3回目の母ドラ。今回のキーワードは「知識労働者」。
”肉体労働”と聞くと物を作ったり運んだり、とすぐにイメージが出来ます。
でも”知識労働”という言葉は初めて知る言葉で、なかなか頭に入ってきませんでした。
分かるようで分からない、という状態で勉強会に参加し、改めてみんなで読み解いていくうちにふと気付いたことがありました。
それは身近に優秀な知識労働者がいて、その方を組織から失ってしまったということです。
私が所属している森のようちえんで、ひとりのスタッフが12月で抜けることになりました。
「抜けたい」という彼女からの説明を聞いた時、
私は最終的に価値観の違いだったと思い納得しました。
価値観が違うから仕方ない、と。
ですが問題は価値観が違うことではなく、その違いを活かし合うことができなかったことでした。
もちろん「お互いを活かし合う」という気持ちはありましたが、その方法が分かっていませんでした。
今思い返すと彼女が約1年間訴え続けてきたことは、知識労働者の考えそのものでした。
・ようちえんとして何がしたいのか、目指すところは何なのか?
→果たすべき貢献が見えてこない
・目指すところが分からないから、自分の活かし方が分からない。
→位置と役割が定まらない
・成果をあげられないからやりがいが無い
→自己実現と成長の機会が与えられていない
・みんながバラバラの意識で保育に入っている
→「やりたいことをやる」ことと「個々を活かし合う」ことは違う
そして優秀であるがゆえに自ら動いていってしまい、
私たちは貴重な知識をもった保育資源を失うことになってしまいました。
彼女をつなぎとめるだけの求心力が足りなかった
それが何よりの課題だと感じました。
息子は彼女から火の扱いを教わりました。
ガツンと叱られたこともありました。
いつでもそばにいるよ、力になるよと何度も愛を受け取りました。
彼女から「もういなくなるよ」と最後の話を聞いて見送ったあと、
息子は大泣きしたと聞きました。
それを聞いて、私は失ったものの大きさを知りました。
もし私が母ドラ1期生だったら違う未来があったのだろうか…そんなことが頭をよぎりました。
お互いを活かしあう、統合という価値観。
母ドラではその考えを学ぶだけでなく、コメントのやり取りで実践し訓練します。
私は、相手の軸足に立つということをまだまだ掴めず、きっとこれからも間違えます。
白仁田社長と母ドラのみなさん、大きな大きな胸をしばらくお借りさせてくださいね。
学びを経験に結びつけてあるのがスゴイなと感動してしまいました。
有能な人がいればコトがうまく運ぶわけではないということ、書かれている通りだと思います。
今回は何もできなかったかもしれないけれど、これを一つの学びとして木綿さんの糧にすることが、去った彼女のためにもなると思います!
「有能な人がいればコトがうまく運ぶわけではない」
なるほどなぁと思いました!
ドラッガーは難しく感じることもありますが、誰にでもできると励みになることもあります。
いつもサポートありがとうございます(^^)
母ドラが、木綿さんの大きな学びになっていることを感じました。
藤本さん、貴重な場をありがとうございます。
普通に生きていたら出会うことのない世界だったと思います!
これからも楽しんで学んでいきます。