大晦日、施設に入居している101歳の義祖母が亡くなりました。
認知症でなかなか意思の疎通が出来なかったけれど、
ご飯はしっかり食べていて身体はしっかりしていた義祖母。
そんな義祖母が、ご飯が食べられなくなったと連絡があり、
でもいやそんなわけないよねと家族みんな思ってた。
それでも、施設の人や往診の先生からはもう長くないと言われ
少しずつ実感が伴ってきた。
29日から、夜はそばに居た方がいいと言われ
家族が交代で付き添い。
ドキドキしつつも、案外大丈夫かなーという感じ。
30日の夜は、安定してるから泊まらなくてもいいですよと
施設の人に言われるも、一応付き添い。
31日の朝、往診があり安定してますねと言われる。
お、これは年越せるんじゃない??と私は思ってしまったんだけど。
31日の昼過ぎ、眠るように逝きました。
病院に入ることもなく、機械に繋がれることもなく。
それはそれは、幸せな逝き方だったんじゃないかなと思う。
残念ながらほぼ立ち合いは出来なかったんだけど。
親戚みんなが集まった。
寂しがり屋のおばあちゃんが、みんなが集まれるように大晦日を選んだのかもね。
そう言った人もいた。
なかなか親戚づきあいが薄れていく昨今だけれど。
やっぱり、人とのつながり、血のつながりは
大切にしたいと私は思う。
子ども達にも、なんとなくでも伝わればいいな。
写真は、30日に私の実家でしたもちつきの様子。
三男とも君4歳。
もちの感触を楽しんでる模様。
101歳、大往生ですね。
家族に見守られて、静かにあの世に行けるって、
最高の人生だと思います。
小さな子どもたちにも、大切なことを教えてくれた義祖母。
ご冥福をお祈りします。
年末には目まぐるく気持ちがあっち行ったりこっち行ったりしたんですね。
お母さん大学生と忘年会でビール片手の写真ながら、どこかで呼び出しを意識することもあったんでしょうね。
そしてもちつきでは年を越せるかな・・・という思いなどもあったんでしょうかね。
命の最期をみとるまでの落ち着かない気分も含めて、家族への思い出を残されたことでしょう。
101歳の大往生、ご冥福をお祈りいたします。
100歳生存が当たり前になってきましたが、家族に見守られ静かに旅立てるのは有難い事ですね。
誰もがいつか死を迎えるのですが、大往生は理想的です。
年末なのも大家族で育ったからかも知れませんね。
お忙しい年末年始でしたが、大切な人の見送りをしんぞくで賑やかに見送られての新年、思い出に残る事でしょう。
ご冥福をお祈りします。