お母さんの夢が、すべてのはじまりだった。
当時、3人の子育て真っ最中だった私は、子育てをしている自分が、社会と遠いところにいるような気がしていた。お母さんが夢を描くことはもちろん、仕事を持つことさえ認められない時代だった。
ある日、ひとりのお母さんがつぶやいた。「子育てをしている私が、夢を描いていいのですか?」。この一言が、私の活動の原動力となった。
お母さんという枠を取っ払いたい。お母さんだからこそ夢を描かなければと。無理して見栄を張り、なにくそとがんばった時代もあった。あれから32年…。
今は多様性の時代。一人ひとりの個を尊重し、さまざまな価値観を共有する多様な社会が現実のものに。 お母さんが夢を描くことも、働くことも、当たり前の社会になった。それでも、笑顔になれないお母さんが少なくない。何が足りないのだろう。お母さんが笑顔でなければ、子どもは生まれないというのに。
先日10年ぶりの来客があった。「藤本さんの夢を聞き、何かできないかと思いながら何もできず、ずっと心にひっかかっていた」と。
私ではない人が、私の夢に思いを馳せてくれていたことはうれしかったが、同時に、夢を置き去りにしていた自分を恥じた。すでに人生のエピローグに入っているというのに、何をボーッとしているのかと、叱咤されたようだった。
もう一度、お母さんたちに夢を聞きたくなった。今なら昔とはまた違う、夢を聞けそうな気がする。
子育ては、社会と遠いところにあるものではなく、子育てこそが、未来をつくるもの。
広島ではG7が閉幕。戦禍のウクライナから大統領も参加したが、軍事力、経済力では真の平和を守れない。広島の母たちの願いは、首脳陣を通して世界中の人々に届くのだろうか…。
美しい紫陽花が雨だれとともに輝く季節。小さな花(萼片)たちが集まって一つの花になる姿は力強く、凛とした美しさを醸し出している。
世界中のお母さんの夢も、紫陽花のようにぎゅっと一つになれば、百万母力でわが子の笑顔を守れるのだと教えてくれているようだ。
今年もお母さん大学恒例の、7月30日「お母さんが夢に乾杯する日」がやってくる。私もひとりの母として、人生最後の夢を語りたい。
藤本裕子
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