ある日の学童からの帰り道、娘がこう言った。
娘「今度、学童にいる間、空見てようかな」
私「ふぅん、いいね。」
「それで指導員さんに、
ヒマ?って聞かれたら、
『ううんヒマじゃない。空見てるの』
って言おう。
空が気になるんだよね。
どうやって夕焼けになっていくのかとか、ずっと見てたいんだ」
2年生の頭の中は、
私にとって、とても豊かな放課後構想で溢れていた。
私も、そんな放課後を、
娘には過ごしていてほしい。
「何にもない日を大切にしよう」と誓って
本当になんの“映え要素”もない過ごし方ばかりしてきた幼児期が、
ここに良い形で表れてくれた気がする。
私は車も運転できないし、
誰かに自慢できるようなきらめく場所には全然行かなかったけど、
娘が、自然の中や何もない場所に魅力を感じてくれることを大切にしたい。
ヒマを楽しめる力が、きっと娘にはついている。いや、彼女にはヒマなんてないんだ、きっと。
戻れるなら、私も子どもに戻って、一緒にそんな放課後を過ごしたい。
今からでもできるっていうのは確かにそうなんだけど、私は時々思うのだ。
この子が、私の子ども時代の友だちだったら良かったのにな、と。
雲をながめるために空を見上げていた子ども時代へと、私も戻りたくなる。冬空と母ゴコロ。
吉村お母さんが、子ども時代に戻って
娘と友だちになったら、きっと、ふたりで盛り上がっていると思う。
二人で、空を見上げながら、いつまでも、いつまでも。
クスクス笑いながら…。
そんな気がしました。