お母さん大学は、“孤育て”をなくし、お母さんの笑顔をつなげています

ピアノと母

街角にぽつんと置いてあるピアノ。
通りがかりの人が誰でも弾ける。
そんなテレビ番組を何気なく見ていた。

演奏し終わった女性が、あなたにとってピアノとは?との問いに答えている。
「プロになるためじゃない。続けていれば、きっとあなたの助けになる時がある、と母がピアノを続けさせてくれた。母に感謝している」

小さい頃から中学までピアノを習っていた。
隣に住んでいる少し年上のお姉さんが習っているのをとてもうらやましがって習うことになったそうだ。
素敵な洋間にピアノの音が鳴り響くのが夢だったのよ、と母が嬉しそうに話すのを聞いたことがある。
レッスンがある日に、学校で友達とプールに行く約束をしてきて、今日は休む、と言って母を泣かせたこともあった。
それでも続けていれば、発表会があったり、学校の合唱コンクールで伴奏をつとめたり、何かと人前に立つ機会が多かった。

ピアノの音色に弾く人の人柄が滲み出るのを知ったのは、ずっと後になってからだ。
学校で目立って鼻高々だった自分が恥ずかしい限り。
音感もリズム感もなく、聴く耳もなく、よくもまあ堂々と人前で弾いていたものだと呆れてしまう。

母は、どんな気持ちで私にピアノを続けさせてくれたのか。
体が弱い祖母の代わりに弟妹たちの面倒を見ていたという母。戦後の貧しい暮らしの中で女学校にも行けなかったという母。
若くして地方公務員の父と結婚してからも、その暮らしは慎ましいものだったろう。
そんな中でローンを組み小さな家を建て、やりくりしてビアノを買いレッスンに通わせてくれた。
それなのに娘ときたら何だか訳の分からない楽譜を買ってきては映画主題歌だのビートルズだの弾いているという有様。
ピアノの先生が引っ越されることになり、次どうする?となった時に「受験だし一度辞めたら?」と言ったのは、もう母の夢もそこそこ叶えられ満足していたのかもしれない。いや、夢破れたりといったところか。

結局それ以来先生について習うという機会はなく、もう指も思うように動かない。もし街角にピアノが置いてあって、好きに弾いていいよと言われても、もはや空で弾ける曲もない。
でも、ピアノに触れたことで音楽の世界がいつもとても身近にあったのは確かだ。
それらの音楽が確かに私を助けてくれていたし、これからも音楽なしでは人生がカサカサしてしまいそうだ。

今は縁あって、フラの世界でいつも音楽に触れている。形は違っても、よく聴いて感じて美しく表現するということでは、ピアノと一緒かもしれない。

結婚し家を出て、もうとっくに処分されてしまった私のピアノ。この度、実家を処分することになったので、片付けの際に出てきた写真。
まだ1歳くらいの長男が懐かしいピアノに触れている。

4件のコメント

ピアノに触れている息子さんの写真、かわいいです(^。^)
ばぁば一年生でいらっしゃるんですね。私も、ばぁば一年生で同級生になります。いつか、ばぁば談義できると楽しいだろうなぁと思います(^.^)

高木さん、ありがとうございます。
訳あって、子どもたちの写真を全てなくしてしまったので、実家の片付けの際に懐かしい写真がたくさん出てきて私も思い出に浸っていました。
高木さんの記事、あ〜おんなじ1年生だと思いながら読ませていただいてました。ばぁば談議、ぜひ致しましょう。

るみさん、私もおんなじくらい、のピアノ愛です。
すごくよくわかります。
私の話!?って思うくらい。

今度一緒にやりましょう。
うちの実家には、水害にあってドロドロになったけど、母が必死で洗ってくれた音の狂ったピアノが一台、まだあります。

植地さん、ありがとうございます。
わかっていただけるの、嬉しいです。
ご実家にピアノ、あるんですね。お母様が大事に大事にしてくださっているのね。うらやましいです。うちの母なんか、アッサリしたもんです…。

コメントを残す

ABOUT US
佐藤るみ
母親歴32年。乾杯歴31年。いまだにふたりの息子たちに育てられています。ばあば一年生となりました。