3月で父が亡くなって3年が経った。
急なお別れで実感なく見送って、毎日に追われる中で父のいない生活にも慣れ、あっという間に時間が進んでいく。
あの時は1歳7ヶ月、まだ伝い歩きで葬儀の時に嬉しそうに椅子を伝いながら動いていたムスメも4歳、年中さん。あっという間に小学生になるな、ピカピカのランドセル姿の、よその子どもたちを見ながらムスメの姿を想像する。
日に日に少しずつお姉さんになっていくムスメにはじぃじの記憶はたぶんない。でも実家では遺影に毎度手を合わせ、手を振り、写真を撫で、じぃじからのプレゼント(として母が準備している)お菓子をもらう。耳に届く言葉はないけど、「じぃじがありがとう」って言ってるよって心に伝わってくる言葉はあるようで。
記憶がないはずなのにじぃじがムスメの身近にいるのはきっと私たちの会話にじぃじが出てくるから。実家だけでなく、わが家の一角にもじぃじの写真が飾ってあるから。小さな仏壇のように写真と鈴も置いていて、時々思い出したり目に入ったときに鈴を鳴らして「じぃじ〜」と呼びかける子どもたち。
先日、ムスメにどうぞとお土産に頂いた菜の花。
持ち帰った時にはすでにしんなりしていて、ムスメに見せて終わりかな、と思って置いていると、ムスメはその菜の花を短く切り、「じぃじにあげよう」と写真の前に並べるように供え始めた。花瓶にいれる?と提案すると、そうしよう!と水を入れた花瓶を渡すとそこに入るだけいっぱい菜の花を差し、どうぞとお供えした。
「じぃじがキレイね〜ありがとうって言ってるよー!」
としっかりとじぃじの声まで聞こえたようで、満足げにその場を離れた。
しばらくして見ると、しんなりとうなだれていた花がシャキッと伸びて花も開いて鮮やかな黄色に彩られていた。じぃじの居場所が明るくなって、喜んでるんだろうね、そんな話をした。
池末さん、声が聞こえますね。
私も父を早くに亡くしました。
もっと孫たちと遊んでほしかったな。今でも電話かけたくなります。
池末さんが生きている限り、そして娘さんが生きている限り、お父様も、存在しています。
植地さん
ありがとうございます♡
ほんと、子どもたちの成長を抱っこして喋って笑いあって…そんな時間を想像していただけに、ここにいないことは寂しいのですが、
それでも亡き人だからこそ、父がいて命がつながっている実感が子どもたちにも伝えられている気がするんです。
病気の娘を心配していた父だからこそ、娘へもしっかり伝わっているのかな、守ってくれているんだな、と日々感じています!
伝え歩きの時におじいちゃんを亡くし、でもこうしておじいちゃんの存在を感じる…
池末さんたち、家族のおじいちゃんへの愛がそうさせるのか、
赤ちゃんでもしっかりとおじいちゃんの愛を感じていたのか…。
もちろん両方だと思うけど、なかなか興味深い記事です。
天国のお父さんもきっと喜んでいるでしょうね。
青柳さん
娘の病気のことを心配してノートにその思いを残していたのが亡くなった後に見つかり、普段は孫にメロメロのおじいちゃんでしたが、心配を隠して関わってくれていたんだと思います!
わが家にも父の居場所があることで子どもたちが身近に感じてくれているのかもしれませんね!
あとは
実家の父の写真の前に置かれたお菓子を前に、
じいじ、お菓子ちょうだーい!とおねだりしても、ダメって言われないこと(笑)
母のじいじを忘れないでねっていう孫への気持ちですね!