お母さん大学は、“孤育て”をなくし、お母さんの笑顔をつなげています

3.11 守るべきもの

当時小学校3年生だった私。
理科の授業でゴムで動く車を作っていた。

「帰りの準備していいよ〜」

という先生の声で立ち上がった瞬間、今までに感じたことのない揺れに襲われた。

避難訓練通り机の下に潜る。動く机を必死に押さえる。
後日腕が筋肉痛になるほどの揺れだった。

全校生徒が校庭に集まる。
泣いている子が多数。
長女だからか、「しっかりしなきゃ」と思ってしまい私は泣いている子の背中をさすって

「大丈夫、大丈夫だよ」

と声をかけ続けた。

でも、これがよくなかった。PTSDになってしまった。

小学3年生、たった9歳。私も怖かったはず。それなのに怖いと泣くこともなく自分の感情に無意識に蓋をしてしまった。
家に帰っても7歳の妹と2歳の妹がいる手前怖いと泣くことは多分なかった。家でのことは正直覚えていない。必死に強がっていたことだけは確か。

そこから数年、私はその記憶に蓋をしていた。
だが18歳、スーパーでのアルバイト中大きめの地震に襲われた。突然東日本大震災の記憶が蘇りパニックになる私。
その日から、小さな地震でもパニックを起こすようになった。

夫の存在は、さらにパニックを加速させる。大きな地震が発生すると夫は職場に向かってしまう。長男妊娠後期、実際にそんなことがあった。見送る時は緊張とパニックで吐いてしまった。

こんな風になってしまって本当に大丈夫なのだろうか?

そんな私を強くしてくれたのが子供たちだった。
守るべきものの存在は本当に大きい。
あんなにパニックを起こしていた私は、今では自信が起きると瞬時に子供たちを守る体制に入る。
…まだ、揺れが落ち着くと緊張の糸が解けてパニックになってしまうけど。

今長男は当時の1番下の妹と同じ年齢。
今大きな地震が来たらいったいどうなるのだろう。
夫の職場の家族保護が何度質問してもはっきりしない。家族も守ってくれ!!と思うが家族を守れるのは私だけ。災害時の事をもっと考えないといけないな、と思う。