「今日は本当にありがとう!おかげで、この街で暮らしていく自信が少しつきました」
この言葉を受け取った私は、ご褒美のように感じた。こんなに嬉しい言葉はないと思った。
この街でお母さんしていてよかったって。
*****
1月末のこと。家から徒歩2分のコンビニでベビーカーを押した若い外国人のお母さんがレジ前に並んでいた。日本語でやりとりはしている。見ると手には役所宛の封筒を持っていて、切手を買ったらしい。ここは郊外だし、観光客じゃなさそうだな。ここに暮らしてるのかな?少し気になった。
買い物を済ませ、コンビニを出ると、そこにはさっきのお母さん。スマホと封筒片手にどこかを探している様子だった。
もしかして??でも…話しかけられて断られるかもしれないし…でも…うん、私ここで帰ったら後悔する!
そう思って勇気を出して声をかけると、彼女は郵便ポストを探しているところだった。合点承知!とポストまで案内した。ここに越してきて1ヶ月、息子くんは1歳になりたて、日本人の友達はまだいない。まるで自分が夫の帯同でアメリカで子育てをスタートした時を思い出すような気分になった。アメリカ出身の彼女と久々の英語で話をしていると、あっという間に意気投合して、
「今度うちにお茶しに来てね!すぐそこに住んでるから」
彼女も喜んでくれて、連絡先を交換してその日はバイバイ。そして後日、例のコンビニで待ち合わせてから、本当に遊びに来てくれた。異国での初めての子育て、色々あるよねって話から、でも日本は住みやすいよ、スーパーで野菜は小袋でしか売ってないのがアメリカと違うけど、なんでも手に入るよね、とか話をしている間に、1歳ボーイはうちの子たちがもう使わないおもちゃを大層喜んで遊んでくれて、家の中で高速ハイハイでにこにこ! そんな姿を見ていて、
私、こういうのすごく嬉しい!としみじみ思った。
その日は自分も午後には用事があったので、早めのランチをして、その足で彼女が場所も存在もわからなかったという児童館に案内した。職員さんに事情を説明すると、
出会いからのスピード感に驚いていたけど、私が用があることを説明すると、「大丈夫ですよ」と微笑み、乳幼児のお部屋にアメリカ人の若い親子を案内し、そこにいた日本人のお母さんたちにも紹介してくれた。
もう1歳ボーイは遊び出していたし、彼女に大丈夫か聞くと、彼女は日本語で「はい。大丈夫。ありがとう!」と。何かあったら連絡してね、とだけ声をかけ、私は本当にその場をさっと去っていった。
この話を夫に話したら「えっ!すぐに置いてくるなんて、なかなかオニだなぁ」と言われたけど(笑)、私がずっと居座っていたら、もしかしたら他のお母さんたちとの交流の機会を逃していたのかもしれない。それでもやっぱりちょっと心配になっていたところ、冒頭のメッセージが届いた。
「ありがとう!子どももとっても楽しんで、帰りたがらなかったくらい。どこで過ごせばいいか分かったけど、この街で暮らしていく自信がついたよ」。
心が弾んだ。アメリカで私もこうやって現地の人に助けてもらったことがあるし、コミュニティのなかで楽しく過ごせた時に喜びと一緒に安堵感を持ったことを覚えている。あ、ここでやって行けるかもって。
それを彼女に手渡せたのだとしたらこれ以上嬉しいことはないし、いつかの恩返しができているような気持ちにもなった。この話を友達に話すと、「ナンパしたね!?」と言われたけど、ナンパ氏山﨑の名もまあいっか(笑)
それから1ヶ月後、終業式前の早帰りの娘とその友達を連れて、アメリカ人の親子と一緒に近くにできたキッズスペースつきカフェに行ってみた!子どもたちも慣れない英語を使って、そして1歳ボーイのお相手を楽しんでくれた。母たちはその間、また話に花を咲かせていた。
誰かれ構わず仲良くなれるわけじゃないし、ご縁、というものがあったんだと思う。そして楽しむ母たちの横で、子どもたちにも出会いの種がまかれていったのだったらいいな。
小さな声かけで、こんな風に喜びが広がることもある。うまくいかない時もあるし、縁がなかった時もある。日本人だとか外国人だとかのくくりではなく、ご縁があったのなら、それを紡いでいけたらいいな。そんな風に暮らしていけたらいいな。
コメントを残す
コメントを投稿するにはログインしてください。