私には、夢がない。
正しくは、夢がなくなった。
叶えたくても一緒に叶えようと思っていた人がある日突然いなくなった。
子どもたちの成長も、一緒によろこんでくれるはずの人だった。
家族の形として描いていた未来が消えたのだ。
でも、だからこそ、今、生きている今日、この瞬間を楽しめるようになった。
人にどう見られるかばかりを気にして、教科書通りが正しいと思っていたそれまでの自分には、考えられなかったこと。
おかげさまで、目の前のわが子をじっと見ることができた。
わが子がどんな決断をしても、それはいいね、と思えるようになった。
起こること全てが正しくて、最高だと思えるようになった。
今があることは、当たり前ではないから。
その答え合わせをしたような時間だった。
それでええんよ、と言ってもらえた気がしている。
世界ナンバーワンのモーターメーカーとして知られる、ニデック株式会社の創業者である永守重信会長とお会いした。
ものすごく緊張した空気に押しつぶされそうになるのかと期待したが、
あっさりと写真撮影して、あっさりと笑顔でお話しされて、一緒にお食事をした。
だからこそ、永守会長の素晴らしさを感じた。
永守会長は、「夢を持つように」「夢がないといかん」とおっしゃった。
「なんのために生きるのか考えろ、楽しむのが一番」。とも
ならば、楽しいことを考えたら、それが全て夢になっていくのかも。
この日は、みんなで一緒に、お母さんの夢を成しとげる覚悟をした日になったのだ。
翌日、永守会長と握手をした事実に興奮冷めやらぬまま、京都の街を少し散歩することに。
たまたま通りかかった京都国立博物館で東福寺の特別展が開催されていた。
東福寺を開山した円爾(えんに)という禅僧にまつわる美術品や書の展示がなされているとのことで拝観することにした。
円爾の遺偈(いげ・ゆいげ)の書が目に留まった。
遺偈とは、禅僧による死の直前の言葉。
「利生方便、七十九年。欲知端的、仏祖不伝。」とある。
衆生の利益を念じて精進した七十九年。
仏道の真理を知ろうとしても、それは仏も祖師も伝えず。(現代語訳は展覧会図録から)
真理とは、全て自分で体感して得るものである、ということ。
やるかやらないかの差である。
できるまでやることである。(これは永守会長の言葉)
子育ては親の数だけあり、さらに子どもの数だけある。
自分の選択が、正しい選択である。
お母さん大学で何も教えないのは、
自分で体感することでしか、真理は得られないということを示しているではないか。
私たちは、お母さん大学で心動く体験をしよう。
永守会長に会いに行くことも、
たくさんのお土産大作戦も、
「永守さんは〇〇です」実行部隊も、
握手はよくて、ハグはダメなことも、
永守コレクションミュージアムで
厳かに温かに心に響いて涙を誘う「讃美歌」320番も、
池田さんが演奏したかわいくてヘンテコな音楽も、
本当はお母さん大学生全員で体験したかった。
お母さん大学にある母ゴコロ。
半径3メートルの世界が宇宙であること。
お母さんにとって、子育ての悩みはかけがえのない宝物であること。
伝わる人にだけ伝わればいいと思っていたけれど、
私の夢は、目に見えない大切なものを、伝える術を発見すること、かもしれない。
●成しとげる母力プロジェクト
https://www.okaasan.net/nashitogeru-boriki/
●その他の記事
https://www.okaasan.net/category/hyakumanboriki/nashitogeruboriki/
みんなの良い笑顔、写真が全てを物語ってる〜〜
お土産作戦まであったんですね!
裏情報も知れるのがまた面白い!
ほんとはここに書けないこともたくさんあるんだろうな〜笑
去年ラブレター書いてたことが本当に実現しちゃつんだもん!
夢を描くってすごい!!
みんなで叶えたー!!大きな大きな一日でしたね!
脇門さん、行かれなかったプロジェクトメンバーにもそれぞれの思いがあることですよね。
きっとそれにも意味があって、次の主役のバトンなのだと思います!(ので、よろしくです!)
植地さんのリアルタイム記事!
そしてまとめ記事にどかーん!と衝撃。
みんながよかった、よかった、と言う、そのよかったが気になっていました。
植地さんの考え方や、いつもポジティブなところも、行動力も、この記事を読んで、植地さんをもっと知れたのは、永守さんと出逢ったことで、心がたくさん動いたんだと感じました。
植地さんの記事で私の心も動きました。
なんのために、なにをするか、成しとげるとは。をたくさん考えさせていただきました。
お裾分けありがとうございました。
ほんと、みんなが「何を成しとげるのか」ということを真剣に考えたことと思います!
突然始まったプロジェクトが、世界のトップメーカーの会長に会えるまでの物語は、とらんたんの歴史の一ページですね。
行った人だけではなく、お母さん大学生みんなの思いがあるからこそです。