お母さん大学は、“孤育て”をなくし、お母さんの笑顔をつなげています

健康カード

この日はイラクアメリカ戦争2日目と書いてある。

年に2回の身体測定がありそれを持ち帰った時のことだが、私の子どもの頃は歌にもあったように「柱のきずはおととしの・・・」それで自分もと思って柱に傷をつけて計った記憶がよみがえるが、さすがに我が子には社宅にそんな柱もなくて実感させるには・・・と思いついたようだ。

そしてあの頃までは私たちの頃と同じように座高測定まであった。それが数年前に意味がないということで廃止になったことを思い出す。子どもはこの座高の長さで足が長いだの短いのだと言っていた時代があったのだから。そんなことはいじめにつながることにもなったに違いない・・・

そして3年生にして女の子はすでに体重のことを気にし始めているのは、当時から私はすごく気になっていることだった。すでに拒食症が出現し始めていたころでもあった。食べ物に困らなくなった先進国病と言われた時代であった。

外見、見た目という世界に引き付けられて、中身は空っぽという危うい世界への突入だったと言えるかもしれない。

もう一つの会話は数字の不思議を感じ始めたのだろうか。数字の出発は何だろうと思ったのだろうか・・・

0という数字の発見はスゴイことだったという話をサークルで聞いた時に、私は自分が何もそんなことには興味がなくて数の操作だけに明け暮れていたのかもしれないと思ったが、娘は私よりも少しは数のなぜを思うようにはなっていたのかな?

 

 

2件のコメント

私の子どもの頃、男子が座高でにぎわっていました。
恐らく子どもたちの頃も男子で同じように騒いでいたはずです。
一瞬の笑いで終わりにならず、何度もそれを言い出して笑いものにしていじめにつながる・・・
そんなことが起こったケーズもあるだろうなと想像しました。
そしてなぜ座高検査の必要性があったのかも改めて考えると不思議な事ですよね。

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池田美智子
読書が好き、人間が好き、孤独も大事、真善美を考える日々。 旅をすると予習復習で楽しさががらりと変わることを実感し、 70歳になると、努力することの必要性を日増しに実感し、 やる気元気の素を探すようになりました。 今のところその素は、お母さん大学と学びの研修と訓練です。 令和元年、初孫誕生でパワー再燃中