横浜港に停泊中のクルーズ船で
新型コロナウイルスによる集団感染が起きたのは2月初め。
そのときまさか「昨日は人の身今日は我が身」になるとは
思いもよらなかった。
だがウイルスはあっという間に世界中に広がり、人々を恐怖に陥れた。
不要不急の外出を自粛し、新聞活動はストップ。
愛する孫に会うことは、私にとって不要不急ではないが、
孫には私がいなくても家族がいる。
私の存在は不要不急かと、コロナを恨んだ。
世界中で30万人を超す命を奪ったウイルス。
だがこれを、悪の一言で済ませていいのか…、
なぜこのような事態になったのか…。
コロナは私たちから、家族の時間を奪わなかった。
苦しみとともに、生きるための考える時間を与えてくれた。
この数か月、コロナ情報に翻弄される自分がいた。
一日中パソコンを見ては疲れ、何のために新聞をつくっているのか、
何のために仕事をしているのか、何のために生きているのかと自問自答。
かといって無我の境地に入るわけでもなく、
毎日お腹は空くし、食べれば太るわで、
なんとも心が晴れないもどかしさがあった。
そんな私のステイホーム中に、海も空もきれいになって、
気がつけば花が咲き、鳥が鳴いていた。
生き物たちが喜んでいることを知ると、コロナも森羅万象と思えてきた。
この間、いやというほど聞かされた、
密閉・密集・密接の「三密」という言葉。
偶然にしてこの言葉に、もうひとつの意味があることを知った。
仏教の教えで三密とは「身密・口密・意密」の意。
身密=自分勝手な行動は慎み、
他人のためにどんな行動をとるべきかを考えること。
口密=言葉は他人とコミュニケーションをとるうえで最も重要、
ゆえに自分の言葉や発言を心して行うこと。
意密=自分の心にまっすぐに向き合い、
ひとりの人間として何が大切かを考えること。
つまり生命現象はすべて身(身体)・口( 言葉)・意(心)という
3つのはたらきで成り立っているという。ストンと心に落ちた。
国や自治体の長たちが、市民に向けて三密回避の
協力を再三求めても、人々の行動を変えることは容易でなかった。
安倍総理や小池都知事も、
弘法大師空海の教えを例えてくれたら、もっと心に響いたのに…。
今は密閉・密集・密接を避けるだけでなく、
身・口・意を一体化させるという2つの「三密」が大切だ。
三日坊主の私には、尼僧になって修業するほどの志はないが、
せめてコロナが落ち着いたら、高野山にでも参ろうか。
(藤本裕子学長コラム 2020.6月)
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