先日、近所の小学校の「思春期セミナー」とやらいう特別授業に参加させてもらってきました。
授業を受けるのは5年生。
月経やら、射精やら、いわゆる性教育とともに、地域の保健師や助産師が来て赤ちゃんが産まれるまでの話を聞きます。
さらに、「産まれる体験」として、大きな袋の中に入り、しばられた口の部分から手も足も使わずに出てくる(みんな一度体験済みのはずだけど笑……楽しそうだった。)というアクティビティー。
子どもたちの保護者も、ずっと一緒に授業を見守ります。
そして最後に、ホンモノの赤ちゃんとのふれあい体験ということで、赤ちゃんを抱っこしたり、一緒に遊んだりしました。
わたしと1歳になりたての娘は、このパートに参加。
久しぶりに小学生に囲まれて、わたしはいささか緊張しましたが、娘は大して嫌がりもせずに色んなお兄ちゃんお姉ちゃんに抱っこされ、マイペースに遊んでいました。
ふれあいの後、子どもたちから赤ちゃんのお母さんたちへの質問タイムもあり、
『一番大変なことは何ですか?』
『泣いた時はどうすれば泣き止みますか?』
『ごはんは何を食べますか?』
『イタズラしますか?』
と、色んな質問が飛び交いました。
わたしたちが順に答えていくのを聞きながら、子どもたちは時々けたけたと笑ってくれ、保護者の方たちは懐かしそうにウンウンとうなずいて下さいました。
わたしはそれだけで、励まされたというか、認めてもらえたというか、何だかあったかい気持ちになれました。
授業の終わりに皆で安達充さんの『僕が生まれた時のこと』を聴いた時には、ちょっと目頭が熱くなりました。
そして、助産師さんから最後のお話。
「自分ひとりが産まれるためには、必ずお父さんとお母さん、ふたつの命が必要です。これを10代さかのぼると、およそ千人の命が必要になります。」
「この中の誰か一人でも欠けていたら、自分は存在しなかった。ご先祖様が命のバトンをつないでくれたから、あなたたちは今ここに生きているんだということを忘れないで下さい。」
「思春期に入るということは、バトンが自分のところに来ているということ。たくさんの人がつないでくれた命のバトンを、どう次につないでいくか、考えて下さい。」
5年生がどれくらい飲み込めたのかはわかりませんが、少なくともわたしは胸が熱くなりました。
そしてたぶん、その場にいたすべてのお母さんたちも。
いのちのバトン。
どうかどうか、投げ出す人が、ひとりもいなくなりますように。
今日は、1歳の私が、先生。
抱っこは大変でしょ?
落とさないでね?
ママ、ちゃんと質問に答えてよ?
お兄ちゃん、お姉ちゃんたちは、たくさん友だちがいていいな。
こんな高い跳び箱もできるの?
私も、早く、学校に行きたいなぁ
という声が聞こえました。
藤本さま
1歳になったばかりの娘は、まだ宇宙語しか話しませんが、毎日それはそれはよくしゃべります。
指差しも得意です。
なのでわたしも何となくコミュニケーションできています。
ほんとに、色々言ってるんでしょうね〜。
助産師さんの
>思春期に入るということは、バトンが自分のところに来ているということ
の言葉、重たいですね。
私も、夏に父とあって、家系図を見せてもらったときに、
「わー、このご先祖さまからの命を受け継いでるんだな~」と
しみじみ実感しました。
家系図で、実際に生きてこられた安土桃山時代前後からのお名前を見たとき、
「私ひとりの命ではない」と、強く思いました。
*
そして、今、町の助産師さんと、地域でお母さんたちが安心して、
繋がって育児していけるようにと、色々考えているんですが、
その助産師さんが言われてました。
「乳幼児期の今だけを見るのではなくて、思春期のこどもたちを
みんなで守るためなんですよ。
乳幼児期からお母さんたちが繋がっていれば、こどもたちが思春期になったとき、
何かあったときに、地域の目があれば、みんなで見守ることができます。
声をかけることができます。
『〇〇くん、どしたと?』ってね。」
思春期の様々な問題に直面されてきた助産師さんんだからこその言葉だと思いました。
そんな、あったかい地域になったらいいですよね☆
みーくんさま
本当にそうですね。
わたしも話を聞いていて、そっか。子どもを産むってそういうことか〜なんて、納得してしまいました。
バトンをつないでいる、って考えたことはなかったので。
目の前のことに必死になるのも楽しいですが、だからこそ、大きな目で広く物事を見られるようにならないといけませんね。
受講した中学生も、見ていたお母さんたちも、そして赤ちゃんも、
きっと忘れられない時間になりましたね。
赤ちゃんが跳び箱に向かって…
いい写真ですね。
青柳さま
受講したのは小学5年生でございます(^^;
お母さんたちが授業に参加しておられたのが印象的でした。
子どもがこーんなに大きくなっても、まだ子育て道半ばなんだな〜と思うと、今ぐずぐず言ってられんなと心がシャキッとしました。笑
息子や娘が小学生になって、今度は保護者の立場でこの授業を受ける日を楽しみに頑張ります!
大人たちが試される思春期。
みんなでいろいろ悩んで悩んで、そして笑って。
青春を謳歌して欲しいね!
いのちのバトンをいつか繋ぐためにも。
娘ちゃん、目の前に山があると登るタイプかもね(笑)
頼もしい!!
聖子さま
よし!今日から思春期!!
とか言ってくれんもんね。笑
わたしなんて、精神的にずーっと思春期みたいなところもあるし。笑
いつか、このバトンが次へ繋がるときに立ち会えるといいな。
娘は兄と違って、あまり警戒心がないというか、物怖じしないみたい。(^^)
同じ親から生まれても色々でおもしろいねぇ。
瞳さん、自分の5年生の頃にこんな風な授業はありましたか?
私は娘からは、スゥエーデン風の性教育を受けたんじゃないかという風に話を聞きながら思いました。
学校ごとに話し合いを重ねられて子どもに大事な事は何かを伝えていくために考えられたようですね。
命のバトン・・・日本は先祖という考え方が生きていますからそこからうまく繋がる命の授業。
そして地域のお母さんと赤ちゃんを招待するということはとてもいいな~と思いました。
わたしが5年生の頃……性教育は受けました。
あと、女子だけ出産のビデオを見た記憶もあります。
が、ビデオは小学生だったか、中学生だったか??
スウェーデン風の性教育というのはどんなものですか?
わたしは授業を受けながら、虐待や自殺で失われる子どもの命が少しでも減って欲しい、どうかみんなでバトンを次へ渡して欲しいと切に思いました。
本当はハイハイもしないくらいの赤ちゃんを募集していたようです(動き回らないので抱っこしやすく、人見知り前)が、わたしが住んでいるところは一学年ひとクラスしかない学区なので赤ちゃんも人材不足だったみたいで、1歳を超えた娘も参加できてラッキーでした。
娘の話てくれたのは、5年生よりも前の段階で4年生だったかな・・・
あちらのアニメーション風のもので、リアルではなくてSEXを描写したもののようでした。
それを娘は楽しそうに笑いながら話したんですけど、私はすでに娘は情報を持っているとその時感じました。
反対に息子は全く想像ができないのですよ・・・
その手の話は母親にはやはり無理ですものね。
かといって父親は心理的不在状態でしたから。
ですが私は心配はしなかったです。
私はまともに赤ちゃんを抱っこしたことがないまま自分が母親になりました。
小さい子は面倒でわけわからなくて、実は重くて動き回ってお母さんたちはくたびれている…を実感してもらえたのでは!笑
けどそれでも我が子は可愛いんだな、私もいつかお母さんなってみたい…そんな気持ちが芽生えて育つといいなと思いました。
5年生ってきっともう大人ですよ。その授業、中学〜大学でもやってほしいなー!経済力とか仕事とか育て方とかぐっと踏み込んでディスカッションとかしたら面白そう。
成美さま
この授業を子どもが受けるだけでなく、そのお母さん達が見守っているというのがなんか嬉しくて良かったです。(^^)
子どもたちの、お母さんへの気持ちはどう変化するのかなー?と思いながら。
そうですよねー!中学、高校と大きくなるにつれ、何となくだったのが現実問題になってきますから、もっと踏み込んで、具体的に学ぶ場があるといいですよね。