あの日、私は体調を崩して自宅で休んでいた。
もう少ししたら出勤出来るかな…と、お得意の無理やりをしようとしていた。
その時襲った大きな揺れ。
真っ先に浮かんだのは、これから学童保育へ帰ってくる子ども達。
気付いたら家を出て、気付いたら信号の止まった道で
タクシーに乗り込んでいた。
職場の安全を確認して、すぐに学校へ子どもたちを迎えに行くと、
おびえて泣く子や、どんな様子だったか話す子、
休みだったお母さんは、車で学童まで来て、カーラジオを付けてくれた。
子ども達の無事を確認したあとに浮かんだのは、
この子達の保護者の顔。
どうか無事でいてほしい。
何日もこの子たちと過ごすかな…と思っていたのに、
次々とお母さんやお父さんが迎えに来る。当たり前だけどすごい。
でも、停電してしまった地域だったため、どんどん少なくなる人数。
主任だったため、最後まで残りますと同僚には帰ってもらい、
何人かの子と一緒に、ソファーを部屋の真ん中に置いて、
毛布をかけてお喋りをした。
自分の家族の無事を確認しながら、
真っ暗な学童で、月明かりと懐中電灯の明かりの中、
みんなでくっついて過ごした。
そこへ、『代わりますから、どうぞ帰ってください』と、
近所に住むお母さんが申し出てくれた。
あれから7年。
地震が何よりも怖い私が、
何一つ戸惑わず、行動できたのは
子ども達の無事をただ祈る気持ち一つだった。
まるで神様にスッと背中を押されたような。
あの日、肩を寄せ合って過ごした子どもたちが
今日も同じ空の下健やかに過ごしている。
何年経っても、鮮明に覚えているあの日。
いつか、大きくなった子ども達に再び会うときに、
この話をしてあげたい。
生かされている。
それを感じなさいと。
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