今日3/11は六十数年前、母が生まれた日。
祖母にとっては大変なお産だった。
母は小さめに生まれたし、祖母は盲腸併発したのだけれど当時の医療では盲腸とすぐはわからなくて、産婦人科の先生がいろんな可能性を探るのにお腹を冷やしたりあっためたりだったらしい。
実母がすでにいない祖母は、ひいおばあちゃん(祖父の母)やご近所さんに良くしてもらって&産婦人科の先生の懸命な処置で、無事普通の生活に戻ったそう。
母の誕生日は世間的に祝うムードではない。
私は当時、ちょうど出張先の福島へ上司と向かうために東京駅から新幹線に乗り上野を過ぎたあたりで地震の時刻を過ごした。
地下だったので揺れは感じなかったし、その日は数時間新幹線で過ごした後職場へ戻り、会議室で寝た。
地震の時新幹線にいたという変わった体験はしたが、被災はせず、縁のある仙台の知り合いは皆幸い無事で、大震災は現実だけれどどこか実感を伴わない感覚がある。
大震災で犠牲になった方たちとそのご家族のことを本気で考え始めたら、正直、私の場合感情移入し過ぎて正気ではいられないとわかっているので淡々と、備えるなどできることをしておこうと思う。娘世代のために、持続可能な世の中の仕組みを作って行けたらとも思う。
今日は母の誕生日。
おめでとう、お母さん。
ありがとう、おばあちゃん。
いのちを繋ぐエピソードですね。
色んなことを乗り越えて、曽我さんがいること、
今よりももっと大変な時代に、
いのちを繋いでくれたおばあちゃん、
そのバトンを曽我さんに繋いでくれたお母さん、
そして、子どもを産み育てていり曽我さん。
言葉で上手く言えないけど、
曽我さんの想い伝わってきました!
コメントありがとうございます!
積極的に、震災のことを思い出して祈ってというのができず、やはりこの日は母のことが一番にきています。
母親になって、母や祖母に対する見方が変わったかもしれません。