お母さん大学は、“孤育て”をなくし、お母さんの笑顔をつなげています

りんごとおばちゃんのひとりごと

高卒で就職したが、会社に入ってから勉強したくなり、大学の通信課程に入学した。しかし、孤独な通信教育に挫折。

その後、結婚して母になると、また勉強したくなり、通信教育を再開。なぜか赤ちゃんを産むと勉強したくなる私。本当は勉強家? いや、そんなはずはない。経済原論や財政論が楽しいはずはない。ただただ母である時間から一時解放されたかっただけ。「右手におっぱい、左手に経済書」が、当時の私だった。

夏のスクーリング(面接授業)は、3人の娘(7歳・4歳・3歳)を育てている私には難関だったが、どうしても行きたかった。知り合いのおばちゃんに相談すると、「ゆうこさん、しっかりやりなさい」と言って、まるまる1か月間、娘たちの面倒を見てくれた。

当時は成田市に住んでいたため、横浜の大学への往復に5時間かかったが、苦になるどころか、その一人時間もたまらなく楽しかった。娘たちを置いていく後ろめたさが、さらに私の学びへの探求心を強めたかもしれない。

娘たちがおばちゃんとどんな日々を過ごしていたかはわからないが、一つだけ、こんなことがあった。

娘たちは、おばちゃんが歌っていた唱歌『りんごのひとりごと』を毎日聞かされ一緒に歌ったようで、彼女を「りんごのおばちゃん」と呼ぶようになった。

先日のこと。「りんごのおばちゃん」が倒れたという知らせが入り、娘たちと病院にかけつけた。

病室のベッドに横たわるおばちゃんは、呼びかけても「あ~」と、言葉にならない声で反応するだけ。そこで家族に断り、スマホで『りんごのひとりごと』を聞かせてみる。

すると驚いたことに、おばちゃんの表情が一気に変わり、小さな声で「りんご~」と歌いだしたのだ。娘たちも一緒に歌い、おばちゃんはなんと3番まで歌った。

疲れさせてしまったのではと心配になったが、歌がおばちゃんの「生きる魂」を蘇らせてくれたようで、「明日から毎日この歌を聞かせます」と、ご家族も涙していた。

そんなおばちゃんの最後の願いは、息子や孫に一目会うことだ。事情があって今はそれが叶っていない。おばちゃんの息子や孫たちもきっと、『りんごのひとりごと』を聞いて大きくなったに違いない。

ーーわたしはまっかな りんごです/お国は寒い 北の国/りんご畑の 晴れた日に/箱につめられ 汽車ぽっぽ/町の市場へ つきました/りんご りんご りんご/りんごかわいい ひとりごとーー(作詞:武内俊子、 作曲:河村光陽)

どうか、りんごのおばちゃんの願いが叶いますように。おばちゃんのひとりごとが、息子や孫たちに届くようにと、あれから私も毎日歌っている。

(藤本裕子)

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