ばあちゃんのお通夜、葬儀を終え、ほっと一息だけど、眠れない、、、疲れすぎ?ゾーンに突入。
こないだの記事でびっくりさせてしまい、ごめんなさい。
皆さま、ばあちゃんに、そして私たち遺族に想いを寄せてくださり、お心遣い本当にありがとうございます。
両日たくさんの方に来ていただき、ばあちゃんも喜んでくれたと思います。
本当にありがとうございました。
わたし、今日は泣きました。そして家族と、久しぶりに会った従姉妹とたくさん話をしました。
2日間、葬儀屋さんとの連絡係になっていた私、、足が棒のよう…寝なきゃいけないけど眠れないので、とにかく今の気持ちを備忘録。
今日の葬儀の父の挨拶。
「ここ4、5年は意思疎通がままならなかった。いまもう一度出逢えるなら、言葉を交わしたい。」
泣きました。号泣でした。
実は、あまりばあちゃんが好きではなかった父。話しかけられても返事しない事もありました。ばあちゃんは負けずに話しかけてたけど(笑)
その父の「言葉を交わしたい」の言葉。
これは本当に胸に迫るものがありました。きつかったな。胸にギューギュー来て、わたしも苦しくなりました。
今みなさん、きっと嫌いな人いると思います。誰でも嫌いな人いるはずです。
当たり前のことが当たり前じゃなくなる事がある。
どこで命が終わるのかは分からない。その時じゃ遅い事もある。
だから、
明るく 正しく 仲良く
なんだそうです。(浄土宗)
認知が進む前、お母さん新聞を持っていくと、一生懸命読んでくれたばあちゃん。
たくさん褒めてくれ、背中を押され、わたしも自信持って一歩一歩踏み出しながら、活動してきました。
わたしが生きてきた47年、人生100年としたら半分近くの間、わたしのそばにはいつもばあちゃんの存在がありました。
離れていても、よく電話したりしました。
当たり前だった、ばあちゃんがそばにいる人生、今日から違うんだな、と思うとやっぱり寂しいし、毎日でも泣きたいし、苦しい。喪失感しかないです。
だけど、わたしばあちゃんにそっくりなんです。すべて。
棺に入れた極楽浄土にいるばあちゃんへの手紙にも書いたけど、
ばあちゃんのDNAはわたしがきっちり引き継いどるけん、心配せんでね。
わたしが生きている。それがばあちゃんが96年間生きてきた証になる。
ばあちゃんはわたしの中にある。きっと。
おかあちゃま(昔からばあちゃんのこと、おかあちゃまと呼んでたので、この言い方させてもらいますね)ありがとう。わたしの中でしっかり生きてるからね。
おかあちゃまがわたしの中にいることで、もっともっとパワーアップしてしまったらごめんなさい。(笑)
おかあちゃま、大好きです。
またいつかどこかで会える日まで。
公共施設で泣いちゃった
娘を園に送った帰りですよ
裕子さんの思いがこちらにもぎゅっと伝わってきたよ
いいなぁ、その絆が羨ましくも思えたし
浄土宗の言葉も響いた
おかあちゃま、と呼びかける裕子さんの姿も目に浮かんだ。とりとめないんだけど…いい言葉が見つからないだけど裕子さん、朝から記事をありがとう。