夕飯の準備。
スーパーの店頭に並び始めたスナックエンドウを
今日は茹でてサラダで食べることに。
エンドウの筋を取ってもらおうと、
料理好きな次男に手伝ってもらうことにした。
今までもやったことのある作業なので、
1回教えるとお手の物。
あっという間に、筋を取り終えた。
ふと思い出した。
小学生の頃、毎日祖母と夕飯の準備をしたこと(させられたこと)。
母は毎日仕事で遅く、家にいなかったので、
祖母のご飯で育った私。
長女だった私は、何かと
「みわちゃん、手伝ってー!!」と祖母に頼まれ、手伝わされたっけ。
そのひとつが、このエンドウの筋取り。
広告を机に広げて、ひとつひとつエンドウの筋を剥いては
ザルに入れる。
この作業を祖母とやった。
それを今、息子と一緒にやっている嬉しさと懐かしさと、少しの切なさ。
春に食べるエンドウは、そんな思い出とともにある。
20年か、30年後に、
息子クンは、エンドウを見る度に、母を思い出しますね。
春のエンドウ。
エンドウの筋とりで、母を感じる記事を書くなんて、
近藤さん、ますます母力が上がっていますね。
藤本さん、ありがとうございます。
母親になって、「手伝う」って、本当に奥深い言葉なんだな~って思います。
筋取り、野菜切り、フライのパン粉付け、洗濯畳み・・・
どれも、私の手を伝って、息子の手に知恵や技術が伝わっていくもの。
それが、生きる力になっていくこと。
・
息子が大人になったとき、ひとり暮らししたとき、
私を思い出して、それが嬉しい思い出になってくれたらいいな・・・
・
>エンドウの筋とりで、母を感じる記事を書くなんて
って、実は藤本さんと同じこと、私も感じながら記事を書いていたんですよ!
「エンドウひとつで記事が書ける」って、
「なんか私変わったな~」って
嬉しく、誇らしく感じることができるようになりました♪
生活の中に、こんな宝物の場面が散りばめられていますね。
それに気付くか否かは自分次第だと、よくよく思うようになりました。