息子と海。
網を持って、魚を追いかける。
私たちが追いかけると、魚がにげるものだから、
「母さん、walk!」と息子に言われる私。
「あのね、walkってね、静かに歩くことなんだよ。」と、ご丁寧に英語の説明付き。
魚が逃げないように、私にも静かに音を立てないで歩いてほしかったようだ。
それにしても、息子の英語習得は面白い。
幼稚園で、先生が“walk“って言ったとき、みんなが静かに歩いているのをみて、自分でwalkの意味を“静かに歩く“って理解してるんだろうな。
慎重派な息子が、じーっとお友だちの様子を観察している姿が想像できて、クスッとしてしまった。
幼稚園での様子は、全く分からないけれど…こうやってふとした時に想像して覗き見して、楽しませてもらっている母だ。
英語を習得することに全世界が動かされています。
母国語の問題をないがしろにしてしまいがちになる問題も出ていたりで専門家の意見も両方です。
日本では文科省がまたしても新たな問題を作りそうな気がして気になっています。
黒船時代のように得体のしれない時代へと向かっていく時のような雰囲気なんじゃないかってね。
流されて溺れないようにお母さんの頭も鍛えていく必要があるなと思ったりね。
こちらに住む、英語が母国語ではない子どもたちも、言葉のいろいろな問題を抱えています。
言葉で考える…言葉で自分の思考を深めていく…ときに、どっちつかずだととてもしんどいことがあるようです。
英語圏に長く住んでいたらバイリンガルは自然となるものだと思っていたのですが、その裏には大変な努力があることも知りました。
息子にとっての英語は、純粋に友達と遊ぶため。先生とお話しするため。近所のおじちゃんたちと遊ぶため。
本来言葉って人と人をつなげるものなのだよな…と息子をみていて思います。
あの人と話したいから、あの人と遊びたいから…そんな純粋な気持ちを息子先生から勉強させてもらっています。