子どもってすごい!
あの表現力は、演出家、いや芸術家以上だ。
先日、編集部に遊びに来たたっくん。実は編集部はたっくんの大好きな場所。たっくんのおもちゃはあるし、たっくんと遊んでくれる人はいっぱいいるし、美味しいものも必ずある。パパもオババもいる。とにかく、たっくんのお気に入りの場所に違いない。
その日、久しぶりに来たたっくん。よっぽどうれしかったのか、部屋に入るやいなや突然に奇妙なダンスというか、わけのわからない、振りとステップで舞い踊って見せた。
それはもう言葉にならない、まるで、アフリカの原住民の儀式に見るような、原始的かつ動物的なにおいがした。
これこそ、まさに、歓びの舞…。
かつて、サッカーのカズこと三浦知良がゴールのときに見せた「歓びの舞」。まぁ、あれは、観客に見せるためのパフォーマンスなので、たっくんの「歓びの舞」とは本質的に違うが、オババはたっくんの姿に、感動して震えた。
そして、たっくんの「歓びの舞」を目にして以来、度々不思議な感覚に襲われるようになった。あるとき突然に、遠い昔のどこかの或る時間に、タイムスリップするのだ。
まずは、大昔の学生時代。当時、私がどうしても許せなかったもの。それは、体育の時間に演らされた創作ダンス。「喜び」や「悲しみ」、「太陽」や「風」などを、身体で表現するなんて、恥ずかしくて恥ずかしくて、絶対にできなかった。人が表現しているのを見るのもいやだった。
絵を描くこと、楽器を弾くこと、歌をうたうこと。どれも苦手だった。全く感性がない。だから役者や舞踊家はもちろん、いわゆる芸術家といわれる人たちを、同じ人間とは思えなかった。
さらに、不思議なことが続いた。今度は、幼き日の懐かしい娘たちのシーンが、どんどん蘇ってくるではないか。いつからだろう、子どもたちの「歓びの舞」を見なくなったのは。それにしてもたっくんは、オババにいろいろなことを思い出させてくれる、不思議な力を持っているみたい。
人は、幼い頃に感動すればするほど、鋳型のようなレセプターが形成されるらしい。感動が強ければ強いほど、それは確固たるものになるという。
オババのレセプターも、少々錆びてはいるけれど、まだ生きているようだ。今度、私も歓びの舞いを踊ってみよう。
表現…。
藤本さんはペンを持つことで、それを叶えようとしたんですね。
一種のアーティストですよ。
表現は森羅万象、全てが行ってる生きるために必要なことですからねー。
歓びの舞、みんなで踊りましょう♫
聖子さん。
踊りましょう。
あだっちゃんにスクエアダンス、習わないと。
ぎゃほん。
知らない間に呼ばれました?
普及活動がんばらねばー。
みなさん、一緒に踊りましょう♪
毎年、乾杯で練習しましょうかね~(笑)
まず、久留米からはじめて。