神社仏閣が大好きな、重い知的障害を持つ息子。
息子とこれまで50近い神社仏閣に参拝を。
そこが気にいらない場合、御神木の前で止まり先に進もうとしない。
どんなに引っ張ってもガンとして動かない。せっかく2時間も電車に乗ってきたのに、、、ということもしばしば。
私には見えない何かが息子には見えているのか。
逆にお気に入りの場合、どんどん進み必ず同じ立ち位置に留まる。
本殿の右端に立ち、こちらを向く。30分は何があっても動かない。放っておくと何時間でもいそうだ。
そこから行き交う人々や、御神木の枝や葉の揺らぎをみて、心地良さそうないい顔をしている。
そんな息子の姿を、ちょっと離れたところから見てみた。
なんだか、狛犬の阿形のようだ。
阿形は求道心がたとえられているらしい。
求道心→自らの能力を高めようとする強い意志とのこと。
息子くん、高めてくれ〜!
言葉を持たない息子。あなたの声が聞きたい、あなたにママって呼ばれたい。
と、ついついお賽銭箱の前で手を合わせ「神頼み」をしたくなる。
すると、天国にいってしまった義父の声が聞こえる。
「順子、神社仏閣はお願いするところではないぞ。神様やご先祖様に感謝を伝えるところだぞ。こうやって家族元気にお参りさせていただくことができ本当に感謝いたします。有難うございます。それだけを全身全霊で言いなさい。」
御朱印帳を80冊ほど持っていたほど、全国の神社仏閣巡りがライフワークだった父。
息子が産まれる前まではよく父と神社仏閣デートをした。そのときに言われた言葉だった。
その頃から時がたつこと15年。息子が神社仏閣が好きであることわかったのは、私が乳がんになり癌封じの神社に色々行くようになってから判明。
神社に再び行くようになり、「八百万の神」という、森羅万象に神を感じる日本古来の神道に通じる考え方を知った私。
海の神、山の神、風の神のような自然物や自然現象を司る神々 や、衣食住や生業を司る神など。
そしてこの考えは、フラの国ハワイも同じ!ハワイでは「もの皆全てにマナ(魂・神)が宿る」と考えられている。
こういったところも、私がフラに導かれた要因なのかもしれない。
この考え、子育てにもとても大事なのではとふと思う。
例えば子どもが片付けをしないとき、「おもちゃの汽車がおうちに帰りたいって泣いてるよ。箱にいれてあげよう。」
そんな風に言ったことがあるのでは。汽車を擬人化して促す。
全てのものに神様がいる、と思えば、一つ一つのもの、ゴミでさえ尊く思えてくる。
神様に囲まれて生きている、なんて思ったら見慣れた我が家が、急に輝いて見えた気がした。
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