看護師になったのは47歳の誕生日。
私はもがいて国試を受ける数日前の息子とのやりとり
それが残っていて、読んでいたら蘇ってきた。
あれから7年かあ、、
あれから子ども達は大きくなった。
ごめんねって相変わらず思う忙しさで、
ごめんねっていうなーと言われた朝。
もっと環境を整えてあげられていたらとかいうて
そんなの自分の人生は自分でいつでも切り開く!
生きられる限り!とガツンと言われた朝。
この日記、、
成長してないのは私だ、、とおちこむのをやめいと言われたから、
また立ち上がって私は生きられる限り
歩いてゆく、行きたいところに😊
がんばれ、53歳終わりがけのわたし。
2人で聴くのは佐野元春さんの約束の橋
今までの君は間違いじゃないってね。
君のためなら川を渡ろう
さあ!やるか!
〜2018年2月9日の日記〜
着替えさせ、
自分もお出かけの服に着替えたとたんの肩への赤ちゃんのげろんぱ。
すごく急いでもうすぐ幼稚園バスが来るという時の
『おかあさん、💩したいの❤️』
はくしゅんと同時にとびだすどこにそこまであったかってくらい鼻水が咲き乱れる。
よそのお母さんは持ってる
ティッシュをもってないわたし
すてきなお弁当、あたたかそうなお弁当
美味しそうなお弁当
それをみてごめんねとおもいながら小銭を握らして、
パンでごめんねとおもう自分
遅く帰ると妹を
風呂にいれてくれたんだな
髪を乾かすのはうまくできなかったんだなと気づかされる
頭にタオル巻いた幼い娘
よりそうにいちゃん達の寝顔
実習の時にわたしに作ってあったお弁当
がんばれ母さん、俺は大丈夫の声。
腕にみつけた噛み跡。
爪を噛んだあと。
知らない擦り傷、誰かに貼ってもらったカットバン
先生から『お家でがんばってるのでしょうけど、お家の大変さは
すこしも言わないんですよ』
『さびしいかもしれないけど
俺らだけじゃないからとおもうて
寂しさも、嬉しさも分かち合っているいじらしさね』
と聞いて胸はいっぱいなる
でもお母さんだからとおもうても動けないからだ、こころ
とにかく試験までがんばらにゃとおもうていたときに
ちょこちょこもめながら
だましだましきた息子と大げんか。
いよいよ私と息子とぶつかったイライラ、止められない私。
『もう無理』
私が発した言葉に、息子は
とても傷ついて出て行った。
そのときこういうた。
『母さんはストッパーだ。』
『俺らも、小さい子もたくさんさびしい思いをしてる
でも母さんが、ありがとう、
ごめんね、助かるよっていうと
それで言えなくなる。
ほんとはもっと一緒にいたかった
ほんとは家に母さんがいるほうがいい
ほんとはもっと母さんのごはんが食べたい
ほんとはみんな母さんと話したい
だけど学生の
母さんができないこと、
大変だなあと思っても
幼い子はもっともっと母さんが恋しいのに
かわいそうだ。
母さんが、俺らのために頑張る姿をみてる
だけど俺らも頑張ってる
だからストッパーの母さんは嫌だ
母さんは、子どもに本当の心言わせてない』
その通りだなと思った。
他の子は私をかばってくれたり
私のご飯を食べない子のためき
私でない俺の飯なら食うかな笑と
おどけてご飯をつくってくれた。
私はこの子達に甘えすぎてきた。
一人で育てなくてはと
思いながらたくさんの方に頼らざるを得ない。
甘えてきたけど、甘えさせてはこなかったのだと気づかされた。
子どもの今をあとでねとどれほど見過ごしてきただろうか
私の今をどれほど優先してきただろうか
この子は代表でいうてくれたのだ。
『いま』はとても大切で
『いま』は2度とこないもの。
たくさんぐるぐる整理できてないけど
整理できそう
もう無理って私は毎日思うけど
でもやっぱりがんばるぞと思えるのは
生きたいと思うのは
あなた達にあえたから。
他の子達が私と彼の中をとりもつ
黙って聞いて
『それでも家族だよ、どんなときも』と
伝えてくれた。
私がこの子達にやはり育てられている
8人授かれたのは
なんとありがたいことなのだろう
お母さんだからがんばれるんじゃない
お母さんってよんでくれる私を
支えてくれてるから
お母さんはたちあがれるんだよ
でもそれ、あんまり言わんようにする。
けんか上等、反抗期どんとこい
それを受け止められる強い母さんに
なるのだ。
とりあえずあと8日。やりきるぞ
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