まもなく終戦の日ですね。
私は戦争を直接知りません。
これを読むほとんどの方がそうだと思います。
ハタチの頃、どんな生活していましたか?
どんなこと、考えていましたか?
私の祖父母は終戦時、24歳と19歳。
祖父は仕立屋から徴兵され兵隊へ。
目が良く見えたので見張り役をしていたこと、隊にいた馬がかわいくて世話が楽しかったこと、テントで換気し損ねて一酸化炭素中毒になりかけたこと、服を直しにミシンを借りた先が祖母宅だったこと、戦後同年兵(同窓会)の集まりに毎年行っていたこと。
祖母は当時日本領だった台湾で学校の先生(当時は女学校を出たら先生になれる時代です)。
先生をしていて本当に子どもたちがかわいくて仕方なかったこと、子どもたちを引率していて上に見えた戦闘機に手を振ったら味方ではなくアメリカのもので慌てて逃げてみな無事だったこと、外地からの引き揚げでは家財のほとんどを置いてこなければならず戦後すぐは本当に大変だったこと。
そんな、祖父母から聴けた「戦争」はほんの少し。
どれも戦時中だけれど祖父母の日常、そして青春時代なのだなと、子ども心に感じていました。
戦争は奪い合いです。殺し合いです。
もっと多くの語ることはできない体験があの時代に生きた人々みなにあったのだろうと思います。
それが日常となってしまった時代。
祖父母が生きてきた時代をもっと知りたくて、小学生の頃は第二次世界大戦がテーマのドラマや映画を積極的に観たり(今よりもたくさん作品が世に出ていたのもあります)、博物館の展示を見学したり、玉音放送を聞いたりしていました。
二度と戦争はいけない!
今、直接体験した人から話を聞ける機会はどんどん減っていますが、資料や書籍・絵本・映画などの作品を通してでも、二度と戦争はダメ!ということを子どもたちにも伝えたいです。
最後に、一昨年101歳で亡くなるまで生涯現役記者だったむのたけじさんの著書をご紹介します。
戦争になる前が重要(国が情報を隠し始め取り締まる体制が強化されてくる)、
一番こわいのは国の方針に従わない人を取り締まる憲兵ではなくそれを気にして普通の人々が自主規制・自粛するようになる、
若い世代=もし戦争が始まったら戦地へ行く世代がどうするべきかみんなが真剣に考えたら打開策は必ずある、
等々、わかりやすく、経験に裏打ちされた真摯な言葉で戦争をはじめとした現代の問題を論じています。
むのたけじ「日本で100年、生きてきて」朝日新書(朝日新聞出版)
何度でも。
二度と戦争はしてはいけない。
このことを強く思う8月。
※写真は、むのたけじさんの本(右)と、これから読むアーサー・ビナード「知らなかった、ぼくらの戦争」(小学館)。
9年前に89歳で亡くなった父。
亡くなる前、数か月は寝たきりになりましたが
戦争のことをよく話していました。
戦地に行っていた父は中国で終戦を迎えたそうです。
戦争が終わって戦地に残り財務処理をする中で
中国人と接する機会があったのでしょう。
「昨日までは敵国人と憎んでいたのに。
戦争が終わってみれば、自分と同じ人間だった。
みんなとてもいい人で・・・なぜ戦争したんだろう」と。
父の誕生日でもある8月15日になると
いつもこの言葉を思い出します。
金子さん、コメントありがとうございます!
亡くなる前によく話されていたということは、お父さまの中で戦争は大きかったのでしょうね。
ほとんど同じ歳の祖父も、中国と台湾へ行ったそうです。
一度始まってしまったら、流れを止めるのにたくさんの犠牲が必要だから、戦争になってはいけないと改めて思います。