間違いない」と感じた。

私が子育てで、人並みのしんどさを味わって、子どもの要求に敏感じゃなかったときには「じゃまくさそうにせんと、できることやったら何でもしたりっ!」と喝を入れられた。

私たち夫婦を過保護への道に導いたのは間違いなく、母。

じゃまくさそうなことも、楽しそうに変えていく天才なのか。見返りを期待せ~へん、そういう姿勢にはいつも感心する。

これからもおせっかいで楽天的で愛情深い母を、ときには警戒しながら(笑)一緒に子どもたちの未来のためにできることしていこ。

今年はこれくらいにしといたろか(吉本新喜劇風に)

★写真は3年前、75歳までがんばった果物屋を閉店するとき。お向かいの幼稚園の子どもたちがお別れに来てくれて、笑顔で見送る母。今でも「くるみのおばあちゃぁ~ん!」と声をかけてもらえる。現在はお母さん大学大阪支局として「くるみ庵」を受け継いでます★

6件のコメント

宇賀さん。

誕生日に母を語る、復活させました。

が、今まで、宇賀さん、一度も「誕生日に母を語る」を書いていないの?

ぼーと生きてるんじゃないよ。

宇賀さんのお母さん
私も、何かとお世話になっているけど、
一度、取材させてもらった日がなつかしい。
ホント、関西人なのに、なんか、江戸っぽい粋なところがある。
あ、ごめん。関西が粋じゃないみたいね。

女ひとりで切り盛りしてきたお店を辞めるとき、
「大丈夫かな?」と、
生きがいがなくなるのではと心配したけど、

お母さんは、潔い。
スパっと辞めて、新しい人生を歩いている。

宇賀さん、ホント、見習わないとね。

お母さん大学の活動も、お母さん流にこなしてください。
と、コメントが、説教になってしましました(笑)。

宇賀さんには、お母さんの肝っ玉精神が宿っているはず。
気張ってや。

宇賀さんのお母様でしたか。 一度 くるみ庵でお会いしました。
たくましさは お母さん譲りね。 そして 気い使いもね。
女一人で果物屋さんを切り盛りしていたとは 微塵も感じませんでした。
世話好きで話し上手 直ぐに誰でもお友だちになれる稀有な方です。
お元気でおられるのが安心しました。 先日 くるみ庵におじゃました時に姿が見えなかったので気になっています。
娘さんんの佐智子さんは 人望厚く逞しくて繊細なお母さんに成長されています。
お母さまからまたお会いして触れ合いたいものです。 いいお母さんのお母さんは素敵なのです。

お味噌づくりのときにご一緒させていただきました!
お世話になりました。
50歳で未亡人になって、周りの方に助けていただきながら
がんばってました。
私はまだまだです。
つみさんにも鍛えてもらわないと(笑)
母もまたくるみ庵に誘いますね。ありがとうございます。

>当時流行っていたマジンガーZ
ここに ビビット来てしまいました(笑)
同じ昭和の仲間ですね♪

まだまだ元気なお母さんですね
そのパワーを宇賀さんがそして宇賀さんの娘さんへと
つながっていくのですね

昭和♪
マジンガーゼットとか、仮面ライダーとか、ゴジラとか、大好きでした♪
身体は衰えていきますが、たくましいのはさすが昭和の母だと思います。
ありがとうございます。

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ABOUT US
宇賀佐智子
大阪の宇賀佐智子です。30歳長男・27歳長女の母。大阪エリア版編集長を2018年から4年間務めました。子育てが楽しくなる大阪、誰もが子どもたちの未来を考える大阪、美味しい楽しい大阪を目指します♪