お母さん大学は、“孤育て”をなくし、お母さんの笑顔をつなげています

3.11と、福島

3.11、あの日、私は引っ越し直前だった。翌4月から福島県で勤務予定だった私は、東北から遠く離れた九州で地震の発生を知り、ただ呆然とした。

3ヶ月後、福島に向かったとき街は既に前を向いていた、と思う。街のあちこちに地震の爪痕はあったし、原発50キロ圏内だったが、その影響が小さかった街の中心部に住んだおかげか、福島での3年は地震の影響を感じさせない楽しい思い出ばかり。そのつもりだった。

3.11から6年後、縁あって再び福島に転勤した私は母になっていた。母になってみた福島は、以前と全く違ってみえた。街のあちこちにある災害復興住宅。毎日何度も目にする線量計。6年経っても手付かずの場所もある、被災の爪痕。行く場所、遊ぶ場所を選ぶ生活。福島への差別。月1回避難訓練のある教育施設と、一人一つの避難バッグの用意点検。頻繁に起こる小さな余震。もちろん、楽しいことも、美しいものも数えきれないほどあるのだけれど、以前の私には欠けていた、当事者視点の福島の現状。

ふと思い出して、長男が通った保育園を探した。今も園庭にある線量計の計測は続いている。いまでも、3.11後の生活が続いている。それを忘れてはいけないと、改めて思う。

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福島早紀
不登校の小3の長男と年中の次男、発達凸凹の2人の息子の母です。お母さん大学と並行して、久留米市にて「ゆるっぽ」という、自分の責任で自由に遊ぶ、子どもたちのやりたい!を大事に遊べる居場所作りもしています。 内容によっては英語の方が文章を書きやすい時があり、たまに英語のまま投稿しています。