お母さん大学は、“孤育て”をなくし、お母さんの笑顔をつなげています

お母さんの乾杯の裏側④お母さん大学生を褒めてもらって、うっとり!

『オカン、おふくろ、お母さん』を再読して

手塚 俊孝

お母さん大学には、お読みになった学友がたくさんおられるでしょう。

二〇〇六年の十二月に文藝春秋社から初版が刊行された『オカン、おふくろ、お母さん』という本を、つい先日十三年ぶりに開いてみました。

雑誌「文藝春秋」の一九八五年二月号から二〇〇六年の九月号までに掲載されたもので、当時の各界の男女八十七人の著名人が、一、〇〇〇字ほどの分量で、自らの「オカン、おふくろ、お母さん」について語られた熱い思いが、一冊に収録されています。

女性では作家の荻野アンナさん、桐島洋子さん、現東京都知事の小池百合子さん、女優の樹木希林さん、歌手の加藤登紀子さん、エッセイストの酒井順子さん、作家の上坂冬子さん、中村うさぎさん、歌人の辺見じゅんさんなどなど・・・。

男性では評論家の大前研一さん、作家の清水義範さん、立松和平さん、漫画家の加藤芳郎さん、松本零士さん、俳優の児玉清さん、経済アナリストの森永卓郎さん、映画監督の山田太一さん、イラスト画家の横尾忠則さん・・・などなど多士済済です。

初めて読んだ時は、各人各様の語り口と挿話に興味深々で、ページをめくるのももどかしく一時間ほどでの速読でした。

書名を目にしたときは、何故「ママ」の呼び名がないのかと思いましたが、執筆した方々の年配を知って、語るには、ママから卒業して振り返るだけの時間が必要らしいと納得したことを覚えています。

その頃の私はパリパリ?の現役で、仕事そっちのけで遊びに没頭していましたので、一読後は書棚に並べたまま・・・更に繰り返した転居によってダンボール箱に収まり、行方不明でした。

つい最近、久々に家に訪ねて来た娘から、唯一喫煙の出来る専用部屋(足の踏み場もないガラクタの山の中?)の断捨離を強く進言されて、渋々手をつけたところ、偶然山麓?のダンボール箱から発掘したという次第です。

今回は、評判の「○○ルーペ」の助けを借りてボチボチ読みました。

初めの速読のときと異なり、強く感じたのは、熱く語れることへの皆さんの喜び・・・まさしく幸福感でした。

もし私だったら「おふくろ」についてどういう気持で語るのだろうかと、改めて考えさせられました。

実は、私の「おふくろ」への思いは、お母さん大学への入学によって激変したんです。

それまでの「おふくろ」は、尊敬一筋(ワルガキ仲間と群れていましたので、ちょっと怖い思い)で仰ぎ見るだけの存在であったと言ってもいいでしょう。

ところが、お母さん大学の「夢ひろば」というサイトで、学友のお母さん方の日記風の投稿記事を読ませていただき、三百六十五日、二十四時間の日常の一端を垣間見せていただいて、子育てに籠められている愛情の深さとご苦労とご心労に触れたのでした。

一言で言うなら、「命懸け」に、びっくり仰天・・・目が覚めたというのか、大変遅まきながら「おふくろ」だけでなく、世の「お母さん」という存在を見る目が一変したんです。

以来、近く遠くにお子さん連れの「お母さん」を目にしたとき、その様子は他人事ではなく、何故か感動で胸が熱くなり、一挙手一投足から目を離せなくなりました。

更にお母さん大学の学友の皆さんは、家事育児ばかりか、マザージャーナリストとしてのご活動をはじめさまざまな分野で社会に貢献しておられるのです。

こんな言い方しか出来ませんが、尊敬から尊崇の念に変わったのでした。仰ぎ見るだけでなく手を合わせるようになったんです。

つまり、「おふくろ」についてはもちろん、世の「お母さん」に対しても、私としては感謝の言葉さえもが物足りなく、ましてや語る資格なんぞがあるのだろうかと冷や汗を掻いている始末なんです。

「母」は海に喩えられています。外国でも女性名詞とされているように、人類をはじめ命あるものの悉くは海から生み出されています。まさに命の根源と言っていいでしょう。

陸地に上げられて育てられ、喜怒哀楽を織り交ぜて来た八十五年余りのこれまでの人生と、今の私があるのは、十月十日間の懐胎に始まり、今もなお包み、見守ってくれている「おふくろ」あってのことです。

そう言えば、私は高校生の頃から、想定外の危機的な事態に遭遇した時、「お母さん」の一言を呟くようになっていました。言ってみれば「お呪い」なのでした。何度助けられたことか!

二人の子の母親で、一人の孫(私にとっては初曾孫・三才になりました)の「おばあちゃん」になっている娘のお陰で、潰れかけていたダンボール箱から発掘したこの本が、こんなことを気付かせてくれました。

 

令和元年(二〇一九年)七月

 

写真は、同級生の近藤さんとツーショット。

5件のコメント

ありがとうございます。こんな美し学友と並んで写る・・・私には奇跡です。長生きの活力をいただきました。お陰で「寝たきり老人?」になるはずの私は「起きたきり老人」になりました。来年の乾杯パーティには「二匹目の泥鰌(失礼!)」を期待して、今からワクワクしています。

あれー!!!!!????
トシさん、初めてこのサイトでトシさんにお名前&コメントを拝見します!!
あれーーーーー!!??
ずっと、このサイトにおられましたか~~??
夢ひろばがなくなってから、ずっと交流を重ねてきたトシさんとのやり取りが、このサイトでできなくなって、
とっても寂しい想いをしていた近藤です(涙)
でも、!!コメントされてる!!
・・・ということは、また、こちらでもトシさんとやり取りできるんですね!!

乾杯では、トシさんに会いに行くために、横浜に飛んだようなものですよー!!
(あ!言い過ぎた(笑))
4年越しにお会いできて、とっても嬉しかったです♡
夢ひろばで、(私のペンネームは、【みーくん】でした)どれだけトシさんのコメントに、励ましに、支えられてきたことか・・・
実際にお会いできるなんて、夢のようでした!
トシさんがご存命のうちに実現できて良かった!!(←コラコラ!(笑))
また、トシさんのコメント、首を長~くして、お待ちしてますからねー♡

「みーくん」へ
今日は渋谷のお馴染みのスナックで夜遊びでした。煽てられて「へタクソな演歌」を唸っている内に終電車の時刻を過ぎてしまって、先ほどタクシーで一応無事?帰宅しました。1ヶ月ぶりでしたので大目にみて下さい。
帰宅してパソコンを開いて、ダブルの嬉しいビックリでした。
1度目は、数日前のことです。
乾杯パーティで美和子さんと腕を組んだ写真の発見でした。
「ウワーッ!!、これ 誰?」・・・これ以上ないという幸せそうなジイジイが写っているではありませんか。バチが当たらないかと思いました。
2度目が、今です。
お母さん大学の新しいサイトへのアプローチが出来ず、ズーッと無断休学をしていたのでしたが、今回のパーティを機に、藤本学長からきついお達しがあって、「エイ、ヤッ」とトライしてみたのでした。
まさか、それが美和子さんのお目に止まって、お便りをいただけたなんて、こんな贅沢はありません。
「乾杯では、トシさんに会いに行くために、横浜に飛んだようなものですよー!!・・・(あ!、言い過ぎた(笑い))」とありましたが、この言い過ぎ?のお陰で、私の寿命は100歳を越えそうに思えてきました。  
美和子さんは、立派にお子様をお育てなさるだけでなく、85歳のジジイも上手にお育てなさるんですネ。
これからは、遠慮なく「みーくん」と呼ばせていただいて、「夢ひろば」以来のお付き合いを楽しみにしております。
間違っていたらゴメンなさいですが、たしか「ラブギュー」は美和子さんのご発案ではなかったでしょうか?
伺って以来機会ある度に、マンションのお母さん方や俳句の会の皆さん方にお伝えしてきましたが、私の家族一同(私から曾孫までの4世代13人)の間では、「心を繋ぐお呪い」になっています。
これからシャワーを浴びて、3分後にカップヌードルで、この嬉しさを噛みしめます。本当に嬉しいです。 ありがとうございました。 手塚俊孝

トシさん

こちらでまたやり取りができるなんんて!
嬉しいです!!
寿命100歳なんて言わず、トシさんなら130歳ぐらいまでご存命されそうです!
そのためにも、若いママたちの、こどもたちの、エネルギーをたくさん吸うために、コメント入れてくださいよー!
ミニ藤本さんとして、おしりペンペンしちゃいますよー!(笑)

トシさんは、このサイトは、パソコンで見られてますか??
もし良ければ、このサイト内の右下に【タグ】があります。
そのタグ内に、【筑前町ゆりかご版】があります。
これを開いてもらえれば、過去に私がこのサイト内で書いた記事が全て出てきます。
もし良ければ、酒のつまみにどうぞご覧頂けたら嬉しいです♪

コメントを残す