お母さん大学は、“孤育て”をなくし、お母さんの笑顔をつなげています

南無阿弥陀仏

おかあちゃま(ばあちゃん)が亡くなって2週間。

お寺さんが来てくれ、南無阿弥陀仏を唱える時間は無の境地。(と言いながら夕飯のメニューが頭をチラつく(笑))

お経を唱える時間は、わたしにとっておかあちゃまに向き合える時間だ。だから大好きな時間。

「信じること」を貫ける時間だからかな?とか思ったりする。

浄土宗の教えでは、南無阿弥陀仏を唱えさえすれば極楽浄土に行けるという。

人は間違う。

人は嘘をつく。

人は失敗もするし、人だから人に迷惑もかける。

それが生きることだ。

だからこそ人は悩み、苦しみ、泣き、怒る。情けないと自分に刃を向ける。

だけど明日は必ず来るから。

行動するもしないも自分次第だ。

自分の過去のすべての選択の結果が、今の私だから。

だから唱える。唱え続ける。

最近、お友だち関連、、、理不尽なことで娘も苦しんでいる。

本人曰く、「ひいばあちゃんが死んでからわたしは豆腐メンタルになってしまった…」と。

些細なことで気持ちが沈み、よく泣いてしまうそうだ。

泣いている娘をただただ抱きしめる事しかできない私。

親に出来るのは、

「娘の頑張りがいつか報われることを信じること」

これだけ。

だから、わたしは南無阿弥陀仏を唱えるんだと思う。

泣いている娘の感受性の強さに、娘が3歳だった頃わたしに絵本を読んでくれていた様子を思い出しながら。

そうして、泣いている娘がいつか報われる事を信じて、わたしは唱え続けるんだろう。

1件のコメント

私もみゆさんと同い年の時最愛のおばあちゃんを亡くしました(母方のおばあちゃん)
何か自分の中で困り事あった時は必ず夢に現れてくれてました。
きっとひいおばあちゃんは近くでみゆちゃんのことを守ってくれてるよ

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安藤裕子
直感派で自分に甘い(笑) 甘ちゃん母ちゃん歴は、やっと8歳!仕事と子育ての両立中。 諦めないというのがわたしの生きるテーマでもある。だけど、つまずきながら泥んこになりながら。生き様を娘に見せれるように!(福岡県大牟田市)