10年前、お腹に赤ちゃんが来ました。
鼻からサラリーマンしながら、お母さんすることしか、発想がありませんでした。
だって、働くの楽しかったし、お金もいるし、今はそれがトレンドだし。。
でも、、、。お腹が大きくなるにつれて、私の思い描く理想的な母親像が明確になっていき、心はモヤモヤし始めます。その時の理想的母親像は、サザエさんに出てくるオフネさんだったから(笑) 割烹着着て、漬け物つけたい、味噌作りたい、、、。
産休に入って、平日の昼間の風というものを、何十年ぶりに感じます。公園で子どもたちと遊んでいるお母さんを見ていいなぁ、スーパーの袋をひっかけて、子どもを前に後ろに乗せてチャリを漕いでるお母さんを見てかっこいいなぁ、可愛いカフェのキッズコーナーで子どもを遊ばせて、ママトークしているお母さんを見てお洒落やなぁ、キャラ弁作るお母さんを見てスゴいなぁ。。。専業主婦になり、料理教室などの習い事に通い、子どもがある程度大きくなったら、スポーツジムに通い、旅行をしているお母さんもいて、憧れ半端ない。
お母さんの声も聞くようになります。
子どもが帰ってきたときに『おかえり』を言ってあげなきゃ可哀想よ。子どもとおれる時間は短い、子育て終わってからでも働けるよ。いつも家に帰ればお母さんがいるという安心感を勝るものはない。
また言うけど、私の理想的母親像の根本がこの時は『オフネさん』だったこともあり、色んなお母さんを見て、聞いて、どんどんどんどんお腹が大きくなると同時に、どんどんどんどん専業主婦になりたくなっていきました。
でも、それを主人に伝えたら、
『は?特技もないあなたに、今の仕事以外にできることあるの?』
『母親になれるの?外で働くしかなくない?』
『もし、専業主婦になったら、家のこと完璧にしなきゃいけないよ。あなたはできないでしょ?無理よね?』
でした。
家事全般苦手で面倒くさがりで努力はしない私。お母さんになれるか不安だった私。何も反論できず、悔しかったけど『その通りだね』と言うしかなかったあの頃。。
結局、当初の予定通り1年間の育休申請を出したのでした。
そして、始まった育休期間。
こうなったら、その名の通り『育児するためのバケーション』と位置付け、誰よりもそして、昨日の自分よりも、ガツガツ!!!お母さんを満喫しようと大張り切でスタートした育休。
ところが!!!!!!!!!!!!!
おっぱいが出なくて悩み、鬱々し過ぎて実母と大喧嘩。お母さんとこんな大喧嘩したの産まれて初めてやし、なぜこんなことになったのか、、、、。
1ヶ月たち、母とは仲直りしたけど、相変わらず母乳で悩む毎日。
3ヶ月くらいしてからだったか、母乳も出始め、なんとなーくリズムが分かってきて、やっと外に出始める。
話はそれるが、産まれて初めて子育て支援センターに行ったときの衝撃が忘れられない。
『おいでおいでおいでおいで パンダ!』って言う、あのお母さんなら絶対知っているであろう歌をうたっていたんだけど、私は、その時初めて!聞いたわけだ。あの手遊びも初めて見たわけだ。なのに!!!
子育て支援センターに来ていた30人くらいのお母さんと子どもたちが、一斉にこの歌をうたいだし手をおいでおいでとして、パンダで、目の下にパッと手を持っていくあの手遊びを始めたとき、ぞく!とした(笑)なんで?なんで?なんで?なんで?みんな、そんなに歌って遊べるのーーーー?何なの?この周知率!
続けて『キャベツーの中かーら♪』も大合唱。『魚が跳ねた。ピョーン』も、美しいほど揃っている( ̄▽ ̄;)
芸術的だとさえ思った。
いやはや。。。あまりの衝撃的思い出に、このくだり、長くなってしまった💦
まぁ、このこともあり、歌遊びに非常に興味を持った私は、本屋に行き、歌遊び、童歌の本を探すんだけど、それまで立ち寄ったことのなかった『子育てハウトゥーコーナー』。。。。。これまた衝撃を。。
お母さんになれるか自信のない私の心の隙間に、HOW to本の数々の見出しが入ってきて、私は、そこで子育て本を買い漁るわけです。。。
ここで出会った本のお蔭で、私は、救われましたよ。物の伝え方、子どもとの寄り添いかた、まぁまぁ参考になり、私にとっては、良かった。長女と丁寧に生活ができたと思うし、自分がなりたいお母さんを演じられた。嫌な言い方をすれば、本に書いてあることを参考にすれば小手先で、お母さんになれたわけだ。
もちろんこの時は必死やし、そんな小手先母さんだなんて気づいていませんよ。(気づいたのは2回目の育休のとき。それはまた今度)
ただ母乳の悩みがなくなってからは、本当に育休が楽しかった。子どもとの時間がものすごい楽しかった。可愛かったし、自分はよく笑ってたと思うし、前半鬱々した分を取り戻すのと、仕事復帰までのカウントダウンで、悔いのないようとことん育休を楽しみまくって、よし!!!!!仕事復帰だっ!と、気合いを入れて、元のレーンに戻った。
現実主義者であろうご主人はあなたの理想の母像を壊す立役者様でもあったことを感じました。
そして母と娘の喧嘩も必要だったのだと感じました。
母として自分の足で立っていくために、道しるべを探しに本屋に行って何とか不安にならずに
自分の子育てを探していけたこと。
それは根っこの部分が自分の中にあったからこそだと思いました。
だからこそ、育休で楽しさを感じ取ることができたんです。