お母さん大学は、“孤育て”をなくし、お母さんの笑顔をつなげています

生きるという事〜前半〜

私の母を、3月末に亡くした。誕生日迎えてまもなくの死。母はホントに、前向きに最期まで生きていて、亡くなる素振りなんて全く感じていなかったので、とにかく気持ちが追いつかなかった。勿論、泣いたけど、涙もそこまででなかった。

亡くなる前に一度、家に帰ってくることが叶った母。殆どご飯も食べれておらずに、コミュニケーションも難しくなっていた母をみて、私がしっかり介護して、メンタルが戻ってきたらまた少し良くなるはず。前向きな母の前では必死に私も前向きにいることを試みたが、

思い届かず母は天に登って行った。

母は、地元で、後進の指導にはげみつつ、自身もピアニストとして活動していた。

そんな、母には夢があった。コロナ禍ということもあり何度も開催できなかった、ある先生方とのコンサート。それは母が10年夢見てきた物だった。

これは、最後の親孝行。私が絶対叶えるんだ。執念にも近い想いが私の中に宿った。

初っ端、突発性難聴患ったり、PTSD気味で救急車の音聞いたりすると胸が苦しくなったりする日々もあり、何度も諦めかけた。

母の夢を叶えるべく、私はコンサートの変更届を出したり、どこまでコンサート決定されてたのか、情報整理に明け暮れる毎日。2歳の娘を連れての打ち合わせの毎日。

そんな私を支えてくれた人は娘や主人、お母さん大学生を筆頭に沢山いた。だから倒れずここまでこれてると思う。

→後半は続く