昨日とらんたんで行われた説明会、もし記録が残っていたらもう一度聴きたいな!というお話しの数々でした。
それぞれの方がそれぞれの想いを抱え、抱えたその想いが言葉の矢となって放たれ、心を射抜かれました。
話すことで、その言葉は自分から離れて、人の心に届いたとき、その想いが輝きを放つ。
話して、離して、放って、
話す🟰離す
皆さまは辛いとき、苦しいとき、人に話せるタイプですか?
私は話せないタイプでした。
自分で話す言葉に傷ついてしまい、話すより心にためて時が過ぎるのを待っていました。
ためてためて我慢したその想いは、癌という大きな塊となって私の左胸を覆いつくしたのかもしれません。
お母さん業は、人を産み育てるという、とても尊く、とても困難なことにトライする仕事。
悩んだとき、苦しいときは、どうかどうか「はなして」ほしい。
そして、そばに誰かいなくても心を「はなす」ことができるのがお母さん大学生。
想いを、ときには書き殴り、ときには書き踊り、ときには書き笑い、、、
想いが心から離れ、俯瞰して文字となって見られたとき、こんなに心が軽くなるのか!ということを「書く」ことで知りました。
そしてその書いたものが新聞となって、言葉の矢が放たれ、誰かの心を居抜く。じーんという感動や、そうなのよという共感や、えーという驚嘆をもって。
藤本さんがはなされた、「お母さん業界新聞は情報誌ではなく共感誌」。
お母さん向けの雑誌やサイトの読み物としての「情報誌」は世の中にたくさん。
時短料理やオススメのおもちゃやお出かけ場所、そんな情報が載っている記事はたしかに役に立つけど、それだけなのかもしれない。
お母さんの日常が記事になるお母さん業界新聞は、お母さんの心に共感や感動や驚嘆を産み、その生まれたモノから更に形にしたい!と、様々なプロジェクトが産まれてゆく。
産む苦しさ、痛み、喜びを知るお母さんたちは、「産み」の達人たち。
そこには、「私が体験して良かったから」「当時こういうものがあればよかったと思うから」という、他のお母さんをエールしたいという想い。
そんな想いがお母さん業界新聞を経ることで形となってゆく。
ぜひナニカウムという経験を、皆さまと一緒にしたい!そう強く思った一日でした。
そしていつの日か、母子手帳とともにお母さん業界新聞が一緒に渡される。そうなってほしいなと。
お母さんになる不安を包みこみ、お母さんになるワクワクを、きっとお母さん業界新聞は産んでくれるはずだから。
>想いが心から離れ、俯瞰して文字となって見られたとき、こんなに心が軽くなるのか!ということを「書く」ことで知りました。
これ、本当にわかります。
言語化するって本当に大事。
でも、どこでもかしこでも言語化すればいいかってそうでもなくって。
やっぱりこの場だからいいんだなって思います。
お母さんの愛がいっぱい詰まった場だからこそ安心して出せる。
すごい素敵な場にいさせてもらっているんだなって、
改めて順子さんの記事を読みながら思いました。