五男と六男のやりとりより
五年生と二年生の8年も前のやりとりです。
いま10才だった息子は就職して別に暮らしています。
これもまた限られた家族の社会の中で
私が見せてもらった一コマです。
子どもの喧嘩に親が口出すということはいつもタイミングや
それぞれのご家庭の方針でちがいますね。
時々力余って
特に男の子が多い我が家は
怪我をさせる←は兄弟間ではあれど
よそのおうちとの関係性では
怪我をもらうことが
多かったように思います
噛まれたり
引っかかれたり
突き飛ばされたり
血が出たり
場合によっては、保護者の方とお話をしたりしましたが、
必ずどの場合も当事者の子ども達の声を
聞いてから解決は?
と動いてきたことも
前はありました。
しかし昨日
六男は昨日は顔にカッときたお友達に
石を投げられて
顔を怪我して帰ってきました。
ひどくないですが、顔は二箇所擦りむけたようなかんじです
○○くんがね、石を投げたと
それだけ聞けば
私もえっ!となりました。
すぐさま五男が
『お前、その石を投げるまでに
何があってどうなったか
全部話してから
石を投げられたって話せよ』と
六男にいいました。
すると、あ。俺がね、からかったと
そしたら投げるぞ!といわして
投げらしたと。
投げると言われたのによけなかったの。
五男はそれを聞いて
『○○は言葉より手が先にでたけん悪かけど
からかったお前も悪い
もう言わんならいいし、
母さん、俺がね○○に手を出したら
負けぞというて、
きつく俺も危ないていうた
そしたらあいつごめんねて言えたけん
これ、もう終わった話やけん』
とやれやれという感じで伝えてくれました。
大人でもあることだけど、
いろいろあります
なかよくてもギクシャク時期があったり
相手を慮れなかったり。
そんな時に子どもから学ぶのです
相手の気持ちになってみようって
明るく考えていかなくちゃって
次の楽しいことをするために
なかよくするためにを考えようって
六男の傷は痛々しいけど
五男がいうそんくらいですんでよかった
本気であの石をなげたらおおごとやった
そこにあいつなりの加減があるんだ
というにいちゃん節
そうそう、怪我させられたの前に
原因を作ったのはうちのほうでした。
大岡越前守 まではいかずとも
五男に解決してもらいました。
おなじように
みんなが、おしえあうのは兄弟のありがたさです
六男も納得。
もう私の出番はないかな(о´∀`о)
みんな仲良しごっこでなくて
小芋をあらうようにぶつかり合って白いきれいな芋になる、心になる
石も、ぶつかりあって丸くなる
ああ、パートナーにこれを生かせなかった自分はここが心残り笑笑
の朝でした╰(*´︶`*)╯♡
スゴイ。お兄ちゃんの言葉が私にささりまくりでした。
ついつい目の前のモノゴトだけにとらわれそうだけれど、
こうして背景や流れをちゃんとわかるって大事なことですね。
子どもは本当に先生だなと改めて思いました。
ありがとうございます。
彩さんありがとう!
私はその時の精いっぱいを急がないでね。
とて教えられた気持ちがして。
何でもスピード。検索すればすぐ出てくる答え。
人はそんなことはかりじゃないもんね。
そして子どもの世界で解決できることを
親は見ててもいいのかなって。
いろいろ考えさせられました。