15年ほど前、お母さん大学には、粋なおじさまたちがいた。
上場企業のトップをはじめ、途上国の技術支援をやってきた人、アパレル業界の先端を走っていた人…。趣味のゴルフやカメラに興じる悠々自適な暮らし。「ぼくはサンデー毎日だから」と白い歯を見せて笑っていた。
ある日そんなおじさまに、あろうことか、「子守り」をお願いした。
お母さんたちが2時間、お母さん大学の講座を受ける間、別室で子どもたちの面倒を見る役だ。活動に共感してくれていたおじさまたちだから、即快諾してくれたが、中には「なんでワシが子守りを!」と、怪訝な顔をする人もいた。当然だろう。
さて結果はいかに?
これ以上の保育は世の中にないだろうと思うほど、見事な子守りをしてくれた。一言でいえば、見守る保育。育児経験がないから、子どもとどう向き合えばいいのかわからない。仕方ないから、ただじっと子どもたちを見つめるのだ。
ある時3歳の男の子が「おじいちゃん、おしっこ」と言った。
その子は一人でおしっこをしたことがなかったが、それを知らないおじさまはトイレに連れて行き、「自分でやってみろ」と言った。男の子は「やってくれないならしょうがない、自分でやるしかないか」と一人でおしっこをした。
報告を聞いて母親は感動した。記念すべき「はじめてのトイレ」だった。
2時間保育をした後は、居酒屋で3時間、保育談義に花を咲かせた。
「ゆきちゃんがぼくの手をつないで離してくれなかった」「とうまくんは30分泣いて、泣き疲れてぼくの胸でぐったり1時間も眠っちゃった」「迎えに来たお母さんから悩みを相談された」と語らい、酒を酌み交わす。かつては銀座に通っていたおじさまたちが…。
素晴らしい保育は想定外だったが、おじさまたちの出番は保育の場面だけではなかった。
お母さんたちには活動のアドバイスや人生相談を。時には私のビジネス相談に乗り、昼食をみんなにご馳走してくれたこともあった。おじさまたちには感謝しかない。
かくして「シニア子守隊」は、お母さん大学の歴史に名を残すものとなった。
経済的には豊かな日本。一方で、自ら命を落とす人も少なくない。コロナや大地震を経験した今、人間として幸せの価値観を問う時代がきているのかもしれない。
まもなく、戦争を語る人がいなくなる。お産の痛みを語る人たちもいなくなる。
だからこそ、お母さん業界新聞ではこれからもずっと「お母さんはスゴイ!」を伝えていこう。たくさんの人生の先輩たちの力も借りて…。
これからは、おじさんヒーローズの時代です。皆さん、センターを狙ってくださいね。
(藤本裕子)
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