お母さん大学は、“孤育て”をなくし、お母さんの笑顔をつなげています

大変だからなくす と 本来何のためか?

うちの子の小学校の登校班、なくなる方向になってます。
長年続いた登校班、自分自身の子どもの時にはなかった(正確には最初いた小学校ではあったが、そのあと大部分を過ごした小学校では近すぎてなかった)風習で、時間のことで気遣うわ、うちが代表した時には、突っかかって来る保護者いるわで、私も正直なくていいわと思うことも。
でも、続けて来たのは、子どもの安全を思ったり、今まで高学年の子が見てくれたから、それを下の子に返さないとという気持ちがあった。
去年愛護委員(子どもの登下校の見守りなど)をしてる時から、PTA会長で議員もやってる人から、市内の他の小学校の状況も教えてもらった。登校班があったところも、今は自由登校になってるところが多いと。その理由としては、同じ方向から通ってる子が多いから、同じ時間に周りに子どもが沢山いる状況だからと。
うちの小学校は、色んな方向から行くし、うちみたいに橋渡って遠くから行く子もまた状況違うんだけど。
でも、学校は全体に登校班の是非のアンケート取る予定はなく、先生も満場一致で賛成だったらしい。結構トラブルが多かったらしい。
今まで、何を守って来たんだろうってむなしさと、めんどくさいからなくそうとなくす方向前提っていうのがなんだかなぁーーー。
一応アンケート用紙が配られたけど、従来の登校班でいい、1学期だけ登校班、どちらでもの選択肢と小さく意見書くとこしかなくて、なくす前提を感じる。登校班はなくなってもいいんだけど、保護者がやってる旗当番は?とかの議論がなくて、おかしい。

私も最初は、旗当番は大変だと思った。始まった頃は下の子が2,3歳だったから、まだ寝てて置いて来たこともあったし、帰って来たら泣いてたこともあった。連れて行くにも大変だった。今は、ここの土地に人数も増えて、未就学児がいる人は免除になったり、2か月に1回になってるからだいぶ楽。それでも、面倒に感じる人はいるのだろう。

保護者の中にも、「自分の子が登校班で行ってなかったら、旗当番をしなくてもいいですか?」という質問もあった。そもそも、登校班で行っていないというのは個人的な理由によるものなので、登校班で行っていなくても、旗当番はしてくれるという人もいる。

よくやりたい人だけでやればいいという意見も出るけど、その人数が圧倒的に少なくなったら、残った人も疲弊してしまう。大人数でやるから負担も少なくて済んでいる。

私も朝は苦手で、めんどくさいことは避けたい方だけど、これがなくても子どもは行けるだろうけど、変質者とかスピード出してる車に対する抑止力にはなってると思う。いま、災害や事故、事件が増えてる中、そういう時って不審者とか増えてる。(防犯メールも増えてる)

そんな中で、その議論がないってどうなん。

しかも、今年から通学路の途中に商業施設の移設工事が始まるから、工事車両や将来的には運搬車両も増えるのに。

私も役や愛護委員をしていくうちに知ったけど、登校班が始まった経緯は、学校が始めたのではなく、地域の人たちで作っていったそうだ。ここの地域は宅地の開発が始まったばかりの地域で、子どもの人数が少なく、信号のない横断歩道も多いので、お母さんたちがついて行ったのが始まりとか。そのうち、ずっとついて行くのは大変だから、要所要所に立とうと始まったのが旗当番。逆に今は、こちらから橋を渡って行く子(1.5kmくらいの距離で、低学年で25分くらいかかる)が多いから、同じ時間帯に登校する分には、登校班がなくても大丈夫とは言える。

ただ登校班をなくす分、見守りは残しておいた方がいいと思う。地域の方が旗振りをしたり、社会協議福祉会の民生委員の方がボランティアでついて行ってくれたりしているが、中にはそういう方がいらっしゃることを知らない人もいる。民生委員の方も、役割でしてるわけでなく、ご高齢のため、それも今年度いっぱい。

義務的になっていると、めんどくさかったらやめてしまえになるし、やってもらってることを知らないと感謝もない。規模が大きくなると話し合いもなく個々の意見だけ聞いて、決まっていく。
大変だからなくす、っていうのが増えてて、本来これは何のため?っていうのが放置されてるのがなんだかなー。

(写真の旗は旗当番で使ってるものとは違って、愛護委員をしていた時、予備で渡されていたものです。)

4件のコメント

勝手なイメージというか、感覚的なこといいますよ^^;

うちらの世代って、あったものがよくなくなりません??

勿論、コロナを経たのもあるんでしょうが。。

前のやり方と、新しいシステムややり方に移る過渡期に、よく直面するなぁ。。って、思うんですよね〜。

それで、もしも「登校班物語」っていう映画があったとして、その映画でお母さんをするとする。その時、この序章の「信号のない横断歩道も多いので、お母さんたちがついて行ったのが始まり」っていうお母さんにはなれない。物語終盤の「最後の登校班を見守るお母さん」になる気がするのよね。いつもいつも。私はそんな星回り(笑)それで、あーだこーだと、新しい方法を模索して、小学校卒業する頃に、「そうよ!そういうシステムを求めてたのよ」っていう、良いシステムが生まれて、でも、それを利用する世代じゃなくなる。
こんなことばっかな気がする。。

あ~あ、それにしてもモヤモヤするお話ですねー。

登校班なくなったとしても、何かしらの方法で、面倒臭いこともたまには良いよねって、笑ってさー、子どもたちの安全をがしっかり守れますように!

あったものがなくなる過渡期。それは言えてますね。
時代は常にそんなものなのかもしれないけど、特に今はそうなのかも。

「そういうシステムを求めてたのよ」っていうの、できてしまったら簡単なことなんだろうけど、できるまではほんと試行錯誤ですよね。
子どものことって、幼稚園にしろ、保育園にしろ、小学校にしろ、期間が短いから、行政に訴える時も、自分の子どもが対象期間は言うけど、その時期を過ぎたらあまり関わる人がいなくなるって聞いたことあります。だから行政は、ずっと言い続ける高齢者の意見の方を優先するとか。

以前、プライベートで天野さんがつないでくれて、全国の学校あるあるを聞く会をオンラインでしたことあるけど、同じ日本でも違う県や地域には違う文化があって、自分とこのスタイルしか知らないとこれしかないと思いがちだけど、全国を知るとこういう方法もあるのか~と興味深かったです。

そうそう、子どもの安全が何より。

おつかれさまです!

うーん、大変ですね。地域の方からはじまったっていうのがとっても素敵だな~と思いました。元々始めた時の思いや目的が時代とともに変化していって、、登校班をまったくやったことがないのでわからないのですが、仕組みだけ変わらず残ってしまうと、理屈はわかるけれど大変!!みたいになってきがちですよね。

なくなるにしても、何かしら変化していくにしても対話があるといいですね~。

旗当番はうちの小学校にもありますが、以前は旗を次の順番の人に渡していくという感じでしたが、そもそも会えない、渡しに行く時間もないということから、旗を一家庭ずつ持って、学年ごとの旗当番週刊で自分の都合で立つという感じになりました。(言っていることわかりますかね??)結果、自分の旗当番の日がハッキリ決まっているわけではないので、自主性に任せられていて、本当に立っているのか、ちゃんと機能しているのかもいまいちわからない感じになっています。。

大切なことは何か、、そのために今どうしたらいいか、、そんなことを話せる仲間が欲しいし、
知恵を絞りたいですね。

そう、最初は地域から始まったっていうの、自然な流れでいいですよね。
義務になるとしんどいのと、余裕がないのが今の時代なのかも。

旗を一家庭ずつ!まさに「個」の時代ですね。

旗当番週間って、学校が決めた「特に今週は見守りしてほしい」って週に任意で立つってことですよね?
うちはそれは、旗当番でなく、学校の門での見守りであります。どっちでもいいとなると、自分だけ行って過保護な親みたいな感じになるのもなーと思って、行けてないです。ある程度、役割っていうのが行きやすいというのもあるかも。

自主性と役割のバランスも人それぞれかも。
どちらにしても、話し合いが少ないからモヤっとするのか~。

コメントを残す

ABOUT US
戸﨑朋子
MJプロ。 12歳(小6)と8歳(小3)の女の子がいます。 子どもが生まれて、今までに感じた事のない気持ちやを感じて幸せだったり、ダメな自分を突き付けられる思いがしたり。 何があろうと思うのは、子どもが生まれて良かった。 色んな思いを綴れたらと思っています。