発達ゆっくりめな長男は、
何かと手のかかる子だった。
「ほっといても子は育つ」と言うけれど、
「いやいや、うちの子はほっといたら育たないんです」とずっと思っていた。
幼稚園の時も、小学校に上がっても、
彼が彼らしく成長できるように、周りの環境を整えることだけを考え続けてきた。
彼の個性を尊重する、彼の天才性を潰さない、
それだけを考えてきた。
そのために、担任の先生たちと何度も面談し、話し合い、
専門家の先生の話も聞いてきた。
その一方で、
手先が不器用な彼に対して、
「どうせ教えてもできないし」と、生活で必要な細かなことをあまり教えてこなかった。
料理とか掃除とか洗濯とか・・・
運動もそう。
身体の使い方が上手くなく、運動も得意ではない彼のことを、どこかで諦めていた。
得意なことを伸ばしてあげればいいや、と。
けど、違った。
知らぬ間に彼は、成長していた。
「自分で努力する」ことを覚えていた。
出来ないからと泣いていた幼い頃。
悔しくて泣いているのはわかっていたが、
いつの間にか、その悔しさをバネにすることを覚えていた。
この間までできなかった、バスケットボールのドリブルができるようになっていた。
「できてるじゃん!すごい!」と言うと、
「体育の時間にめっちゃ練習したんだよ」と答えた。
彼の口から「練習」という言葉が出たことにびっくりした。
出来ないことを出来るようになりたくて頑張った・・・
そんな力が彼にあることに、驚いた。
昔から超偏食なのだが、
最近「あれも食べられるようになりたい」と、嫌いなものを克服したいと言うようになった。
「どうすれば食べられるようになるのかな」と自分でいろいろ考えている。
あんなに好き嫌いが多くて、私が無理やり食べさせれば吐いて、バトルになることも多々あったのに。
自分の力で成長していこうとしている。
今までは、私が作ってあげた環境の中でのびのび育っていたけれど、
「もう、守ってあげなくてもいいのかもしれない。
ほっといてもいいのかもしれない」
そう思った。
先日、「風呂掃除やってみたいんだよ」と言うので、
やり方を教えて、実際に洗ってもらった。
頭からシャワーかぶっちゃうんじゃないか、
石鹸のついた手で顔とかこすっちゃうんじゃないだろか、
心配ばかりが先に立ち、ずっと見張っていたのだが、
まったくもってそんなことはなく、
むしろ隅々までピカピカに洗ってくれた。
完璧だった。
ほっといたら育たない、と思っていた子は、
ほっといても自ら学び育つ子になっていた。
もうすぐ10歳。
私ができることは、こうして少しずつ減っていくのだろうか。
そして少しずつ離れていくのかな。
親離れ子離れ、の第一歩を踏み出したのかもしれないな。
天野さん、
すっごく共感しました。
我が家もほっといたら育たないし、ますます差が見えてきちゃうと必死でした。
でもフォローする余裕もなく…
三男は知らない間に自転車をマスターし、つい先日は縄跳びができるようになっていました。(これ、記事として下書きしてて写真がないから保留中)
こちらの心配をよそに子どもたちのペースで成長するんですよね。
まつりさんのところもそうだったんですね。
そうそう、ほっといたらどんどん差がついちゃう、と、私も必死でした。
彼の自己肯定感を下げてはいけないと・・・
頑張ったことは無駄ではなかったと思うけど、
子どものペースに気づくことって、親として一番大切なことなのかな、とあらためて思いました。
でも難しい問題だ(泣)
まつりさんの下書き記事もアップ待ってます♪
子どもって、本当にスゴイ!
それを、一番、理解しているのが、お母さんなんだね。
よその子と比べて、成長が遅いと、どうしても、それが理解できず
気になるお母さんも多いと思うけど、
お母さんが、子どもの素晴らしさに気づいたら、
子どもは、どんどん、成長するのではないかなぁ。
記事を読んでいて、息子さんの成長もスゴイけど、
天野さんが、母として、すごく成長していることを感じました。
母として、美しい。
息子のおかげね。
私は、横浜の夏の乾杯で、めちゃ、踊っている息子さんが、いつも心に残っています。
だれより、このイベントを盛り上げてくれて、誰より、お母さんの乾杯を応援してくれている人。
天野さんの半径3メートルの未来、輝いていますね。
私もずーーーーーっと「気になってる」お母さんでした・・・
つい周りと比べてしまってモヤモヤモヤモヤ・・・
けど、息子が気づかせてくれました。
ここに書いた以外にもまだエピソードがあるのですが、
どれも、彼の成長ぶりを目の当たりにさせられるものばかりで、
彼と私の関係のフェーズが変わったような気がしています。
横浜の乾杯!
あの時めちゃめちゃ踊ってましたね!
誰も知り合いがいないところに連れていったのに、すんなり溶け込んでたあの心の強さは、今も変わらないです。
彼はすごい。
私が彼の一番の理解者でいようと思ってたのに、実は、彼が私の一番の理解者なのかも。
子育ては手をかけることと抜くことのバランスだと思いますが、
これまではあえて手をかけることを一生懸命に頑張ってきたという自負もあったはずです。
でも、気が付いたら適度に手を抜いていたところだってあったのだを子どもによって気が付かされた・・・
そんな記事ではないかなと私は感じました。
これからは、手をかけることを減らしながら目をかけることを忘れないにシフトする時期ですね。
頑張ってきた自負!
・・・まさにそうです、ほんとそう。
手をかけることを頑張ることが母としての責任というか、この子に対する私の存在意義というか・・・
けどそういう時期を過ぎようとしているんだな、と、気づきました。
まだ3歳次男がいるので、私の役割はまだまだ続きますが、
自分の人生というものを考え直すきっかけにはなりました。
天野さん、わたしの息子も手をかけないと育たないタイプでして!ものすごく共感します(^^)うちの場合は発達の特性が強いので、まだまだ色々ありますが、それでも久しぶりに会う人に「お兄ちゃんになったねー!」って言われたり、それこそ今日はお手伝いで餃子を焼いてくれたり、成長を感じます。天野さんを見習って、いい塩梅で見守れるようになりたいな!
うちも発達特性があるので、なかなか安心して見守るにはまだほど遠いですが、
それでもやはり彼なりにどんどん成長してるのを感じると、
育児というのはまさに「育自」だなあと思わされます。
本当に目や手を離せるのは、彼らが自立した時なのかなあ。
まだまだ先は長いですが、
お互いわが子を見守っていきましょう!