お母さん大学は、“孤育て”をなくし、お母さんの笑顔をつなげています

君の名は、キリンちゃんだったんだよ

今日は娘の誕生日。
偶然かな、今日、とらんたんで、藤本さんから出産(主に帝王切開)にまつわる衝撃的な映画を見たという話を聞き、
植地さんはなんで帝王切開になったの?と聞かれたので、
逆子だったからです…
などという会話をしました。

自宅に帰り、
日記をつけていたことを思い出しました。

有休をもらって、すぐに里帰り出産のために帰省。
1か月半近く、のんびり過ごし、出産に臨む。
というスケジュールは、帰省翌日の検診で崩れました。
思いがけない「切迫早産」の診断。そのまま入院となったのでした。

2002.12.13(金)
よりによって、切迫早産で入院。
逆子が直らない。このままでは帝王切開らしい。
無事に生まれてくれればそれでいいけれど、神様、お願い、産みたいです。

薬のせいで字が震えています。

2002.12.14(土)
逆子が直る夢を見た。夢だったけれど。

病室には毎日、仕事終わりに妹が寄ってくれました。
そして、病棟が閉まる21時までずっと話をしていてくれました。
実は、この頃、家族にもいろいろあって、なんとなく、悩みを共有したりして。

2002.12.17(火)
クリスマスカードを書く。
聖子ちゃんと幸ちゃんと、弘子に。
今日も逆子の直る気配なし。こんなに胎動あるのに。
今まで気持ち前屈みじゃないと歩けなかったのが、今ではそりかえって歩けるくらい平気になった。
私、おなか張っていたんだな。自覚がなかった。
もしかしたら一生のうちにこんなに時間を自分のためだけに無駄に使えるなんてないのかも。
怖いことは考えないで、小さな四角の空間に居るだけの人間になろう。

はじめての妊娠だけど、仕事で周りに迷惑をかけないように、と思っていた。
お腹が大きくなるのが恥ずかしいなぁと思っていたこともあった。
大後悔しているころ。
まだ、通常分娩の望みがあるかもと期待しているころ。

2002.12.18(水)
看護師さんが「一日中何やっているんですか?」と茶化してくる。
意外に胎動を感じているだけでも時間が過ぎているんだけど。
夜、夫に電話をしたら、飲み会だったらしく、大阪弁だった。

夫は酔っ払うと大阪弁だった、そういえば。

2002.12.19(木)
モニターを取って、お腹の張りが問題なければシャワー!シャワー浴びたい!
今週中に一度赤ちゃんの様子を見ますと先生が言った。
おそらくその時に逆子だったら、帝王切開の話になるのだと思う。
本当ならあと一月、お腹の中で過ごすはずだったのにね。
そんなに居心地が悪いかい?

実家に犬を預かってもらっていることも、かなりの心配で、私の心の大半を占めていた。
だって、イタズラ、お漏らしの常習犯。
それから、せっかくここまでフードに気をつけて飼育してきたのに、
うちの父がお酒のつまみとか、なんでも食べさせてしまうから…イライラしていた(笑)

2002.12.20(金)
先生の奥さんが病室に来てくれて、楽しい話をたくさんしてくださった。
奥さんも元々助産師さん。
せっかくだから、この時間に本でも読んだらいいよって、仕切りにハリーポッターを勧められたので、妹に頼んで買ってきてもらおう。
奥さんは映画が好きだけど、仕事柄あまり出かけられないから、DVDがたくさんあると話していた。
逆子の子は、その体勢が好きなのよって言っていた。本当かなぁ。
それから、赤ちゃんは自分の生まれる時期を知っているとも言ってくれていたので、あとはもう、この子に任せよう。
妊娠中は犬の世話に追われて、全く赤ちゃんのことを考える余裕がなかったから、神様が赤ちゃんと二人きりの時間をプレゼントしてくれたんだ。入院は良かったかも。

この翌日、妹がハリーポッターを全部買ってきてくれた。
夢中になって読みました。
胎教になったのでしょうね、
後に、うちの娘、ハリーポッターが大好きで、小1で全巻読みました。

2002.12.24(木)
クリスマスイブ。昼過ぎに夫も来て、先生と話しました。手術することになりました。
先生の提案の日が仏滅だったから前の日になんとか、とお願いしたけどダメでした。
仏滅に産みます。あと3日です。

そして、名前が決まります。

2002.12.25(金)
クリスマス。昨日の夕食にはケーキとコーヒーも付いた♡
夫がやってきて、ずっと前から決めていた「キリン」ちゃんはダメだと言ってきた。
どうにもこうにも画数が悪いらしい。
それで、あれこれ考えているから任せろと。
えー。

いよいよ手術の準備が始まります。

2002.12.26(木)
朝から忙しい。7:00の回診で採血。左内肘から。
シャワーのためのモニター。
胸部レントゲン撮影。そのあとは心電図。
抗生物の反応検査。(今日の看護師さん注射痛い人!)
明日の持ち物のチェック。
夕方、大きなお腹を撮影しようと、夫が来た。
すぐに近くのスーパーに行き、現像してきた。ずっと前に撮影した犬の写真もあって、癒された。

まだまだフィルムカメラの時代ですぞ!
“写メ”が流行り出す頃。まだまだ画素数が20万画素、とかじゃないかしら。

2002.12.27(金)仏滅
ご飯は食べられない。9:00に安静室へ。私のライフラインとなる大きな針の点滴。
13:30手術室へ。手術台はただの黒い長椅子みたい。
尿道カテーテル。背中に麻酔注射。注射をするとすぐに足が痺れてきて下半身は動かなくなった。
切開して赤ちゃんが出てくるまで10分くらい。
生まれたあとはすぐにお腹が痛くなって、吐き気もしてきた。看護師さんに励まされながら、呼吸を必死でしながら、横目で赤ちゃんの処置を見ていた。
泣き声を聞いて、安心した。私、泣いていたみたいで、誰かが「よかったねぇ」と言って顔を拭いてくれた。
14:00には安静室に戻ったけれど、後陣痛の痛み止めを断った。痛みを感じてみたかった。
でもかなり痛くて6時間近く苦しかった。途中無理を言って横向きにしてもらったら、傷口から出血しちゃったけど、でも、なんとか乗り越えた。
夜はさすがに寝ないとダメだと、痛み止めを飲まされた。おかげでぐっすり眠れた。

後陣痛と傷の痛みと点滴と尿道の管で、正直赤ちゃんどころではない。

2002.12.28(土)
赤ちゃんと対面。赤ちゃんはとても小さく可愛かった。

日記は退院するまで、ミルクをどれくらい飲んだとか、母乳マッサージが死ぬほど痛いとか、沐浴は練習した人形より赤ちゃんが軽いから楽勝だとか書いてある。

2002.12.31(火)
今日から母乳のみ。大丈夫そう。
夫が夕飯食べてから来てくれた。
特別に年越しを一緒にしてもいいよって先生から言われた。
病室で年越しなんて一生に一度でいいけど。
年の明ける瞬間に3人で写真を撮って、夫は家に帰って行った。

寂しかったでしょうね。妻の実家で妻不在で過ごす年末年始…。

2003.1.1(水)元日
初日の出を病室から見た!
先生が来て、お年玉をくれた。なんと、赤ちゃんの写真のプレゼント!
嬉しかった。あと3日で退院できる。

 

2003.1.4(土)
快晴。昨晩はみぞれだったらしいけども。
朝方ぐずっていたので、添い寝した。静かにぐっすり眠っている。

もしかして、切迫早産で入院しなければ、ペンを持たなかったでしょう。
誰に見せるわけでもなく、なぜ日記を書いたのか…。
母になる直前の記録を、いつか娘に伝えられるように、かもしれません。

本当にあの日、無事に生まれてくれてよかったです。
今まで大きく育ってくれてよかったです。
お誕生日、おめでとう。

11件のコメント

22年前のことなのに、つい最近の出来事のよう。
植地さん、この頃から文章うまかったんだね。

それにしても、命の誕生のドラマ。
なんだか感動で涙目に。

クリスマスの2日間、孫娘たちとずっと一緒にいて
いのちの大きな、生きるエネルギーを感じたからかもしれないし、
昨日と今日連続で、藤本さんに誘われて
出産の映画を観たからかもしれない。

命は奇跡だし、本当に、お母さんてスゴイなぁって。

キリンちゃんも悪くはないけど、今の名前も最高だよ。
それにご主人に、ものすごく親近感もわいてきた。
会いたかったな。

なんか書いていたな、と思い出したのは、田端さんの記事を読んだからです。
忘れてしまっていたことやそのとき書いたことが、
自分の中にもう一回生まれる感じは面白いですね。。。

うちの夫は、青柳さんにお会いしたら、まあまあ、面白かったのではないかと思います(笑)
めちゃ軽です(笑)

植地さん

お誕生日おめでとうございます!笑顔の素敵な女性に成長しました!

日記を残した植地さん、ちゃんとペンを持っていた!
お陰で色褪せず、こんな大作をウミダセマシタネ!
写真がフィルムなのには驚きでしたが。
当時の自分の記事にツッコミをいれるところも最高です。
娘さんに伝わる母ゴゴロですね。

田端さん、いつもありがとうございます!
そうですよ、もう写メという言葉を知らないひとたちばかり。
もしかしたら写真というモノもいまのスマホ画像とは違うのかもですね。

伝わるのか、伝わるのがいつなのか、それとも私はママとは違う、と受け入れられないのか。
なんでも、いいです。
お母さんは自己満!それ最高です!

きりんちゃん

誕生秘話!!!

お誕生日おめでとうございます

あのときのことが 鮮明に 手に取るように リアルに伝わってきました。

親子で頑張ってきた日々、それは 神様からのギフト❤️❤️❤️

お互いに、こうしてお母さん記者として発信しているお仲間。

成長した娘ちゃん同士も 意気投合しそう
(うちの娘は、出産直前に頭は下向きでしたが、首がエビゾリ状態で、帝王切開予定に…そこから一晩夫が駆けつけて、語りかけ続け、奇跡の普通分娩で誕生というエピソードあり)

ゆっくり
年明けに顔合わせしたいですね!!!

もう一度 お誕生日おめでとうございます✨️✨️

生まれてきてくれて、ありがとう
生んでくださって ありがとう✨

村本さん、きりんちゃんかわいくないですか〜〜♡
そして今となれば、樹木希林さんという素晴らしい方とおなじ名前だったではないかと、
思います。

出産のこと、前にも書いたと思いますが、書くときの自分の位置によっても、全く違う記事になりますね。
皆さんも書いてくださったらいいなと思います。
エビゾリ、からの正位置移動。
それだけでもほんと、ドラマ。命懸けで親孝行ですね。

読みいってしまった·····!
感動!(号泣)
日記をつけていた当時の植地さんにあっぱれ!
産前産後の、しかも第1子の、期待と不安が入り交じりまくるあの感情って、あの時しかないものだもの。
2002年、そうだよね、あのころはまだフィルムだ!
そういった時代背景も思い出すことが出来る、やっぱりペンを持つって大事!
植地さんありがとう!

天野さん読んでくれたのね、ありがとうございます!
そのころ、天野さんは何をしていたんだろうとか、
今こうしてお母さん大学で交錯している中で、過去の一点のシェアも面白いね!
またみんなで話したいなぁ。

娘さん、お誕生日おめでとうございます!!
私も切迫早産経験者です(2人ともなりました)
張り止めの点滴で手が震えるの、私も一緒でした。
あれホントつらいですよね。
手の震えが苦痛すぎたのと、トイレ以外は寝てなさいとの指示だったので日記をつける気にもならず…
めちゃくちゃヒマだったんだからちゃんと記録に残しておけばよかったと今頃後悔してます(^_^;)
手が震えててもしっかり記録を残した植地さんあっぱれ!!

当時の日記、是非とも娘さんに読んでもらってくださいね!

浅井さん!
ありがとうございます。
そうそう、あの点滴が辛いのよね。心臓バクバクだし。
私は右手に点滴をされる日は、左手でご飯を食べられるようになりました笑

いつか読むのか。
でも、断捨離で、手紙日記系は捨てようかと、迷い中。

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ABOUT US
植地宏美
お母さん大学横浜支局。 お母さん業界新聞横浜版編集長(2019.10〜2021.12)。 長女22歳、長男18歳、次男15歳。 お母さん大学をものすごく、楽しんでいます。 結果、 お母さんをものすごく、楽しんでいます。