吃音を理由にいじめを受けたという
中学生のニュースを見た。
学校や教育委員会の助けを得られず、
両親に
「学校に行きたいけれど、
自然に涙がこぼれてくる」と話したという。
このニュースを見て、
大好きな三浦綾子さんの小説を思い出した。
その小説の中に、心にずっと残っている
エピソードがある。
主人公は吃音の青年。
バスの中で乗り合わせた人から
次の停留所について質問をされるのだが、
その人がこれまた吃音の人だった。
青年は、
吃音の自分が答えたら、
きっとこの人は吃音をまねされた、
からかわれたと感じて
悲しい気持ちになるだろう、と考えて
答えることができないでいた。
すると、それを見ていた他の乗客が、
なぜ答えてやらないんだ!と怒り出して、
青年を殴ってしまう。
殴られた青年は耳に後遺症が残るほどの
怪我を負う。。。
というエピソード。
もう、せつないとしか言えない。
ここには吃音をからかったりする人は
誰もいなかったし、むしろ
相手の気持ちを考えた末の行動だったのに。
もう、せつなすぎる。
冒頭のニュースの中学生は
この春、卒業して高校に進学するとのこと。
これからどこかで、
吃音を理由にいじめてくるような
くだらない人に
出会ってしまったとしても、
傷つかないように、くじけないように、
と祈るばかりだ。
青春を楽しんで!!
応援してるよ!!
人前で話すと緊張しますよね。
その緊張が強い人は思わずどもってしまう。それでも話したいことが有るとどもりながらも話し続けます。
そこで話せなくなるのも理解できます。 聞き取るのが大変だから。
ゆっくり話していいよ、と声がけしても変わらないこともあり 変な空気が漂います。
本人が一番困っていることなのだから、寄り添えれば 話は分かることです。
指摘して排除する事だけはしたくないですね。
どもりながらテレビで解説していた羽生先生を思い出します。
伝えたい想いを大切にしたいですね。 優しい心が必要ですね。
沖山さん
こういう小説を読む人なんですね。
びっくり。
そして、楽しみ。