久しぶりに吐くぐらい泣いた。
きっかけはわたしと母の親子喧嘩。
思えば、なんだか伏線はあった。
みゆうちゃんのイライラ→わたしのイライラとなり→母のイライラに変化して→父が爆発した。結果、みゆうちゃんもわたしも泣く。食欲もなくなる。
「お前たちはほんっとしからしか!もう食べる気せん!」→父は食卓を立ち上がり、二階へ。
幼い頃の父の怖さを思い出し、泣き崩れるわたしに、娘は「ママ落ち着いてね!」を繰り返す。
母と言い合いをしているとき、
母から「お母さんなら当たり前やろ。じゃあお母さんじゃないたい!」と言われた。
「じゃ、わたしはお母さんじゃないたい。」って答えながら、むちゃくちゃ泣けてきた。
「少しずつお母さんになっていくんやけん、子どもたちが結婚した時にやっとお母さんになれたかな?って思ったよ。」
「うん。」
みゆうちゃんは学童のトイレの鏡に水をかけ、洗面所を床までびしょびしょにした。学童の先生と一緒に良くないことだと伝え、娘は渋々片付けをした。
へそが曲がってしまった娘をなだめながら、なんか体力的にも精神的にもヘトヘトになりながらも自転車で帰宅。
一連の流れを母に伝えたことで、娘のプライドは傷付き、娘は激怒。言った裕子が悪い、わたしは聞きたくなかった、と母はわたしに対して怒った。
わたしは、
「じゃ、愚痴も言ったらいかんの?」って言った答えが、
「お母さんなんやけん!」
だったという訳だ。
たぶん母に、一番近くにいる大人に、わかってもらいたかったんだと思う。
わたしの甘えに他ならないんだけど。
一言、
「大変やったね。バタバタしたね。」の言葉が欲しかっただけなのに、
「考えつかなかった。」という、わたしとは全く考え方が違う母。
わたしの我慢が足りないのがそもそもの原因だ。
わたしの外面が良いのがまた、その原因を煽る。
42歳だというのに、
こんな娘でほんっとごめんなさい。
懺悔しかないけど、、
離れるタイミングなのかもしれない。
苦しくて苦しくて、吐きそうな夜。
だって。親子でも考え方はちがう。私は学童の先生が、怒ってくれたなら私は怒らず、なんしたのかを聞いたとおもう。それからなんでダメなのかわかってたら何もいわないのが良いとおもう。
ゆうちゃんはゆうちゃんなりの子育てできる良いとおもう。
思いっきり、けんかできる相手がいるって、素敵なことだよ。
お父さんの、ほんと、しからしか!
これが言える親子は、いいと思うな。
いろんなことがあるから、家族です。
これを、記事にする安藤さんも、いいなぁと思う。
大きなお母さんになってきていると思う。
みゆうちゃんのおかげでね。
辛さを吐き出せる勇気があったのが凄いことです。
大変やったねと母に言ってほしかったという気持ちは記事を読みながらわかりますよ。
昔の子育て事情と今とは違いすぎるのを、わかってもらえない苦しみもありますよね。
その代わり、あなたにはお母さん大学生の心強い味方もいるんだし大丈夫と私は思っています。