お母さん大学は、“孤育て”をなくし、お母さんの笑顔をつなげています

新・三歳児神話

文部科学省と内閣府は、待機児童を解消するため、来年度から3~5歳児が通う幼稚園で2歳児の受け入れを認める方針を決めた。

働く母親にとっては朗報? だが、未来の子育て、未来の社会を考えると、ちょっと不安。

高度経済成長期は、性別役割分業体制を維持強化するために、母親が育児に専念する必要性が強調され、三歳児神話がもてはやされた。

この三歳児神話、社会的、政治的、経済的要請に基づいたイデオロギーともいわれるが、当時は、3歳までは母親がそばにいないと子どもの発達に支障をきたすといわれたもの。

ところが超少子高齢化時代の今は、働く担い手が必要と、今度は、三歳児神話に根拠はない、母親の就労と子どもの発達は無関係だったと、国は発表した。

社会の変化に子育て環境が左右されるのも、少々は仕方ないとして、そもそもの価値観が覆されることには違和感がある。

三歳児神話に根拠があるかないかーー有識者による議論など意味がなく、意見を求めるなら、当事者である3歳までの子どもたちに聞いてほしい。

お母さんを誰より好きな子どもたちの答えは、わかりきっている。国の都合で、子どもたちの思いを無視しないで。

と、持論を雄弁に語ろうとした私に、想定外の現実が突き付けられた。当の母親たちに聞くと、意外にも、3歳まで子どもと過ごすなんて、あり得ない、我慢できない、という人がなんと多いことか。これが現実…。

かもしれないが、そんな母親たちにあえて言う。

子どもは、そのあどけないかわいさを武器に「3歳までに一生分の親孝行をする」。

それは、痛みと苦しみを乗り越え、自らの命をかけて子を産み育てた、母親にだけ特別に与えられるご褒美であり、その3年間に子どもから愛情をたっぷり受けた母親は、慈悲深く、豊かさと深みを持った人となる。

「いい人材が欲しい」と願う、企業の人に言う。

3年間しっかりと、地域で子育てを経験した母親は、未来の担い手であり、経済効果をもたらす人。

そんな母親にこそ、これまで以上のポジションと給料を与えてほしい。これが私の、勝手な「新・三歳児神話」。

子どもと、一日も早く離れたいと願うお母さんたちからは、総スカンを食らうかもしれないが、おそらく30年後には、よかったと思ってもらえるだろう。

子育ては、大変だから楽しくて、苦しい分だけ学びもある。苦労なしで得るものなど、高が知れている。

命を産み育てるお母さん業は、どんな仕事より尊く、価値あるものだと、母親たちが伝えなくて誰が伝える。

異論、反論は30年後にお願いします。そのとき私はもういないかもしれませんが、悪しからず。

お母さん業界新聞vol.112  10月号『百万母力』より/藤本裕子

2件のコメント

よくぞ言ってくださった!と同世代母親の私は思っています。
専業主婦というのを高度成長期にシステム化して、企業と結託して家庭人に女性を収めましたね。
その時の税制、年金は標準モデルで夫婦と子ども2人でした。
私は見事にそこに入り込んで、主婦の鏡(笑)を貫きました。
ところが兼業主婦が次第に増加していくにつれ、いろんな問題が噴出していきながらシステムは不滅とばかりのまま。
そのころ3歳児神話とともに、それに縛られる母に対して開放するべくフェミニズムの風。
呪縛から解放への時代だっと思います。
振り子現象は闘う女性が頑張りながら、システムの変更へ向かっていくような行かないようなのいら立ちにあります。
女性活用という言葉が言われたのは本音であり、女性という駒を歩兵としてほしいのだということでしょう。
そこに子どもという将来の大事な人間育てを真剣に考える対象にはなっていないのですから。

自分の子ども達がどんな扱いを受けていくのか・・・
しっかり考えないといけない問題です。

みっこさん

これ書くの、私の中でかなり勇気が必要でした。
実は、これ、だいぶ前に百万母力の原稿として書いていたのですが、
出す勇気なくて。
でも、10月号の原稿の締切が間に合わなくて、
青柳さんが、「これ、出しておくから」と。

お母さんたちから、クレーム来るかもと思っていましたが、
今のところ、まだありません(笑)。

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