我が娘っこ・ひびき(6)。小1。変わってます、独特です、ユニークな行動やら発言を繰り返してます。
ちょっと、いや、だいぶ大切な気づきがあったので、シェアしたいなぁと。
長いので興味あるお方は読んでみてくださいませ。
キーになっている言葉は、発達障害・臨床心理士・ランドセル症候群・社会的「診断」の発生・作業療法士の見立て・ユニバーサルとインクルージョン
……
娘のこと。
とはいえ、何か障害があるとか、“判断”を受けているわけじゃないんですよ。
学校嫌いですけど、テストは54点だの、62点だの、繰り上がりの足し算に苦しんでいるだの勉強はできないけれど、同級生やら周りには愛されているのか、よくモノをもらってきます…。
ある日、幼稚園の先生から行政が主催している「発達障害支援センター “ほっとすてっぷ”」に相談するのはどうかと持ち掛けられたのが年中の冬。そのときは、「うちの子はザ・子ども。障害のわけないやんか!」とプンプンスルーしていたのですが、年長になって就学前検診にひっかかり、再検査を受け、再び担任の先生から“ほっとすてっぷ”を進められました。年長の担任の先生はあれこれ話をしやすく、ひびきの性格もよく理解してくれていて、「一度行ってみようかな」と面談を受けることになったのが昨年の夏?だったっけか。
で、もう一度で私は支援センター(とはいえ、臨床心理士の先生が一人いるだけで、その先生がその子の様子を見て、あるいは少しテストしたりして、特徴やらをつかみ、親と面談していくというものです)の臨床心理士の先生のことが大好きになってしまったのです。
とにかく、面白い!!
「最終、大人になったときに笑顔でいられればいいんですよ」
「本人が機嫌よくいられるように長い目でみて…」
と言ってくれたことがとにかく印象的でした。
その人の出す雰囲気でどんな人か(長年、取材の仕事をしてきた身としては)ある程度わかるつもりなので、もうすぐさま「このひとはっ」と思ったのですが、信頼できるので、数か月に一度のペースで通っています。
今日は3か月ぶり…だったかな。ようほんと、娘を見抜きます。
ひびきと先生の面談後、先生が私に話をしてくれること40分くらい。
今日もまた、晴れた気持ちになれました。何故か…はまた後日記事にするとして。
今は、通っている子とその母という関係だけど、チャンスがあったらこの先生の仕事を、マジで取材させてもらいたい
まあ、最近は16-8とかの引き算が始まって、私が仕事から帰ったらひびきの泣き声が聞こえてきた。どうしたんだい?と思ったら、制服着たまま、大粒の涙流して、「おばけがぁ…」と。夫と宿題をやっていて、できなくて、わからなくて、悔しくて、泣いていた。
ここ最近、一桁の足し算が、たとえば6+3=がスムーズになってきて、「あ、良かったぁ」と思っていたところ、繰り上がりの足し算に。レベルが上がってしまった。
追いつけないひびき。
「でもさ、3月生まれなんだよ。あと一か月遅れていたらまだ年長さんなんだよね。
できないわけじゃない。時間かかるけど、少しずつ理解はしてきているよね」
と、夫も私も、最大の援助者・ばばも、そういう風に見ている。
ちょこちょこ私は福祉関連の事業所を取材させて頂いている。先週は広島の三原へ。作業療法士の方に話を聞かせて頂いて。
その方のテープ起こしに必死なここ数日。合間に学校にオーガニック給食を、の活動をしている知人のFBに「ランドセル症候群」というものが上がっていて、どうやら、ランドセルの重さが「学校嫌だ」の原因に一役買ってしまっているとか…。
でもそういうこともホント大切だと思う。
ランドセルが重くて、学校に行くのが嫌だ。
制服を着るのが嫌だから、学校に行きたくない。
アタリマエのハナシ。
こういう外的要因があり得ることを、大人はきちんと配慮しないと。
今では昔よりランドセルの大きさも大きくなっているし…
たしかに、重いもんね。ランドセル。
一年生がこれを背負うのは大変だよ。
障害うんぬんのハナシに戻ると。
市場で働くほうの私の仲間のお子さん、トイレが近くて、学校に行けなくなりました。最近。
家族会議をして「不登校のままでOK。学校には(無理に)行かない判断をした」とのこと。
で、ある人に勧められた、高松市内の発達障害をみる病院は予約が一年後だとか。
そのくらい、「障害児は増えている」って。
でもそれホント?
本当なら、やはり農薬などが脳に与える影響があるのか。
一方で、私たちの子どものころにも、当時は「発達障害」なんて診断がなかっただけで、「ちょっと問題がるよね」って子はクラスメイトにいたよねって。診断名がついて、診断しやすくなったから増えているだけ?しかも、ある人に聞いたのが、「わざと診断したがる自治体がある」ってこと。
何なのよ、これ。
『ちお・はや』などに関わっている浜田寿美男さんの言葉ー「人間みなちょぼちょぼ」を思いだす、を思いだしたりします。
みんなどこか、差し障りがあるのが人間なのにね。
生きづらさは誰にでもある。
今日、日中に取材のテープ起こしをしていて「これホント、めっちゃ大切なことやんか!!」って思ったセリフがありました。
「ユニバーサルというのは誰しもが使いやすい、というものですけどやっぱり、一人一人が輝けるように支援をするという意味ではインクルージョン。学校はインクルージョンでないと。学校は『不登校の人に対してどうしたらいいですか』って聞きますけど、そうじゃなくて、この子に対してどうしたらいいかを一緒に考えないと。不登校の人に対して何か考えてもいいものは生まれませんってよく言うんです。そうじゃないと学校の組織をなくすことくらいしかないですよという話なんです。“授業をなくす”とか“座らなくていい”とか、そういうのは学校はできんでしょって。この子に合うようにしていくというのが一つのミソかなって思います」
このお方のお話は、きちんと記事にして、伝わるものにしたいので、
ただいま、丁寧に整理して執筆中です。
地域のなかで、学校(自分の今の居場所)に通えるとか、仕事ができるとか、日々健やかに過ごすことができるとか、いってみれば“その人自身の力でその人らしく作業できる日々”ならば。
(作業療法の世界って、ホント面白い!しかも、人類学の思考と絡めると、もう、たまんないな)
そりゃあ、人間だもの。喜怒哀楽、津々浦々ありますけども、だいたい“おもしろい日々”なら、いい。
その人のワーク、営み、存在が地域に活かされて、めぐりめぐっていくなら、いい。
それが、きっと本来の社会なんだ、と私は今日感じています。
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